きっかけは「原爆がどこに」の声 元プロ野球選手・張本勲が語れなかった被爆体験【報道特集】

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2025年08月09日 20:34  TBS NEWS DIG

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戦後80年。広島と長崎に落とされた原爆についてお伝えします。戦争の実態を伝えるため、一部、 遺体の映像も流れます。
元プロ野球選手の張本勲さんは長い間、被爆体験を話してきませんでした。語り出したきっかけは、「原爆がどこに落ちたか知らない」という若者の声でした。

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「戦争を知らない」という言葉に語り始めたあの日

広島出身の元プロ野球選手張本勲さん(85歳)。

東映や巨人などでプレーし、首位打者7回。日本プロ野球史上初の通算3000本安打を達成した、屈指の強打者だった。

引退後も解説者として、歯に衣着せぬコメントで親しまれた張本さんだが、60歳を過ぎるまで誰にも語れなかったことがある。それが、あの日の広島での経験だ。

張本勲さん
「まず人肉の臭い、すごく臭い。何百人、何十人焼けただれていますから」

80年前の8月6日、原子爆弾が広島に投下された。爆心地周辺の地表の温度は3000度以上にも達し、爆風と熱線が町を焼き尽くした。犠牲者は約14万人にものぼった。(1945年末までに)
 
張本さんは当時5歳。紙一重で生き延びた。

張本勲さん
「友達と遊ぼうと思って、(自宅の)引き戸をひいて出た途端、本当にピカーと光ってドーン。これが広島でいうピカドンです。絶叫、苦しいんでしょうね。叫び声、辛いんでしょう。私たちの前、何十人も走って近くのどぶ川に飛び込んだ。全部死んだそうです」

半世紀以上が経ってから、その凄まじい経験を語り出したのはなぜか。

張本勲さん
「(テレビで)『戦争を知らない』『(原爆が)どこに落ちたの?』という人がいたんです」

半世紀以上も被爆体験を語れなかった理由

5歳の時、広島で被爆した張本勲さん。半世紀以上もその経験を誰にも語れなかったという。

――被爆者だとなかなか言えなかったのはなぜなんでしょう?

張本勲さん
「原爆症を持ってる男だと思われるのは嫌だし。うつりはしないけれど、子どもの頃、差別されたところを見ているから。言わないほうがいいだろうと」

「放射能がうつる」「子どもに遺伝する」。被爆者に向けられた、言われのない差別で、結婚が破談に至るケースも多かったという。

張本勲さん
「小学校に行って、ケロイド姿の先輩たちが何人もいた。父兄はわからないから『うつるから近寄るな』と」

身体に浴びた放射能への恐怖も、ずっと消えることはなかった。

張本勲さん
「2キロ以内でまともに被爆をうけてましたから。ひょっとしたら私もそのうち原爆症がでるのではと。プロ野球選手だったけれど、常にその思いは消えなかった。

1年に1回球団で診察(健康診断)がある。1週間前から心配でしたよ。咳をしたり、胃がおかしいなと思うと、やっぱり原爆症を思い出すんです。途中までは、それが怖かったです」

――そういったことがプレーに影響は?

張本勲さん
「忘れてます。プレーする時は必死ですから。来る球をなんとか強く、正確に打つ、この2点しかないから一瞬忘れます」

引退後も、被爆体験を誰にも話すことはなかった。ところが、60歳の頃、テレビで若者が原爆について話す場面に衝撃を受けた。

張本勲さん
「(テレビで)『戦争を知らない』『(原爆が)どこに落ちたの?』という人がいたんですよ」

――原爆がどこに落ちたか知らない?

張本勲さん
「そういう人がいたんですよ。びっくりして、『こんな人が日本にいるのか』と思って。原爆を受けた人間にしたら。この国はだめになると思って。これはだめだと。若い人にもちゃんと語り継いでいかないといけないんだと」

語り始めた被爆体験。それは壮絶なものだった。

「焼けただれて、顔も体も」張本さんが語る壮絶な被爆体験

自宅は爆心地からおよそ2キロ。小高い山の裏手にあった。張本さんと2歳上の姉は、母親にかばわれ無事だったが、母親はガラスの破片が背中に突き刺さり、大けがをした。

2日ほど経って6歳上の姉・点子さんが担架で運ばれてきた。

張本勲さん
「その姿を見て声がでませんでした。『これが俺のお姉ちゃんか』と。焼けただれて、顔も体も、お袋は愛娘をみながら、お袋も声もでませんよ」

点子さんは、 爆心地近くで被爆し、全身に火傷を負っていた。

5歳の張本さんが、優しかった姉のためにできたのは、ブドウのつぶを口元にあててあげることだけだった。 

張本勲さん
「それくらいしか私のできることはないんですよ。(ぶどうの粒を)取って口元に当てるんですけど、水(果汁)が出たか、出なかったか、記憶がありません」

――お姉様の表情とか覚えていますか?

