「310万人の死、思い出して」=最高齢98歳、兄が戦死―平和希求し参列・終戦記念日

18

2026年08月15日 15:02  時事通信社

  • チェックする
  • つぶやく
  • 日記を書く

時事通信社

全国戦没者追悼式に向かう最高齢遺族の高橋和彦さん=15日午前、東京都千代田区
 「戦争で310万人も亡くなった人がいることを、少しでも思い出してほしい」。最高齢遺族の高橋和彦さん(98)=川崎市=は、兄がフィリピンで戦死した。戦禍の記憶が遠ざかる中、平和を希求し、全国戦没者追悼式に参列した。

 11歳年上だった兄冨彦さんは、早稲田大理工学部を卒業後、1942年に海軍へ入隊した。戦闘機の整備を担い、マーシャル諸島やフィリピン、台湾を転戦した。

 「おやじの次に怖い冨彦兄さん」だったが、おもちゃの蒸気機関車で遊んでくれたり、本屋に連れて行ってくれたりと、思い出は尽きない。戦況悪化前は、東京都内の自宅にたびたび戻り、両親にマーシャル諸島から竹細工を持ち帰ったこともあった。

 44年の年末、帰宅していた兄と駅前で出くわし、「よう」と声を掛け合った。兄と会った最後だ。年明けにフィリピンへ派遣され、45年4月、ルソン島で戦死した。27歳だった。

 同年8月15日、都内に残っていた高橋さんは、面倒を見てくれていた夫婦とラジオで玉音放送を聞いた。当時17歳。「敗戦だとつくづく感じた。まず、戦死者のことを思った」という。一人息子を戦争で失った夫婦が涙する姿を今も覚えている。

 周囲が復員する中、兄は帰らなかった。終戦から数年後、戦死を知らされ、上野の寛永寺へ向かった。骨箱は「何も入っていないような」軽さだったが、あえて確認はせずに墓へ納めた。

 自身は戦後、元海軍兵らと面会を重ね、遺族会も結成。慰霊のためフィリピンを2回訪れた。昨年、国の遺骨収集事業に望みを託し、自身のDNA型を登録した。

 今年に入り体調を崩したが、戦争で亡くなった兄らへの思いから参列を決め、つえを手に会場を訪れた。「誰でも生きていたいけど、戦争は望まなくても巻き込まれる。平和ほど…」とかみしめる高橋さん。「戦争は絶対やってはいけない。世界が平和になるよう、日本人らしく英知を養い生きてほしい」と次世代に語り掛けた。 

高橋和彦さんの兄で、フィリピンで戦死した冨彦さんの写真=5日、川崎市
高橋和彦さんの兄で、フィリピンで戦死した冨彦さんの写真=5日、川崎市


マーシャル諸島で撮影された兄冨彦さんの写真を手にする高橋和彦さん=5日、川崎市
マーシャル諸島で撮影された兄冨彦さんの写真を手にする高橋和彦さん=5日、川崎市


戦死した兄の写真を傍らに、取材に応じる最高齢遺族の高橋和彦さん=5日、川崎市
戦死した兄の写真を傍らに、取材に応じる最高齢遺族の高橋和彦さん=5日、川崎市

このニュースに関するつぶやき

  • 早くいなくなってくれないかなぁ
    • イイネ!0
    • コメント 0件

つぶやき一覧へ(15件)

ニュース設定