isutaでは今週も、SUGARさんが贈る週間占いを配信。
2025年上半期の占いも公開しているので、ぜひ併せてチェックしてくださいね♡
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illustration by ニシイズミユカ
新たな数式を生まねばならない
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今週のおひつじ座は、実現不可能な理想に向かって、もはや後戻りできないような仕方で跳躍していこうとするような星回り。
精神医学者の木村敏は、『時間と自己』の中で統合失調症患者がどんな時間感覚をもって生きているのかという点について、「いつも未来を先取りしながら、現在よりも一歩先を生きようとしている」と表現しています。
しばしば統合失調症患者が訴える妄想も、誰かが自分に危害を加えることが現時点で確定しているからではなく、むしろそうであるかも知れない未来の兆しを読み取り過ぎているからだという風に理解できるわけですが、こうした統合失調症患者に見られる未来先取り的な時間意識のことを、木村は「アンテ・フェストゥム(祭りの前)」と呼びました。
今週のあなたもまた、目前の現実をぴょーんと飛び越えていくような‟弾み”がついていきやすいでしょう。
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生ける水となりゆくの
今週のおうし座は、「海に入ることを急がず春の川」(富安風生)という句のごとし。あるいは、深い安らぎを保てるようなペース配分に立ち返っていこうとするような星回り。
俳句批評の第一人者であった山本健吉によれば、同時代の俳人たちが本業の傍らで俳句に鬼気迫るような打ち込み方をしていたのに対し、富安風生の俳句には「どこまで行っても、余技としてたしなむ遊俳の感じがつきまとう」ところがあったのだとか。
それは、作者の句風が読者に何が何でも自分の見ているものを分からせようと肩ひじ張りすぎることなく、どこかたゆたうような春の川のゆったりとした流れに同調しながら、読者に事細やかに分からせようとすることを意図的に控えることで、かえって読者のほうで意味が自然に広がっていくことを大切にしていたようにも感じられます。
今週のあなたもまた、富安風生特有の「遊俳の感じ」を自身にも取り入れてみるといいでしょう。
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illustration by ニシイズミユカ
島の可能性の話
今週のふたご座は、イースター島についてのグルニエの注釈のごとし。あるいは、人間の究極的な孤立をめぐる寓話を体現していくような星回り。
ジャン・グルニエはエッセイ集『孤島』の中で、キャプテン・クックの綴った『航海記』を引用する形でイースター島について描写し、さらにそこに自身がつむいだ物語とは直接関係のない、下記のような注釈を加えました。
人は島ileのなかで、「孤立isole'」する(それが島の語源isolaではないか?)。一つの島は、いわばひとりの「孤独の」人間。島々は、いわば「孤独の」人びとである。
おそらくグルニエは、太平洋の最果てに浮かぶイースター島のような孤島や孤島的状況を、決して孤独や封鎖の隠喩と見なしていた訳ではなく、大陸からの分離と再誕生の文脈で、人間にとって始原的な再創造に向けての特別な場として捉えていたのでしょう。
今週のあなたもまた、新しい誕生を産み出し続ける「島」の可能性にみずからを重ねていくことになるはず。
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illustration by ニシイズミユカ
真実味にもとづく時刻修正
今週のかに座は、「時計屋の時計春の夜どれがほんと」(久保田万太郎)という句のごとし。あるいは、必要以上に根深く自身に浸透してしまっていた怪しげな魔法や偏見から解放されていこうとするような星回り。
軽い冗談のような一句なのですが、「春の夜」からにじみ出てくる、どこかかすみがかった柔らかい浮遊感のようなものが効いて、現実と虚構との境い目がうすれた時の臨場感がなまなましく伝わってくるようです。
