【フィギュア】羽生結弦さん能登復興支援ショーの思い「この場所から波動として届け」全コメント

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2024年09月15日 18:30  日刊スポーツ

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復興への思いを込めた演技を披露した無良さん、鈴木さん、宮原さん、羽生さん@矢口亨

フィギュアスケート男子で五輪2連覇を果たしたプロスケーター羽生結弦さん(29)らが出演した「能登半島復興支援チャリティー演技会」が15日に石川県金沢市で行われた。1月の能登半島地震で大きな被害を受けた被災者のために「挑戦 チャレンジ」と題し、無良崇人さん、鈴木明子さん、宮原知子さん、さらに能登で活動する和太鼓虎之介や能登高校の書道部とも一緒に、支援につながるショーをつくり上げた。会場の都合でショーを生配信し、見逃し配信も含めた収益を石川県に寄付する。


演技会後の取材には4人が登場。全コメントは以下。


−皆さんどのような思いを込めて演技されたのか、1人ずつお願いいたします。


無良さん なかなかチャリティーという形で、1回と言っても実際に開催することってできない中で、本当にユヅ君の力を使っていただいて開催できた。そこで滑る意義はすごく大きかったなと感じてます、滑らせていただいた曲「燦々」の中の歌詞にもあります「大丈夫だよ」というメッセージ性を、今回配信を見ていただいた方や多く方に伝えられたらいいなと思います。この演技会を見て、明日に向かっていく、次に進んでいく活力になってもらえたらなという気持ちで今回参加させていただきました。


羽生さん 見てくださる方々、やっぱり辛い方もいらっしゃいますし、今元気だよっていう方も、本当にさまざまな立場の方々がいらっしゃると思います。そんな方々の中で、少しでも笑顔の輪が広がってくれたらいいなと思いながら滑りました。


宮原さん なかなかないチャリティーショーという、このような機会に自分も参加できたことにうれしく思っています。自分のスケートを通して人々への助けができたらうれしいなと思って滑りました。


鈴木さん こうした震災が起きるたびにすごく自分の無力さを感じてしまいますけれども。でも、今日こういった機会に私たちが滑ることによって何か伝えられるものがあるんじゃないかと。その気持ちをしっかりと胸に、今日はここへ来て一生懸命滑りました。こういう機会をありがとうございます。


−羽生さんにお伺いします。プロになられて、被災地の向き合い方やできることの変化はありますか。


羽生さん 僕自身、金メダルを2個取りたいという気持ちの中の1つの大きな、1つの目的として、やっぱりここから、2連覇したところから被災地への支援だったりとか、思いやりみたいなものをスタートしたいなという気持ちがあって、常に現役、競技自体を頑張ってきました。やっと自分がプロに転向してから、徐々に徐々に被災地であったりとか、本当にいろんな災害ありますけれども、そういったところに心をはせることができ始めています。そういった中でも、やっぱり自分はスケーターであるということが1番なので、どうしても演技ということで、皆さんに対してのご支援であったりとか、感情に対してのちょっとした助けであったりとか、そういったものになれないかなと思って。「ノッテ(・ステラータ)」はとにかく、3.11もそうですし、その時々で起こっているいろんな災害に対して。今回は特に能登地方の震災に対してのチャリティーということでやらせていただきました。


−羽生さんが「春よ、来い」をこれだけ明るい照明でやる機会はなかなかなかったかなと思います。


羽生さん まず、照明がない状況を今回考えたのは、なるべく予算を少なく、なるべくほとんどのお金を、チャリティーなんで寄付をしたいということがあって。すごく規模を小さく小さくするということがまず第1の目標としてありました。最終的に制作資金を削減していくにあたって照明なしということになったわけですけど、それはそれで見え方が違って、またいつも見ている方々はまたいつもと違った感覚を感じていただけるのはうれしいことですし、僕ら自身もやっぱりチャリティーということでの演技で気持ちも全然違いましたし、プログラムに込める思いが、より明確に能都地方の方々へという思いで滑りました。


鈴木さん (照明がないのは)久々でした。ちょっとだけ登場がしていくのが、見られている感があるんですけど、でもまたそれもすごく新鮮な気持ちで今日は滑ることができました。


