加藤智大死刑囚の境遇に自らを重ねた犯罪者、秋葉原通り魔事件から考える「男の生きづらさ」

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2022年06月08日 15:20  週刊女性PRIME

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掲示板に残されていた加藤の書き込み。ここに居場所を見いだし「家族同然」の存在だった

 日本中を震撼させた「秋葉原通り魔事件」から早くも14年。当時、逮捕された加藤智大が母親から虐待ともとれるスパルタ教育を受けていたこと、派遣労働や格差問題、ネットを通じた人間関係の稀薄さが浮き彫りとなり、そんな加藤を“神格化”する声も挙がった。人を凶行にまで走らせる“生きづらさ”とはーー? これまで2000件以上の加害者家族を支援してきたNPO法人『World Open Heart』理事長・阿部恭子さんが伝える。

* * *

 2008年6月8日、当時、25歳の加藤智大氏が秋葉原の交差点にトラックで侵入し、通行人をナイフで切りつけ、7人が死亡、10人が重軽傷を負う大惨事となった。

 本件は、日本の犯罪史上に残る大事件となり、派遣社員の急増といった社会背景から、加藤氏が非正規社員だった事実に焦点が当たり、「格差社会から生まれた犯罪」とも報じられていた。

 筆者は加害者家族支援を通して犯罪者と多々、面会を重ねているが、その多くは男性である。事件の背景を見ていくと、多かれ少なかれ、男性としての生きづらさが影響していると思われる。

優等生からの転落

 友幸(仮名・40代)は、加藤氏同様、東北で名門といわれる高校を卒業した犯罪者である。当時、拘置所の中で事件を知り、同世代の加藤氏の境遇に自らを重ねたという。

「地元では○○高校というと一目置かれますが、問題は卒業後です。大学受験に失敗し、地元にはいられなくなりました」

 友幸は二浪の末、地元から逃げるように上京し、フリーター生活を始める。

「地元ではみんなに“負け犬”と思われているような感覚がありました。東京では誰も地元の事情はわからないので、楽になったんです」

 ところが自由を満喫できたのも束の間、すぐに深い孤独に悩まされることになる。友幸は人とのコミュニケーションが得意ではなく、ひとり取り残されていく危機感を覚えるようになった。

 東京で初めて「仲間」に入れてもらえたと感じたのが、振り込め詐欺の集団だった。友幸にとって金銭は二の次で、仲間をクラスメートのように感じ、犯罪の現場が居場所になっていく。そして数か月後、友幸も逮捕されることになった。

「国選弁護人から実刑を覚悟するように言われてパニックになりました。捕まってもすぐ出られるって聞いていたんです。まさか刑務所に行くなんて」

 友幸は国選弁護人に、すぐ家族に連絡を取ってもらうよう懇願した。

「もう戻ることはないと言って出てきた実家ですが、もう強がる余裕はありませんでした」

 しばらくして、友幸のもとに弁護士が接見に来た。

「友くん、覚えてる?」

 見覚えのあるその顔は、幼いころよく遊んでもらった親戚だった。国選弁護人から逮捕の知らせが行くと、親たちはすぐ東京で弁護士をしている親戚に連絡していた。友幸は安心のあまり大泣きし、生まれて初めて胸の内を吐露することができた。

 この親戚が弁護を担当することになり、親戚中からお金を集めて被害者に弁償した。公判には両親、兄弟も含め親戚一同が傍聴席に詰めかけ友幸の減刑を願った。友幸は、恥ずかしくも感動し、涙を止めることができなかった。

 そして無事に、執行猶予付き判決を得ることができ、釈放後は実家に戻り、現在は親戚が経営する会社で働いている。

「当時はパワーゲーム(人と人との力の張り合い)に囚われていて、どうやったら敗者復活できるかばかり考えていた。地元にこんなに“支え”があり、“味方”がいることに気が付きませんでした」

