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再開発に成功した街は? そう問われたら、私は迷わず「下北沢」と答える。
下北沢では2010年代の後半から複数の再開発事業が行われており、2025年度末の駅前ロータリーの整備で、そのほとんどが終了する予定だ。まだ計画の途中ではあるが、再開発の「成功例」として取り上げられることが多い。例えば、NHK取材班が全国で進む再開発の現状を追った『人口減少時代の再開発:「沈む街」と「浮かぶ街」』では、今後の再開発のあるべきモデルとして下北沢が紹介されている。
下北沢の再開発はどのように進められたのか。成功要因はどこにあり、それを他の街で展開するにはどうすればいいのか、分析してみよう。
●下北沢に行ってみた
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まず、再開発の現状を探るため、下北沢に足を運んだ。地下深くにホームがある小田急線の駅を降りると、駅前広場には若者がかなり集まっていた。
駅のすぐ近くには「シモキタエキウエ」や「ミカン下北」という商業施設がある。これらの特徴は、高層ビルではないこと。近年の再開発では、駅前に高層ビルが建てられ、そこにオフィスや商業施設などのテナントが入ることが多い。しかし、下北沢はそうではないのだ。
さらに、歩いていて気付くのが“座る場所”の多さだ。ミカン下北は入り口の階段に座れる場所があり、そこに座っている若者も多い。再開発が進みながらも、座れる場所が激減している渋谷とは大きく異なる。
その他、敷地面積約2万7500平方メートルの線路跡地を開発した「下北線路街」には、13の施設が整備されている。そこには、さまざまなテナントが入った「BONUS TRACK」や「reload」など、チェーン店がほとんど入居しない、個性的な商業施設が立ち並ぶ。
これらはほとんどが2階建てだ。低層であることで、下北沢に昔からある商店街の景観とも自然になじみ、街にうまく溶け込んでいる。見上げる必要のない“人間サイズ”の街で、歩いていて楽しいと感じた。
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●「若者の街」下北沢の再開発はどのように進んだか
下北沢が「若者の街」として認識され始めたのは、1970年代ごろからだ。1975年にはライブハウスの下北沢ロフトがオープン。1982年には本多劇場が誕生し、バンドマンや演劇人が集うようになる。
そんな下北沢の魅力は、小さな路地がひしめき、個性的な商店や飲み屋が集まっていること。バンドマンや演劇人はそこに集まり、芸術談義に花を咲かせた。ただ、それが街の魅力につながる一方、防災面や利便性の低下も指摘されていた。
特に問題となったのは、交通の利便性の低下だ。駅周辺の「開かずの踏切」は有名で、1時間のうち40分以上は遮断機が下りていることもあったという。こうした事態を受け、2000年代初頭に小田急線の地下化の議論が持ち上がり、それとともに東京都は幅26メートルにわたる巨大な道路を作ると発表した。
しかし、これに地元住民や下北沢にゆかりのある文化人たちが反対した。下北沢の利点は街歩きのしやすさであり、大きな道路を作ることによる回遊性の低下を懸念してのものだった。この反対運動は行政訴訟も引き起こし、地元住民らの粘り強い交渉の末、東京都は計画を一部取り下げた。
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その後、小田急線が地下化された後に誕生したスペースの再開発は、地元住民と小田急電鉄による「北沢PR戦略会議」(現在のシモキタリングまちづくり会議)での徹底した話し合いの中で進められ、先ほど説明した「下北線路街」の元になった。近年の再開発にしては珍しく、高層ビルが建設されていないのは、こうした話し合いの中で、地元住民の意向が計画に多分に反映されたからだ。
●新しい下北沢を生み出した2つの要因
では、下北沢のような「一味違う再開発」はどのようにして生まれたのだろうか。そこには2つの要因がある。
1つ目は、再開発の事業者である小田急電鉄が採用した「支援型開発」と呼ばれる手法だ。トップダウンで街を作るのではなく、あくまでも小田急電鉄側は地元住民の意向に対して「支援」を行うというスタンスを取った。地元住民たちの街に対する意向をヒアリングした上で、彼らの望む街を形にしていったわけだ。
前述のNHKの取材によれば、その中には「チェーンストアはいらない」「街に緑を増やしたい」などさまざまな意見があり、それらが集約された再開発プランが作られた。その結果、再開発された区画には大手チェーンはほとんど入っておらず、緑化なども大胆に行われている。
2つ目は、物理的な制約だ。再開発で高層ビルを建てれば、それだけ床面積が増えてオフィスや商業施設を入居させられ、収益性が上がる。しかし、下北沢の場合、こうした再開発でよくある収益の上げ方が難しかった。下北沢駅周辺は地下に線路がある。そのため、建物の基礎を深く掘れず、高層ビルを建てることが難しかったのだ。