掲句にひもづければ、みんなバラバラの時間をさしていても、誰もそれにツッコまないどころか、「本当の時間」を知ろうとも、ズレた時計を修理しようともしなくなってしまったのだとも言い換えられるかもしれません。
今週のあなたは、そんな不感症気味な世の風潮に知らず知らず引っ張られていた自分をリセットしていくような流れが、不意に出てきやすいでしょう。
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ぼけにぼけを重ねてみる
今週のしし座は、「日常のごくささいな死の欲動」という言葉のごとし。あるいは、「取り返しのつかないことをする」経験の後に、視界の色彩がよみがえっていくような星回り。
誰しも子供の頃や思春期の頃には、これをやったらまずいんじゃないのかなあと思いつつ、ついやりたくなってしまったというような記憶のひとつやふたつはあるのではないでしょうか。
個人的には、台風が来るたびに自転車にのって地元で一番大きな坂の上までいって、雨が降るなか全力で駆け下りたものだったし、ほぼ毎日通っていた小学校の廊下にあった火災報知器のボタンも、一度だけ発作的に押してしまったことがありました。
雨上がりに通る坂はいつもより輝いて見えたものだし、ジリリリリリという耳をつんざくような警戒音が鳴っていない廊下は平穏そのものでホッとしたもの。
今週のあなたにもまた、‟いつもの日常”を飛び越えて「あちら側」へ突きぬけてしまうような瞬間が訪れていきやすいでしょう。
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平穏無事で生きている、私たち
今週のおとめ座は、「いずこより来たるいのちと春夜ねむる」(細見綾子)という句のごとし。あるいは、阿呆になる瞬間をみずから呼び込んでしまうような星回り。
おとめ座の人たちというのは、みずからの手の届く範囲内をきれいに整理整頓し、秩序をもたらしていこうという衝動が人一倍強いですが、だからこそ、時に手に負えないようなカオスに取り囲まれてしまったり、みずからカオスのなかに身を投げ入れていきたくなるような衝動に駆られてしまうところもあるはず。
今週のあなたもまた、そうしたいつもの、ないしあるべき自分への反動のような衝動に拍車がかかっていきやすいでしょう。
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当り前のことを問い、応えようとすること
今週のてんびん座は、『論理哲学論考』に秘められた呪力のごとし。あるいは、みずからの言葉の限界と、それでも感じずにはいられない神秘とのあいだで、深い沈黙にとらわれていくような星回り。
一見するとその意味するところがよく分からない、まるで呪文のような言葉に、どういうわけか、人は激しく胸を揺さぶされることがあります。
特に、この世のどこにも自分のいるべき場所を見出すことができずにいたり、ささやかな居場所を守るべくほとんど身悶えせんばかりに苦闘している時などは、ほとんど救済の言葉のように感じられるかもしれません。
今週のあなたもまた、他者に向けた言葉を豊かにすることより、自身と内なる神とのあいだにほとばしる言葉にならない何かにスーッと焦点が合っていきやすいはず。
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苦しみと喜びの比率の美
今週のさそり座は、「菫ほどの小さき人に生れたし」(夏目漱石)という句のごとし。あるいは、誇りを失わずに自分の立場や役割をまっとうしていこうとするような星回り。
掲句は、留学先のイギリスで心を病んだ夏目漱石が帰国後に、大学の講師をしていた頃に詠んだもので、野の片隅でひっそりと咲いている菫が、それでいて凛として咲いている姿を見て、そっと自分を重ねたのでしょう。
この菫ほどの小さい人に生まれたいという願いのうちには、英文学者としての『ガリバー旅行記』の知識や、留学先で身長の大きな欧米人と比較された記憶が頭のどこかにあったのかも知れません。
とはいえ、ここではあまり小難しく考えて解釈に凝るよりも、確かに小さくはあるけれど、出しゃばらない美しさをたたえた人間でありたいという素直な思いのあらわれとして読んでおきたいところ。
今週のあなたもまた、誇りをもって世の片隅に咲いていくべし。
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にわかに現実が神話化するとき