張本勲さん
「覚えていませんね。表情よりも、焼けただれていますから。ケロイド状に焼けただれてましたからね。お袋は、介護するにも介護のしようが無い。医者はいない、薬はない。自分の衣類を半分引きちぎり、水に浸して、首筋を冷やしてあげる。

姉は死ぬまで、『お母ちゃん、苦しいよ、痛いよ、あついよ』と言ったそうですよ。10歳上の兄貴が、泣きながら私に言ったことがあるんです。私も思わず、『お母ちゃん、お姉ちゃん』と言って大きな声で泣いたのは、昨日のように覚えています」

そして、点子さんは息をひきとった。

――お母様とかご家族で原爆の話をしましたか?

張本勲さん
「しませんね。姉の話も一切しません。形見、一切残しませんでした。兄が小さい写真を持っていたんですが、それも全部焼き捨てました。思い出したくないんでしょう。私はそういう話をほとんどしませんでした」

「8月6日を忘れてほしくない」張本さんの背中を押した少女からの手紙

辛い経験を語り始めた張本さん。それでも足を踏み入れることができない場所があった。被爆の実相を伝える原爆資料館だ。

張本勲さん
「資料館の前で、あの100メートルの道路の前で、手が震えて悔しくて。何回もその前まで行ったんです。悔しくて手が震えて、『誰が、なんで、どうしてこんなことするのか』と思って入れなかった」

転機となったのは、66歳の時。大分県の小学6年の少女から届いた一通の手紙だった。

張本さんが新聞のインタビューに「8月6日は大嫌い」「5日の次は7日にしてほしいぐらいだね」と語ったことに、少女は――

 少女の手紙
「私は張本さんに8月6日を忘れてほしくないです。なぜなら、私のように、原爆の本当のおそろしさを知らない人はきっとたくさんいると思います」

張本勲さん
「はっとしました。逆でしょう、と。そんな悲惨な日を忘れてはいけない思います、と。子々孫々まで残すべきだと思います、という投稿(手紙)をもらった」

さらに、少女が修学旅行で長崎の原爆資料館を訪れたことを知ると…。

張本勲さん
「子どもが行くんだから、俺は何をしているのかと思って」

2007年4月、張本さんは初めて原爆資料館の中に入った。
 
黒焦げの三輪車や、焼けただれた人たちの写真。張本さんは時間をかけて、全ての展示に足を止めた。

張本勲さん
「行ってきましたよ。小一時間、一階、二階みたら涙なくて見られない。こんな小さなスカート、5歳か6歳の女の子のスカート。『ひどいことするな』と言ったら、係の人が『これ小学生じゃないよ、高校生のスカートだよ』と。何千度で焼くんですからね。改めて悲惨さを思い出した。悲しかったけれど、悔しかったけど、しっかりみて、またいこうと思って」

張本さんは記憶をたしかめるように、その後、原爆資料館を度々訪れるようになった。 

張本勲さん
「この洋服見てください。熱かっただろうに、苦しかっただろうに。こんなに小さくなって」
「姉さんを思い出す、このケロイドをみると」

19年前、張本さんに手紙を出した少女・松本利佳子さんは、いま30歳になった。 当初、手紙を書いたことを後悔した時もあったという。

 松本利佳子さん
「自分の一番身近な人を亡くす経験は、戦争でなくても苦しいこと。さらに人に話すというのは、より自分の中でたくさん考えたり、思い出さないといけない。それがやっぱりすごく辛いこと。重荷を背負わせてしまったのでは、という気持ちもあった」

だが、被爆体験を語り続ける張本さんの姿に、その思いは感謝に変わっていったという。

――12歳だった女の子に手紙を書いた、彼女も30歳になりました。(彼女からの手紙)読んでいいですか

張本勲さん 
「30歳になった。どうぞ」

 松本利佳子さんの手紙
「私が戦争を知らずに、平和を当たり前のように思うことができるのは、張本さんをはじめとする戦争を経験された方々が、戦争について伝え、平和な日本を守ってきてくださったおかげです。私にできることは小さなことですが、これからも身近な人たちと戦争について学び、平和について考え続けていきます。8月6日を忘れずに伝え続けてくださり、本当にありがごうございました」

張本勲さん 
「また帰って読み直して、お礼状を書いておきます」

戦後80年の8月6日。松本さんが通っていた大分県日田市の小学校で、黙祷がささげられた。

8月6日を登校日にして、原爆と戦争を考える。平和学習の一環として、大分県のほぼ全ての小学校で50年以上前から続く取り組みだ。

張本勲さん
「若い人に『絶対に人間の世界では戦争はだめだ、殺し合いは一番やってはいけないことだ』ということを語り継いでもらいたい。なぜならば、明日はあなたがそうなるかわからないから、ということを言いたいんですよ」

このニュースに関するつぶやき

  • 原爆、直後の被害、数年後の被害、子供への2次被害、そして、差別。 人間として、人類として、知っておくべき事だと、私は思う。
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