▲作家の島田明宏さん【島田明宏(作家)=コラム『熱視点』】
名馬の訃報がつづいた。
9月7日にアドマイヤムーンの訃報が伝えられ、9日にオウケンブルースリが世を去った。
アドマイヤムーンは2007年にドバイデューティF、宝塚記念、ジャパンCを勝ち、年度代表馬に輝いた。この年は、ウオッカが64年ぶりの牝馬のダービー馬になった年として記憶している人が多いだろう。私にとっては、『優駿』の連載エッセイ「競馬の流行」で、「第3次競馬ブーム」が到来するはずだ、と予測していた年だった。
ブーム到来の論拠のひとつは、髪形や服装がそうであるように、流行というのは一定の周期で巡る、ということだった。1973年にハイセイコーが無敗のまま皐月賞を勝つなど国民的ヒーローとなって「第1次競馬ブーム」が起きた。そして、1990年にはオグリキャップが「奇跡のラストラン」と呼ばれる有馬記念で有終の美を飾り、「第2次競馬ブーム」を象徴するシーンを演出した。1973年から1990年まで17年。その17年後の2007年にも競馬が盛り上がる――というテーマで、2年連載をつづけた。
アドマイヤムーンは、父エンドスウィープのラストクロップという血統的な価値もあり、種牡馬として、スプリントGIを制したセイウンコウセイ、ファインニードルなどを送り出した。23歳だった。
オウケンブルースリは2008年の菊花賞馬である。
この馬は、アドマイヤムーンより2歳下で、私が贔屓にしていたスマイルジャックと同い年だ。オウケンブルースリが勝った菊花賞で、スマイルジャックは3番人気に支持されたものの16着に敗れた。僚馬のベンチャーナインも出走(6着)しており、レース後、競馬場の厩舎で小桧山悟厩舎のスタッフと、残念会ではないが、「まとめてやられるんだったら、あの馬だと思っていた」といった話をしたことが思い出される。
それもあって、オウケンブルースリの訃報を知ったとき、まず頭に浮かんだのは「スマイルは元気かな」ということだった。スマイルジャックがいるB.C.S.代表の高橋司さんとは、先日、『優駿』編集部で久しぶりに会ったのだが、お互い急いでいたのであまり話すことができなかった。
スマイルジャックも21歳になったのか。またゆっくり、顔を見に行きたい。
さて、このところSNSで「ライターが厳しい」「ライターをやめる」といった書き込みをよく目にする。
AIの普及によって仕事を失った、というケースも多いようだが、それ以上に、ライターを取り巻く環境が厳しくなったのは、雑誌が少なくなったことが大きいだろう。
雑誌の販売額は1997年の1兆5644億円をピークに減りつづけ、昨年は3708億円。4分の1以下になった。
雑誌が減れば、当然、そこに書くライターの仕事も減る。
私がこの仕事を始めたころは、毎日必ずどこかの雑誌の編集部に顔を出していた。小学館の『GORO』編集部には、私物のワープロを置きっぱなしにしているライターが私だけでなく何人もいた。で、その脇や、編集者の机などに、ほかの書き手の原稿やゲラなどがあった。それらのどこに赤入れ(修正、あるいは修正のリクエスト)がなされ、それをどんなふうに直したのかを見て、書き方の参考にするなどしていた。また、編集者やほかのライターとやり取りすることが、自然と筆力の向上につながっていたと思う。
そうした場が激減したことはすなわち、若い書き手が育つ環境がなくなりつつあることでもある。
発表の場がネットだけになると、打ち合わせも、取材も、原稿のやり取りも、オンラインで済むことが多いだろう。紙媒体では大きな緊張感をもって行われる校正作業も、世に出てからでも修正ができるネット媒体では、それほど神経を尖らせる必要はない。
ひどいことを言うようだが、そもそも、ほかの媒体の記事をまとめなおすだけの、ネットのいわゆるコタツ記事で原稿料を受け取っていた人の仕事がAIに取って代わられたのなら、「ライター」と名乗っていたのが間違いだった、ということではないか。AIの文章力の低さは先週書いたとおりで、あの程度のものに仕事を奪われたというなら、適性がなかったのだろう。
ただ、AIは、請求書をつくったり、取材先の担当部署や問い合わせ窓口を探したり、必要な資料や数字を拾い出したりという、秘書としての能力はびっくりするほど高い。
ひょっとしたら私の公式サイトのリニューアルもできるのでは、と、やってみたところ、昔なら専門業者に頼んでいたような作業を、自分ですることができた。
ホームページビルダーなどのソフトは使わず、ChatGPTと対話しながらHTMLやCSSを書き換え、デザインを直し、新刊のページを作り、ブログへの導線なども整えた。ブログも5年ぶりに更新した。