「自分の出生の真実を知りたい」元光GENJI・大沢樹生の長男(30) “父子確率0%”報道から13年半…父親に改めてDNA鑑定を訴える“切実な理由”

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2026年08月27日 16:10  web女性自身

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「法律上は親子関係にないということになっていますが、いまだに僕はどこにいっても“お父さんに似ている”と言われ続けています。僕は4年前に結婚して妻ある身で、来年1月に30歳を迎えます。これまで両親との関係に振り回され続け、いまでも過去の騒動の影響で仕事場に居づらくなることもしばしばです。



今回、あえて現状の話をしに来たのは、僕が家族と絶縁することも含めて自分の言葉で“親に対する気持ち”をはっきりと伝えたかったからです」



こう語るのは、光GENJIの元メンバー、大沢樹生(57)の長男・零次氏(29)だ。



’87年に大沢はアイドルグループ「光GENJI」のメンバーとしてデビュー。絶大な人気を誇ったが、’94年に所属事務所を脱退して以降は主に俳優やソロ歌手として活躍。’96年には当時女優として活動をしていたAさんと授かり婚を発表した。



翌年、2人の長男として生まれた零次氏。しかし、同氏が8歳だった’05年に両親が離婚、Aさんが再婚した‘07年には大沢が親権を持つことになった。その後、大沢は“シングルファザー”として零次氏を育て、’08年に15歳下の元モデル女性と再婚。新たな家族との生活が始まった零次氏だったが――。



「’13年末、大沢さんと零次さんとのあいだに“父子関係がなかった”という衝撃のニュースが報じられたのです。当時、彼は16歳でした。



当時の週刊誌の報道によると、’12年に再婚女性とのあいだにできた赤ちゃんを死産で亡くした大沢さんが、“自分のDNAに問題があるのかもしれない”と考え、’13年2月に零次さんとのDNA鑑定を決断。日本に窓口のある海外の鑑定機関に依頼し、だ液で検査したところ、返ってきたのは“父性確率0%”という回答だったというのです」(週刊誌記者)



大沢は東京家庭裁判所に“親子関係不存在”の確認を求める調停を申し立て、大沢とAさんの双方が弁護士を立てて協議。’15年11月に、民法第772条2項とDNA鑑定の結果が決め手となって大沢側の主張が認められた。



’14年に大沢は再婚相手との間に女児が生まれたいっぽう、零次氏は海外でフォトグラファーとして活動。’22年には沖縄で知り合った女性と結婚している。そんな零次氏は、幼いころから両親への不信感を募らせていたという。



「僕がまだ小さかった頃から、パパは“息子は先天性腹壁破裂で生まれ、その手術の影響で感音性難聴の障害を患っている”と方々で公言してきました。ですが、いま僕は普通に話が聞こえるし会話が出来ている。昔から事実ではないことをメディアで発信していたのです。



生まれたころに病気で手術をし、病院に連れて行かれて補聴器を持たされていたことは覚えていますが、当時からほとんど使っていませんでした。パパから『お前の障害者手帳がある』とも言われていましたが、一度も見せてもらったことはありません」



’12年10月に零次氏は、大沢から受けたDV被害を『週刊文春』に告発している。しかし、当時の取材に対し大沢側は模造の日本刀を突き付けたことは認めたが、日常的な暴力に関しては「それはありません」と否定していた。



「週刊誌にパパのDVを告発した際も、『息子には虚言癖があるため、心療系のクリニックに通わせている』と全面的に否定されてしまった。当時は子供だったのでパパの言い分を受け入れるしかありませんでしたが、大人になって“やっぱり、おかしい”と。



確かに当時、どこに行かされているのかわからないまま病院に通っていましたが、それは必ずご褒美にハンバーガーショップに寄ってもらえるのが嬉しかったからに過ぎません。そこが心療系の病院だったことは大人になってはじめて知って、自分でもびっくりしたぐらいなんです」



DNA鑑定による“父子確率0%”の結果にも疑念を抱いているという。零次氏によると、大沢からDNA鑑定を求められたのは’13年2月のことだった。



「パパから『病気になったときに、パパとお前が血を分け合えるのかどうか、親子だけど不安もあるから念のため検査しよう』と言われたのを覚えています。『なんで今さら?』と思いましたが承諾するしかなく、一緒に車で検査に向かいました。検査後2〜3週間ほどしたら鑑定結果がわかると言われていましたが、その期間が過ぎてもパパから結果を伝えられることはありませんでした。



