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2018/09/18 10:00 配信のニュース

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2018年09月18日 10:00

  • カミカゼ特攻でも、敵を見つけられずに引き返すことは度々あった。 戦艦大和にしろ、航空特攻にしろ「まだ戦う余力があるのに降伏するのか」と言う圧力で無駄に命を散らせたのかもしれない。
    • 2018年09月19日 01:34
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  • NHKが安倍寄り?どこが?記者は事実を書くべきであって、偏向記者の事実に反した脳内真実は不要>現在すでにNHKなどが安倍寄りの報道をしているよね。新聞も真実を書く記者を左遷させ始めている。
    • 2018年09月19日 01:26
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  • 特攻は初期こそ米軍に心理的インパクトを与えたが、科学的手法によって回避するように。もはや特攻は自分が死ぬことに自己目的化した。せめてあなたが助かったのは幸い。ありがとう。
    • 2018年09月18日 21:33
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  • 戦時中の事は今の恵まれた我々には理解出来ないだろう 戦争とはそういうもの
    • 2018年09月18日 21:27
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  • 母の次兄も元特攻隊員。出撃の操縦席に座るなり、持病の結核による大喀血と貧血で降機、代理の人が搭乗。基地の無線室で、全滅していく隊員たちの最期の悲鳴を聞き、8月16日の再出撃を誓って…終戦。
    • 2018年09月18日 21:13
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  • 国民を守ってこそ国家。国民の命を犠牲にして成り立つ国家などありえない
    • 2018年09月18日 20:15
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  • 私の母の叔父も予科練だったので終戦が半月遅ければ戦死…戦後、糖尿病になり40年ほど前に亡くなりましたが、軍隊での話はほとんどしなかったそうです。
    • 2018年09月18日 20:10
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  • 我が子、教え子を国の為に死んでこい!などと二度と言わせない!が、戦後教育だったはず。右翼には気に入らないんだがね。
    • 2018年09月18日 19:45
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  • この記事も踏まえた上で鹿児島県知覧の特攻隊記念館に足を運んで欲しいです。また戦争体験者の話を聞くのも勉強です。
    • 2018年09月18日 15:26
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  • 子供が死地から無事に生きて帰って来て、喜ばぬ親が何処に居る!(#`д´)⊂彡))д`)パーン
    • 2018年09月18日 15:16
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  • 親の『よう帰れた』。戦時中なら非国民として石を投げられかねない言葉だったと思う。別れの日も『死ぬな!』と言いたかったに違いない。親も戦っていたのだろう。
    • 2018年09月18日 15:07
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  • 祖父96歳も戦争帰り。頭や背中に弾の痕がある。夏場は草刈り、冬場は除雪と(時に転倒し、病院のお世話になりながら)元気です(*´-`)
    • 2018年09月18日 13:50
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  • 戦死が美徳とされていた時代に生還したのだから、恥ずかしいと言う考えなんだよね。でも本心は故郷の人達と同じであるはず。
    • 2018年09月18日 13:41
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