インボイス制度の導入により、デジタル化が進んでいた企業の経費精算業務が、紙ベースに逆戻りする事態が発生している。
日本CFO協会の調査によると、企業の86%が「業務が面倒になった」と回答。キャッシュレス決済でも紙の領収書が必要となり、政府が推進するデジタル化に逆行する事態となっている。同協会は実態調査の結果を踏まえ、9月に公共料金などでの規制緩和を求める提言を発表した。
提言では「電気・ガス・水道や鉄道など公共性の高い事業者からの領収書については、インボイスの要件を緩和すべきだ」と指摘。さらに事業者登録番号の確認頻度を年1回に抑えることなども求めている。
政府のデジタル化推進と、税の公平性を重視するインボイス制度の規制が相反する中、制度の見直しを迫る声が強まっている。
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●キャッシュレス後退の「知られざる事情」とは?
2020年、企業の経費精算の現場で「領収書がいらない時代」が始まった。電子帳簿保存法の改正により、法人カードなどキャッシュレス決済であれば、データ連携できる場合に限り領収書の保存が不要となったためだ。企業のデジタル化を後押しする改正として期待を集めた。
しかし2023年10月のインボイス制度開始で状況は一変する。「キャッシュレス決済でも、領収書をもらい、事業者登録番号を確認し、税率区分をチェックする作業が必要になった」と日本CFO協会の中田清穂主任研究委員は指摘する。同協会の調査では、経費精算業務が「面倒になった」「どちらかと言えば面倒になった」と答えた企業が86%に達した。
特に深刻なのが公共料金の扱いだ。電気・ガス・水道料金などの支払い明細には事業者登録番号が記載されていないケースが多く、企業は別途インボイス対応した領収書を入手する必要がある。「毎月の請求に対して、Webでの明細と紙の領収書の二重管理を強いられている」と今回の調査に協力した経費精算システム大手、コンカーの舟本憲政ソリューションマーケティング部部長は話す。
この状況は企業の生産性向上の足かせとなっている。「人口減少下で生産性を上げなければならない日本において、時代と逆行する変化が起きている」と舟本氏は危機感を示す。電子インボイスへの対応も始まっているが、現状では請求書の領域が中心で、日常的な経費精算の現場での活用には至っていない。
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企業側の負担も大きい。毎月の経費精算の際、経理担当者は事業者登録番号が有効かどうかの確認作業を強いられる。「取引先が免税事業者に変更していないかの確認まで求められる現状は、企業に過度な負担を強いている」と中田氏は指摘する。政府が進めるデジタル化と、インボイス制度による新たな規制の矛盾が、企業の経理現場に重くのしかかっている形だ。
●相反する2つの法制度
今回の混乱の背景には、電子帳簿保存法とインボイス制度という、異なる目的を持つ2つの法制度の相克がある。会計帳簿などの電子保存を認める電子帳簿保存法は、十数年かけて何度も改正を重ねてきた。政府のIT化推進という大方針の下、企業の生産性向上を目指し、段階的に規制緩和を進め、使いやすい制度に姿を変えてきたのだ。
法人カードの利用データを領収書の代わりとして認める2020年の改正は、その一つの到達点だった。骨太の方針でも掲げられたデジタル化推進の流れに沿った改正だ。
一方、インボイス制度は税の公平性確保を目指して導入された。取引の正確な消費税額と消費税率の把握を目的に、これまで必須ではなかった領収書をエビデンスとして保管することが求められる。利便性の向上とは全く異なるベクトルで生まれた制度だ。
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結果として、電子帳簿保存法で認められたデジタル化の取り組みの多くが、インボイス制度の要件を満たせない事態となった。「制度設計の段階で、これまでのデジタル化の流れとの整合性が十分に検討されなかった」というのが、日本CFO協会の見方だ。
●POSと決済 分断されたシステム
なぜインボイス制度では、キャッシュレス決済でも紙の領収書が必要なのか。その理由は、店舗の決済システムの構造にある。
一般的な店舗では、商品の売上情報を管理するPOSレジと、クレジットカード決済を処理する決済端末が別々のシステムとして存在する。POSレジには商品名や価格、税率、店舗の事業者登録番号など、取引に関する詳細な情報が保存されている。一方、決済端末からカード会社に送られるのは、合計金額と加盟店情報程度だ。
「カード会社から企業の経費精算システムに送られてくるデータには、インボイスに必要な情報が含まれていない」と舟本氏は説明する。税額や税率、事業者登録番号といったインボイス制度で求められる情報は、決済データには入っていない。そのため、別途領収書を入手しなくてはならなくなる。
この仕組みを変更するには、POSレジと決済端末を完全連携させ、全ての情報をカード会社経由で送れるようにする必要がある。全国約759万の加盟店の決済端末を更新し、通信回線も増強しなければならない。そもそもクレジットカードの標準とも異なる仕組みを作ることも必要だ。
結果として、インボイス制度の要件を満たすには、紙の領収書を別途受け取る以外に現実的な選択肢がなくなったわけだ。
●公共料金から規制緩和を 特例拡大に期待
こうした課題に対し、日本CFO協会が提案するのは段階的な規制緩和だ。まず第一に、電気・ガス・水道や鉄道会社など、公共性の高い事業者からの領収書については、インボイスの要件を緩和するよう求めている。
「誰が考えても課税事業者であることが明らかな事業者については、領収書なしでの経理処理を認めるべき」だと中田氏は訴える。実際、公共交通機関の利用については、3万円未満の支払いであれば領収書不要とする特例が既に存在する。「この特例を公共性の高い事業者全般に広げることで、企業の事務負担は大きく軽減される」
第二の提案が、事業者登録番号の確認頻度の緩和だ。「取引先が免税事業者に変更していないかどうか、毎月確認する現在の運用は現実的ではない」と中田氏。年1回の確認で十分とし、仮に年度途中で取引先が免税事業者になった場合は、税務調査で指摘された時点で対応するやり方でもいいのではないか。
財務省は、インボイス制度の基本原則である税の公平性確保を重視する立場だ。しかし、制度による事務負担増は企業のコストを押し上げ、法人税収の減少にもつながる。税収面でも、制度の部分的な緩和による影響は小さいとの見方が多い。
「電子帳簿保存法も、十数年かけて何度も改正を重ねてきた。インボイス制度も実態に合わせた見直しが必要だ」。制度開始から1年、CFO協会は実務の現場から改善を促している。12月の与党税制改正大綱には間に合わない見通しだが、デジタル化推進と税の公平性確保の両立に向け、2025年にかけての制度見直しが課題となる。
(金融ジャーナリスト 斎藤健二)
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