Netflix『ラヴ上等』と法務省タイアップポスター(法務省サイトより) 法務省と『ラヴ上等』のコラボが炎上しています。
原因は8月5日に保護局が公式サイトにアップしたポスターです。刺青が入っていたり、小指がなかったりする出演者が写っていることに批判と疑問の声が相次いでいるのです。
◆MEGUMIが「温かく見守って」と声明を出す事態に
ネット上では「わざわざ刺青を見せびらかしているような人たちを法務省がバックアップする必要はない」とか、「更生は否定しないが真面目に生きている人たちのほうがよほど偉いのにこの扱いは納得がいかない」とかの意見に多くの共感が集まっていました。
法務省の担当者は、「なかなかインパクトのあるポスターなので、反応は気になるところですが、更生保護の取り組みや、社会復帰の必要性を知っていただくきっかけになればと思っております」(「ENCOUNT」取材記事より)と語っており、これをきっかけに取り組みへの国民的な関心が高まることに期待しているとのことでした。
激しい議論になることは織り込み済みだったことがうかがえます。
また、この件とは別に、出演者に対する否定的なコメントが多発していることに、番組プロデューサーのMEGUMIが声明を発表する事態にも発展しています。
「彼らは、過去も今もすべてをさらけ出し、覚悟を持ってこの番組に参加してくれました。そんな彼らに対して、傷つけるような言葉を投げかけることは、どうかおやめください。出演者一人ひとりを尊重し、温かく見守っていただけたら嬉しいです」
しかしながら、この発言も火に油を注ぐ結果に。タレントの武井壮は自身のXで、「悪を『描く』のはいい だけど本当の悪を皿に乗せたら世の中の治安や規範の地平が確実に一段下がるんだよ」と激しい口調で否定していました。
ネット上でも、彼女のプロデューサーとしての資質や社会的な常識を疑う声があがり、『ラヴ上等』に向けられた厳しい視線が改めて浮き彫りになりました。
◆出演者が「人に火をつけた」発言で物議
筆者も、基本的には武井壮氏やネット上の批判的な意見に共感します。単純に『ラヴ上等』には思わず眉をひそめてしまう過激な場面が多く、それが出演者の背後にある大事なメッセージを発信するための土台になっているというよりも、わかりやすく刺激的なインパクトを繰り返すことに終始しているからです。
その意味では、やはりアテンション・エコノミーの負の側面を象徴する番組なのだろうと思います。実際に出演者の一人が「(人に)火をつけた」ことがあるかのようなことをほのめかしており、こちらも大きな問題になっています。
こうしたことから、更生と保護の重要性は理解しつつも、表舞台にまで登場させるのはいかがなものか、という意見が大勢を占めている状況です。
一方で感じるのは、この手の話題になると必ずあらわれる、不良や刺青などの分かりやすい記号を持った「悪」に対する脊髄反射的で過剰な潔癖症ぶりです。公序良俗に明確に反するものは問答無用で排除すべし、と。
そうした意見を持つ人たちのほとんどは、「悪」を封じ込めることが正義の実現と秩序の維持のためにもっとも有効な手段だと考えているのでしょう。
◆悪の痕跡を消していくことが、社会の安心安全につながるのか
しかし、物事はそう単純なのでしょうか? 『ラヴ上等』で武勇伝を自慢げに語る元半グレや元不良を表舞台から排除すれば、若い人たちが彼らのような悪行をすることがなくなるのでしょうか? そうやって「悪」の痕跡をしらみつぶしに消していくことが、本当に社会の安全や安心につながっていくのでしょうか?
こうした一義的な物の見方に厳しく疑問を投げ掛けたのが、作家の坂口安吾です。安吾は、善悪は分けがたくつながっているものだと考えていました。人間は正義一辺倒で生きられるものではなく、悪に対する憧れがあるからこそ、そこへの自制心として初めて正義が生まれる、と言っているのです。
<人間がみんな聖人になり、この世に悪というものがなくなったら幸福だろうと思うのは、 茶飲み話の空想としては結構であるが、大マジメな議論としては、正当なものではないだろ う。人間のよろこびは俗なもので、苦楽相半ばするところに、あるものだ。悪というものがな くなれば、おのずから善もない。人生は水のごとくに無色透明なものがあるだけで、まことに ハリアイもなく、生きガイもない。眠るにしかずである。
人間は本来善悪の混血児であり、悪に対するブレーキと同時に、憧憬をも持っているのだ。>(『湯の町エレジー』)
つまり、世間の『ラヴ上等』に対する「ブレーキ」という反射的な否定感情を、安吾は、それは悪への「憧憬」なのではないか、と問うているのです。
◆安易なコラボに見せかけて、奥深い?
どうしても反応したり意見したりせずにはいられなくなる魅力が『ラヴ上等』にあることを、まさに激しく批判し徹底的に否定する人たちこそが感じている可能性はないのか、というわけです。
この安吾の説を取るならば、『ラヴ上等』をめぐる状況は皮肉な風景を映し出していると言えないでしょうか。声高に「善」の保護を主張している人たちは、実は「悪」に惹きつけられている人たちでもあるという構図が浮かび上がるからです。
そう考えると、法務省保護局のキャンペーンはかなり芯を食っています。善と悪は表裏一体であり、それは分けがたく、誰がいつどちらの側に立つともわからないからです。そのセーフティーネットとして、保護と更生という概念が存在する。
安易なコラボに見せかけて、奥深い。知らない間に人間の深層心理に訴えかける、『ラヴ上等』ポスターなのでした。
<文/石黒隆之>
【石黒隆之】
音楽批評の他、スポーツ、エンタメ、政治について執筆。『新潮』『ユリイカ』等に音楽評論を寄稿。『Number』等でスポーツ取材の経験もあり。いつかストリートピアノで「お富さん」(春日八郎)を弾きたい。Twitter: @TakayukiIshigu4