今週のいて座は、フォンテヌブロー派の裸婦に隠された素顔のごとし。あるいは、自身の秘められたルーツや霊的系譜から、改めてエンパワーメントされていくような星回り。
16世紀フランス・ルネサンス期に宮廷で活躍した画家のグループであるフォンテヌブロー派は、とりわけ女体への強迫観念に憑りつかされていました。
「冷たいエロティシズム」とでも呼ぶべきその独特の官能性は、ルーツをたどればローマ神話に登場する狩猟と貞節と月を司る残酷な少女神ディアーナないし、ギリシャ神話のアルテミスにまでさかのぼれるはず。
いや、ギリシアの先住民族の信仰(原始宗教)を古代ギリシア人が取り入れたものでることを考えれば、ディアーナ=アルテミスとは人類の意識が明晰な秩序と合理的な知性をもつようになる遥か前の、ある種の地母神であり、魔女の始祖だったのではないでしょうか。
今週のあなたも、自身の中に眠っているディアーナ=アルテミス性が不意に目ざめていきやすいでしょう。
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緊張から脱力へ
今週のやぎ座は、「寝仲間に我をも入(いれ)よ春山(はるのやま)」(小林一茶)という句のごとし。あるいは、張りつめていた神経や体がそっとやわらいでいくような星回り。
あまり広くもない雑魚寝用の部屋があって、そこには昼間からごろごろしている数人の「寝仲間」がいた。
さあさ、自分も空いているところにごろりと横たわって、春の陶酔的な気分に浸ってしまおう。それで嫌なことや面倒なことのあれやこれやを、すっかり溶かしてしまえばいい。
ただし、それには一緒にぼんやりできるような「寝仲間」が必要で、からだがぎりぎり接しない程度のふれあいが鍵となる。
今週のあなたもまた、そんな条件がそろうような機会や場所をおのずと求めていくことになるはず。
続きはこちらから 今週のみずがめ座の運勢illustration by ニシイズミユカ
情念体操
今週のみずがめ座は、『蜻蛉日記』の冒頭のごとし。あるいは、耳ざわりのいい夢物語なんかじゃなくて本当のことを記すわよと宣言していこうとするような星回り。
「藤原道綱母」という女性が、あの藤原道長の父で、今でいう上級国民のそのまたトップ層である藤原兼家のもとへ嫁いだ日々を綴ったものなのですが、誰もがうらやむ玉の輿に乗った生活は、一体どんなに素敵なものなのかと思って読んだら大間違い。
平安の宮廷社会では一夫多妻制の通い婚が普通で、日記の書き手はその何番目かの妻でした。兼家ははじめこそ甘い言葉を吐いていましたが、すぐに他の女に気を移し、次々と通いどころを広げていくかと思えば、たまにご機嫌取りにやってくるなど、「藤原道綱母」は見事に婚姻制度に振り回され、あれしてくれないこれしてくれないと、約20年にもわたって夫への不満や恨み、憎しみを育てていったのです。
今週のあなたもまた、自身の中にうずまく負のエネルギーを活動の原動力へと変換してみるべし。
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今週のうお座の運勢illustration by ニシイズミユカ
ひらりふわりと
今週のうお座は、「一斉に客の帰りし朧(おぼろ)かな」(塩谷康子)という句のごとし。あるいは、「われわれは夢と同じ素材でできている」というシェイクスピアのセリフを思い起こしていくような星回り。
「もうこんな時間…」「あっ、僕はそろそろ失礼します」「同じ方向でしたよね、じゃあ私も一緒に…」などと言い合って、さっきまでわが家で楽しく騒いでいた面々が申し合わせたかのように一斉に帰っていきました。
淋しいような、ホッとしたような気分に襲われつつ、一転して静まり返った室内を見渡して、ふと「朧だったのかな」と思ったのか、それでもあまりに現実味がなさすぎて、口に出して言ってみたのか。その瞬間の、そら恐ろしいほどの浮遊感と希薄さと言ったら。
そうして日常に戻り、一晩の記憶がすっかりうすれてしまった後も、精神の底にながれる根本情調のなかに「朧かな」の一言はどこか残り続けるのではないでしょうか。
今週のあなたもまた、そんな予感めいたコトバがふっとどこかから湧いて自分のもとへ降りてくるかも知れません。
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