その後、パパと再婚相手が留守のタイミングで部屋をこっそり探したら、検査結果の資料があったので、それを見るとパパと僕の名前がアルファベットで書かれたところに“父子確率99.9%”と書いてあった。『まあ、当然そうだろうな』と資料を閉じて、安心しながら元に戻しました」



しかし、このDNA鑑定が、零次氏にとっては“まったく逆の結果”として報じられることになる。



「’13年の夏、僕はアメリカ・ロサンゼルスに在住していた母方(Aさん)の祖父母のもとで過ごしていました。2週間ほどの滞在のつもりだったのですが、とつぜんパパとママ(大沢とAさん)から『日本に帰ってくるな』という連絡が入り、結局ビザが切れるギリギリの3カ月間ロスに留まることに。当時、将来的に海外で生活したいと思っていたので、現地の永住権を取れればと親権を祖父母に移してもらっていたところでした。



この間、日本で何があったのかは分かりませんが、パパとママの弁護士間でDNA検査の結果についてやり取りが続いていたのだと思います。同年11月あたりに一度日本に戻ったあと、なぜか渡米前に暮らしていたパパの家には帰れませんでした。パパの家に住んでいたころの荷物は段ボールに乱雑にしまわれて、知り合いの家のもとに届けられていました。その荷物を仕分けていると洋服やゲーム、有名人から貰ったプレゼントなど、大切にしていたものが無くなっていてひどく傷ついたことを覚えています。



ふたたびアメリカの祖父母のもとに戻ってしばらくした’13年12月下旬、DNA鑑定の件が“父子確率0%”という、僕が見たものとは真逆の結果で日本の週刊誌に報じられていることを知ったのです」



この報道の直後、零次氏は本誌の取材に答え、鑑定結果を見た過去を明かして『99.9%、僕はパパの子です』と大沢に抗議。当時、零次氏はこのように語っていた。



《パパのやっていることは、本当にくだらないとしかおもえない。「こんなことで騒いで何が楽しいんだよ」って。この人は何がしたいの? 目的は何なのって聞きたい。》(『女性自身』’14年1月21日号)



その後、記者会見を開いた大沢は零次氏からの反論について、鑑定書は金庫にしまわれていたので『息子は100%見ることはできなかった』と再反論。前述のとおり、この“父子関係の有無”に関する一件は家庭裁判所に持ち越され、のちに大沢の主張が認められる判決が下った。しかしまだ10代後半だった零次氏は、引き続きアメリカの祖父母のもとで暮らしており、この裁判にはほとんど関与していなかったという。



「報道された当初から、パパとママとは“成人したらまたDNAの再鑑定をしよう”という約束をしていました。しかし、いまだにその約束は果たされていません。DNA鑑定の報道があって以来、ママとは音信不通が続いていて、パパとは僕の写真展などで折に触れて食事などをしてきましたが、ここ数年はあまり連絡が取れていません。今年、久々に街中でばったりパパと会う機会があって、妻をはじめて紹介したのですが、どこかそっけなくて……ろくに目も見てくれませんでした」



なぜ、判決から11年が経ったいま、零次氏は自分にとってもつらい記憶と改めて向き合い、口を開いたのか。その理由について、声を震わせながら最後にこう訴えた。



「今後の未来のことをよく考えます。僕も結婚をしたので“子供を作りたい”と思うこともありますが、両親との過去がいまでもトラウマのようについて回るのです……。幼少期・思春期は両親との関係性で悩んでばかりだったので、子供には僕と同じ気持ちを味わってほしくない。



なによりも自分の出生さえ定かでない僕が、“子供を持つ資格などあるのだろうか”という気持ちもあります。将来、子供にしっかりと説明できるようにするためにも、自分の出生の真実を知りたい。パパから恨みを買うつもりもないし、これまで育ててくれたことを最大限リスペクトしています。でも耳の障害のこと、DVのこと、DNA鑑定のこと……もうこんな嘘に塗り固められた人生を歩みたくない。もう一度DNA鑑定をしてもらって、ケジメをつけてほしいのです。それが、パパに対する僕の唯一の願いです」



零次氏の訴えを踏まえて大沢樹生の所属事務所に問い合わせると、以下のような回答があった。



「回答は差し控えさせていただきます」



零次氏の魂の叫びは、父・樹生にどのように響いているのだろうか。

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