災害報道に意見を交わした有働由美子アナ (C)ORICON NewS inc. フリーアナウンサーの有働由美子が24日、都内で行われた『防災新視点サミット』に出席。「釜石の新時代とともに考える防災新視点」をテーマとしたパネルセッションに参加した。
【写真】スクリーンを使用しながら意見を交わす有働由美子 イベントでは、岩手県・釜石市の小学校5年生・佐々木智桜さんや、その母で『いのちをつなぐ未来館』のスタッフ・智恵さん、ラグビー元日本代表で東芝ブレイブルーパス東京アンバサダー大野均氏らと防災の課題や事例について意見を交わした。
NHKで27年、そしてフリーアナウンサーとして7年報道に携わってきた有働だが、最初に震災の報道に関わったのは入社4年目の阪神淡路大震災だった。それから報道の現場で災害について生放送で情報発信する中で「本当にテレビを通じて救えることができる命があるのかどうか、非常に悩んでまいりましたし、悩んでる途中です」と話す。
そんな中、現地を取材したうえで東京から災害の情報を発信して感じることは「やっぱり東京から出す被災地の情報って“ズレている”」と考えを明かす。
「震災直後は“早く逃げて”なんですけど、2,3日経つと、現地で必要としている情報は『トイレが足りません』とか『おむつがありません』とかになってくる。だけど東京から放送するのは、もっと大きく崩れたところがあるんじゃないかとか、新しい被害があるんじゃないかとかになってくる。現地の方からは、被害の状況を事細かに伝えるよりは、今欲しいものは何か、どうしたら手に入るのかを伝えて欲しいと言われ、そこの“ズレ”の中で、誰に、何を、いつ、どういうふうに伝えればいいのか、阪神淡路大震災のときの取材で泣きながら探していたんです」と語った。
さらに「東京から取材に行くと、現地で2、3日取材して帰ってくるんですけど、わかったようで絶対わかってないと感じた」といい、フリーになった直後に東北の海岸沿い1000キロを車で走り、1つの町村で必ず1人には話を聞く取材をしてきたという。「点ではなく線で見てみると、同じ海岸沿いでもこれが必要だ、これがまだ足りないとか、東京で伝えてるこの情報はいらないとか、そんなことを言われることもありました。地元の新聞社の記者が痛みを感じながら取材するのとは違って、東京から来て取材するということへの申し訳なさというか、罪悪感もあった」と話した。
そして現在は「(災害の際に)どう伝えるべきかを改めて学びたいと思った」と、このイベントにも参加した関谷直也氏(東京大学大学院 情報学環・学際情報学府 教授)から防災について学んでいるといい、これからも防災や報道について考え、情報発信していきたいと語っていた。