−フィナーレの「ケセラセラ」について教えてください。


羽生さん 僕自身、Mrs.GREEN APPLEさんが本当に好きで。この曲自体が持っている、沖縄になっちゃうかもしれないけど、なんくるないさー精神というか。どんなことがあって自分に言い聞かせながら前を向いていくんだっていうような気持ちを、鈴木明子さんが振り付けをしてくださって、そういう中で表現したつもりです。みんな本当にボーカルもそうですし、楽曲の1つ1つの音をすごく大切にしながら、希望を胸にすべったなという感じがしています。


−「春よ、来い」を滑る時にいつも以上にリンクに上半身を沈めている印象がありました。


羽生さん ハイドロブレーディングという技なんですけど、あれはそもそもこのプログラムはあのぐらいつけるものなので、特にすごく深い意味があるわけではないんですけど、やっぱりこの土地、ここ自体の周辺はすごく大きな被害があった場所ではないですけれども、この地方としてすごくすごく大きな被害があった、もっと大きく言ったら、ここ周辺の地面が大きく揺れたということもあって、何か静まってほしいなという気持ちもありました。


−能登の震災の風化が進んでいます。羽生さんが滑ることの意味があったと思います。あらためて思いを聞かせて下さい。


羽生さん 僕ら、3.11のこともそうですけれども、どんどんどんどん、首都圏から離れているからこそなかなか報じられることもないですし、進展があればまた1つニュースになったりすると思うんですけど、なかなか復興が進みにくい場所、また道路に関してもすごくすごく道路の交通制限みたいなものが普通の場所よりも大きいということなので、大変なんだろうなということを、僕自身ニュースとか実際に足を運んだ時にも思いました。なかなか風化に対して僕らが何かすることは難しいんですけれども、でもそれでも、先ほど言ってた僕は震災の支援をしたいと思って、やっぱりオリンピック2連覇したいと思ったので、この2連覇というものを使って、いい意味でこの知名度みたいなものを使って、今回配信のチケットを買ってくださった方々もそうですし、少しでも、お金もそうですし、注目もそうですし、ちょっとでも、ちょっとでも力になれればいいなと思います。


−実際に被災地に行かれたと聞いてます。中学生とも交流されたと伺ってます。その際にどのようなお声かけられたんでしょうか。


羽生さん ニュースとか新聞とかでは、画面だったり紙面だったりとかでは、現状みたいなものを何度も見る機会はあったんですけど、実際に生で見た時の、こんなにもこのまま残ってしまっているんだっていう生々しさみたいなものは、とても衝撃を受けました。僕が進んでいる、進んでないに関して何か深いコメントを言えるわけではないんですけど、どうしても傷痕っていうものは、すごく生々しく残っていたなという気持ちはありました。地元の方々も、何か時が止まっているというか、「ここでこんなことがあったんだよね」っていうことをいまだにそこに行くたびに思い返してしまうというか、「ここが壊れてしまったんだな」ということを思い返してしまうようなことをおっしゃっていたり。「ここに行きたくない」っていうことをおっしゃっていたとも聞いて。何かすごく胸に刺さるものが、痛むものがあったなと思いました。


子供たちに会った時にすごく言ったのは、どんなに辛いことがあっても、いずれ時が来れば何かはしなきゃいけない。どんなにやりたくなくても、どんなに進めなかったとしても、締め切りが来たら結局は進まなきゃいけない。そんなことを言いました。なんだろう、もう震災たってから半年以上過ぎて、何ができるかとか、どんなことが進んでいるかとか、いろんなことを考えると思いますけど、来る時は来るし、来ない時は来ないから、もうしょうがないって思うしかないところもありますし。でも、そのしょうがないの中に、笑顔とかその時の一生懸命がいっぱい詰まってたらいいなって。


−配信という形でも石川で滑ることを大切にされた理由を教えてください。


羽生さん そもそも配信という形を取った時に選ぼうと思えば、他の地域で滑るということも可能でしたし、ほんとにいろんなことをしようと思えばできたとは思います。ただ、やはり僕はなるべく辛かった方々、いま現在辛いと思っている方々、いろんなことで悩んでいる方々の近くでやっぱり滑りたいと思いました。その地域の力みたいなものとか、現場の空気みたいなものって僕らすごく感じながら滑るので、そこの空気の大切さとか、ちょっとでもこの場所から波動として、ちょっとでも空気が動いて、皆さんの元に届けと思いながら、配信でも滑らせていただきました。

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