パワーゲームからの離脱

 受刑者を支援する特定非営利活動法人『マザーハウス』理事長、被害者と加害者が共に犯罪に巻き込まれた人々を支援する『inter7』共同代表を務める五十嵐弘志氏(58)は、20年以上服役した経験を持つ。五十嵐氏は47歳で出所し、2014年にマザーハウスを設立。現在は、24時間体制で受刑者や出所者の支援に尽力している。

 若い頃の五十嵐氏には、友幸のように家族や地域の支えはなく、面会に来てくれる人もいないまま、長い間、孤独な受刑生活を過ごしていた。

「面会に来てくれる家族がいる人たちが羨ましかったです。たとえ出所できても、年齢を考えると自分が家族を持つことなど無理だと諦めていました」

 ところが、50歳を目前に結婚し、父親にもなった。五十嵐氏の人生は、受刑者に限らず、絶望の淵にいる人々にとって希望になっている。
 
 五十嵐氏の祖母は躾が厳しく、出来のいい親戚の子と比較されることが多かったという。中学生の頃に両親が離婚し、五十嵐氏は母方の家に引き取られることになった。

 この家には居場所がないと感じた決定的な出来事があった。従兄弟の下敷きが無くなったとき、たまたま同じ下敷きを持っていた五十嵐氏が家族中から「お前が盗った!」と犯人扱いされてしまったのだ。泥棒扱いされるというのはひどく自尊心を傷つけられることである。しばらくしてその下敷きは見つかり、疑いは晴れたはずだったが、誰も五十嵐氏に濡れ衣を着せたことを詫びる家族はいなかった。

 それから徐々に家を離れ、悪い仲間の中に居場所を求めるようになり、犯罪に手を染めていく。

 五十嵐氏が生きてきた世界もパワーゲームに支配され、他人を信用することなどできなかったという。その傾向は、刑務所生活によりさらに強くなる。刑務所は規則にがんじがらめにされ、受刑者同士の足の引っ張り合いから弱さをさらけ出すことなどとてもできない。

 立ち直りのきっかけは、同房の日系ブラジル人から聖書の存在を聞き、それからマザーテレサの本を通してキリスト教の精神に惹かれるようになった。聖書をさらに詳しく学びたいと、刑務所から手紙を出し、シスターに面会に来てもらうようになったのだ。

 今まで謝罪と反省以外求められることはなかったが、シスターとの会話を通して、五十嵐氏はありのままの自分が初めて受け入れられたと感じることができ、改心することができたと話す。

 しかし、更生したからといって犯した罪が消えるわけではない。どれほど真摯に、いいことをしようとしても、“前科者”という壁が立ちはだかることも少なくはない。犯罪者の家族への風当たりも厳しいのが現実であり、五十嵐氏にとって、償いの日々は続いていると感じる。

甘えてもよい社会を

 人生は、いつ何が起こるかわからない。ある日突然、大切な人に出会うこともある。そのとき、後悔しないためにも犯罪で承認欲求を満たすようなことはしないに限る。満たされるのは一瞬で、その後、一生苦しむことになるのだ。

 秋葉原通り魔事件は、加藤氏の弟の自死という悲劇も招いた。「死ぬ理由に勝る、生きる理由がない」。彼は、取材した記者にそう語っていたという。生きる理由をひとりで見つけることは難しいかもしれない。

 筆者が運営する『加害者家族の会』も男性の参加者は少なく、男性は問題をひとりで抱え込む傾向があると感じる。同時に、問題を共有するより答えを求めがちである。

 SOSを出す力や、困ったときに頼る力こそ、男性たちに求められているのではないだろうか。

阿部恭子(あべ・きょうこ)
 NPO法人World Open Heart理事長。日本で初めて、犯罪加害者家族を対象とした支援組織を設立。全国の加害者家族からの相談に対応しながら講演や執筆活動を展開。著書『家族という呪い―加害者と暮らし続けるということ』(幻冬舎新書、2019)、息子が人を殺しました―加害者家族の真実(幻冬舎新書、2017)、家族間殺人(幻冬舎新書、2021)など。

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