NHKの取材に対し、開発を担当した小田急電鉄の向井隆昭氏は「高さのある建物を作れない=収益性はあまり高くないと考えていました。さらに、大手のチェーン店や大手スーパーへのヒアリングで、需要が見込めないので出店できないという回答もあり、正直どうすべきか悩んでいました」と述べている。
このような制約の中で、どのように収益を確保しつつ開発を進めるか。そこで小田急電鉄が生み出したのが、1つ目に挙げた「支援型開発」だった。物理的な制約が地元住民との対話を生み出し、他の場所とは異なる再開発の風景を作ったのである。
●長期的な視点で収益を考えることの重要性
小田急電鉄は企業であるため、収益性が低いと考えられていたとしても、再開発である程度の利益を上げる必要がある。この点について、向井氏は次のように述べている。
「一般的な分譲では、1回だけお金をかけてそれを一度で回収するというモデルではありません。定性的な価値を生み出し、鉄道にも乗ってもらい、住み続けてもらうことが必要です。地元の方は下北沢への愛着が増し、我々としては事業の収益性が上がるというWin-Winの関係が築ける可能性はあると思っています」(NHKの報道より)
つまり「収益を上げる」と一口に言っても、下北沢の場合、高層ビルを建てて店舗やオフィスを増やし、すぐに利益を得ようという考え方ではないのである。まずは「街への愛着」を醸成し、それが巡り巡って持続的な収益につながる。そうした、長期的な視野に立った収益性を考えているのだ。下北沢の場合、物理的な制約から、結果的にそうなったとはいえ、この「長期的な視点で収益性を捉える」ことは、他の街の再開発を考える際にも有用だろう。
都市計画研究者の吉江俊氏は『<迂回(うかい)する経済>の都市論』(学芸出版社)の中で、高層ビルを建て、すぐにコストを回収するような「目的に向かって最短で利益を上げていこう」とする都市開発の方法を「<直進する経済>の都市」と呼んでいる。こうした考え方で行われる再開発は、短期的には利益を上げられるかもしれない。しかし、長期的な視点で見ると、本当に良いことなのか、ひいては企業の継続的な利益につながるのかの判断は難しい。
そこで吉江氏が提唱したのが、開発に手間がかかったり、すぐには利益が出なくとも、長期的な視点で利益が出るように開発を行う「迂回する経済」による街づくりの重要性だ。例えば、商業施設をテナントで埋め尽くすのではなく、あえて広場を設けて人が滞留できるようにする。短期的にはテナントがたくさんあったほうが利益が出るかもしれないが、長期的に見ればそこに人が集い、愛着が生まれるほうが、エリア全体の価値が上がる。
下北沢の場合もこの考え方が当てはまる。低層の建物に入れるテナントは限られており、短期的には利益にはなりにくい。しかし、そこに人々が集まり、やがて親世代となったときに子どもを連れて再び訪れる……そうした循環が生まれれば、長期的に「稼げる」ことになるのだ。
●銀座のソニーパークに見る、長期的な視点
私が見る限り、この「迂回する経済」の視点を生かした開発案件は徐々に増えていると思う。例えば、1月に誕生した銀座の「ソニーパーク」。「パーク」と名前が付いている通り、建物自体にはテナントがほとんどなく、銀座の街と溶け合った公園のような空間を目指している。館内のほとんどは無料で楽しめる。
気になるのは収益性だ。ソニーパークはそこで展示を行う企業などから、フロアの利用料や壁面への広告料という形で収入を得ている。その多くはソニーグループ各社からのものだ。
具体的には、ソニーグループが自社に所属するアーティストとのコラボ展示を行い、ソニービルに対して利用料を払っている。訪れたファンが、後にそのアーティストのライブチケットやCD、DVD、グッズなどを購入し、その収益によってコストを回収する仕組みだ。展示は無料で見られるため、そこをふらりと訪れた人が、そのアーティストの未来のファンになって先々でお金を落としてくれるかもしれない。現在や未来のファンが「落とすかもしれないお金」という視点で収益性が考えられており、「迂回する経済」の代表的な建物だといえよう。
下北沢しかり、銀座のソニーパークしかり、こうした再開発や建物が多く出てくれば、東京の様子は少しずつ変わってくるかもしれない。そうした未来を考える上でも、下北沢の再開発から学べることは多い。
著者プロフィール・谷頭和希(たにがしら かずき)
都市ジャーナリスト・チェーンストア研究家。チェーンストアやテーマパーク、都市再開発などの「現在の都市」をテーマとした記事・取材などを精力的に行う。「いま」からのアプローチだけでなく、「むかし」も踏まえた都市の考察・批評に定評がある。著書に『ドンキにはなぜペンギンがいるのか』他。現在、東洋経済オンラインや現代ビジネスなど、さまざまなメディア・雑誌にて記事・取材を手掛ける。講演やメディア露出も多く、メディア出演に「めざまし8」(フジテレビ)や「Abema Prime」(Abema TV)、「STEP ONE」(J-WAVE)がある。また、文芸評論家の三宅香帆とのポッドキャスト「こんな本、どうですか?」はMBSラジオポッドキャストにて配信されている。
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