【今週はこれを読め! ミステリー編】研ぎ澄まされた山岳ミステリー〜潮谷験『山上のフェイク』

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2026年08月18日 18:11  BOOK STAND

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『山上のフェイク』潮谷 験 光文社
 書評家に、この人の作品は絶対に採り上げたい、と思わせる作家・潮谷験。
 その新作長篇『山上のフェイク』(光文社)が刊行された。

 なぜ書評したくなるかというと、毎回やることが違うからだ。
 第63回メフィスト賞を受賞したデビュー作『スイッチ 悪意の実験』(講談社文庫)以来、媒体とのタイミングが合わなかった1作を除き、すべての著作を私は書評している。これは極めて稀な例だと思う。

 故・北上次郎氏が、ある作家について「いくら好きでも、もう書くことがないからなあ」と言って書評を断った、と聞かされたことがある。その気持ち、よくわかる。書けることがないのに採り上げるのは、お追従みたいになって嫌なのである。
 でも、潮谷験なら大丈夫だ。この先、どんな作品が出てきても書評できる自信がある。

『山上のフェイク』は、題名が暗示するように山岳ミステリーだった。おお、山岳ミステリー。ミステリーにはクローズドサークルというカテゴリーがあるが、山岳ミステリーこそはその究極系ではないか。山に入った人々が出られなくなり、命の危険に脅かされる。松本清張に「遭難」(新潮文庫『黒い画集』所収)という、登山をする二人の極限状態が描かれた名短篇がある。その人間関係がもっと増員されて、互いが互いを疑って相互監視する、つまりクローズドサークル的状況になる作品が『山上のフェイク』なのだ。

 初めに言っておくと、潮谷作品には必ず、犯人当ての趣向が含まれる。フーダニットこそがミステリーの魅力であると考えているのだろう。だから、どんな作品でも必ず犯人当ての場面が描かれる。スリラーにしか見えない小説でも、必ずそうなる。

 だから本作で冒頭に、手記が出てきたときには身構えた。これは後で証拠として採用されて、なんらかの手がかりになるに違いないからだ。その手記の前には、正体不明の語り手による「罪人の独白」という断章が置かれている。これも非常に怪しい。

 手記の書き手は射場由美子という女性である。彼女は大学時代、文芸研究会というサークルに属していた。射場が一年生のときに結成されたのだが、新入会員が続かず、もうなくなってしまっている。同窓会が開かれたこともない。後輩の、沼田椎月という女性が卒業後に失踪し、現在も行方不明のままだからだ。気まずくて集まれたものではないだろう。

 それが初めての同窓会にこぎつけることになった。椎月の兄である沼田俊和が、祖父の所有していた皐月山を相続し、開発のためのベンチャー会社を設立した。一般客向けにコテージを造ったので、一同に来てもらい、そこの感想を教えてもらいたいというのだ。山ではあるが、設備は整っているのでごく軽装でいい、とも沼田は言う。

 その誘いに乗って六人の男女がコテージに集まるのである。全員が落ち着いたところで、沼田が、さて、と言う。

 いかにも、の展開ではないか。折からの天候不順により、皐月山一帯は暴風雨に見舞われ、コテージからの下山は難しくなる。いわゆる〈嵐の山荘〉の成立である。そこから始まる惨劇の内容は割愛する。隔絶した土地にのこのこやって来てしまった人々が見舞われるであろう運命に巻き込まれる、とだけ書いておく。

 前出の〈罪人の告白〉は現在進行形で起きている出来事と並走し、射場由美子による手記はそれを振り返る形で綴られている。おもしろいのは、もう一つ手記が置かれていることだ。サークル仲間の赤屋敷克彦によるもので、彼は登山経験が豊富であるため、その記録として文章は綴られる。手記が二つあることには、当然意味がある。

 皐月山コテージに関する記述である「第一章 山上の同窓会」が終わると、「第二章 山岳救助隊」が始まる。章題からわかるとおり、滋賀県警五寮署山岳救助隊の視点から描かれるもので、娘が友人と登山に行ったまま帰らない、という通報を受けて動き出すのである。コテージとは連絡が取れないため、麓にいる救助隊は、彼らが山上で孤立しているという前提で動き始める。人命救助を使命とする者たちの緊迫感に満ちた動きが、小気味よく描かれていく。ようやく彼らがコテージに到達し、ある発見をしたところでこの章は終わるのである。続く「第三章 死者の罠」は、再び射場由美子の手記から始められる。

 ミステリーを読みなれた人なら「第四章 二つの解答」で提示される要素はある程度予想できるのではないかと思う。しかし『山上のフェイク』という作品が真価を発揮するのはここからだ。推理をする側は前出の山岳救助隊、つまりコテージ側の動きがまったくわからず、そこにいた人々が遺した痕跡を追いながら彼らの行動を想像で再現するしかない立場の者である。与えられる情報はその割に多いのだが、逆にそれによって真相が見えなくなってしまう。多すぎる証拠・証言が雲になり、太陽を隠すからだ。推理可能な領域は狭められる。

 おそらく作者がやりたかったことは、それなのではないかと思われる。解はいくつも存在可能なのではなく、その数は極めて限定される。想像してみていただきたいのだが、そういう状況になったとき、読者に驚きを与えることはかなり難しい。AでなければB、BでなければAなのだ。どっちが選ばれたとしても読者は、初めからA、もしくはBを選んでいたという顔をして「そうじゃないかと思っていたんだ」と言うだろう。

 つまり犯人をただ当てるだけではなくて、そこに至るまでの過程で納得させるしかないのである。どういう論理で真相に行き着いたのか。途中の数式を省略せず見せて、その美しさで読者を感嘆させること。それが本作では求められる。

 そのための工夫がいろいろ凝らされている作品なのだが、感心したのは、推理の興味と山岳冒険小説の興奮とがまったく乖離せずに描かれていることだ。山岳救助隊の面々にとっては、起きてしまった事件を解決することよりも、危機に瀕している人々を助けることのほうが急務なのである。暴風雨は皐月山にいる人々にある危険をもたらす。その中で、一人でも多くの命を救うために彼らは動き続ける。そのスリルをずっと保ちながら、合間合間に真相解明のための手がかりを入れていく。叙述の技巧に痺れさせられる。

 構成にはまったく無駄がなく、研ぎ澄まされた短刀のような鋭さがある。にもかかわらず満足感も与えてくれる。読み終えた後で、ああ、このページ数しかなかったのか、と驚くことになるだろう。それほどの密度だということである。

 潮谷験、本当になんでも書ける作家になった。ここまでシリーズ作品が一つもなく、毎回独立した長篇だけを書いてきているということに改めて驚きを感じた。全著作を書棚に並べ、折に触れて読み返したくなる。

(杉江松恋)


『山上のフェイク』
著者:潮谷 験
出版社:光文社
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