
顧客から寄せられる質問は、「製品の機能」「価格」「導入方法」など多岐にわたる。そして、営業担当が書くメールの内容はいつも同じだ。法務テック大手LegalOn Technologiesの角田望社長は、自ら営業メールを書きながら、この作業に疑問を抱いた。「同じことを何度も書いている。これは本質的に人間がやるべき仕事なのか」。1日に何通も似たようなメールを書き続ける光景は、どの企業でも日常的に見られる。
【画像を見る】実際のメール返信例。顧客からの問い合わせに対し、AIは1分以内に返信している。
だが、その「当たり前」にAIで挑む企業が現れた。同社が11月から提供を始める営業支援サービス「DealOn」は、顧客からのメールにAIが自動で返信する。下書きではない。人間の確認を経ずに、AIが直接顧客へメールを送る。
顧客との大切なコミュニケーションをAIに任せて本当に大丈夫なのか。同社には、その答えがある。自社の営業部門で7月から先行利用し、7割以上のメールで人の修正が不要だったという実績だ。「製品情報や価格の問い合わせなら、もう人がやる必要はない」。事業責任者の吉田晋氏はそう断言する。
しかし、疑問は残る。AIが間違った情報を送ったら、どうなるのか? 不適切な表現で顧客を怒らせたら?
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●なぜGmailのAIは「使い物にならない」のか
AIによるメール作成支援自体は、すでに身近なものになっている。GmailやOutlookには、AIが文章を提案する機能が搭載されている。返信ボタンを押せば「ご連絡ありがとうございます」といった定型文が自動で表示される。
しかし、多くのビジネスパーソンは、この機能をあまり使わない。吉田氏も同じだった。「Geminiの下書き機能を使ってみたが、使い物にならなかった」。顧客から製品の機能について聞かれても、AIは答えられない。価格を尋ねられても、AIは知らない。企業固有の情報を学習していないAIは、当たり障りのない一般論を返すだけだ。
DealOn開発責任者の丹野貴顕氏は、その限界をこう説明する。「Geminiは我々の製品を知らないので、答えられない。特に料金なんかは開示していないので」。一般的な知識しか持たないAIでは、企業固有の情報に基づいた返答はできない。
「下書き」と「自動返信」の間には、大きな壁がある。下書きなら、人間が確認して修正できる。多少的外れな内容でも、叩き台として使える。しかし自動返信は違う。AIが生成した文章がそのまま顧客に届く。間違った情報を送れば、信頼を失う。不適切な表現があれば、関係が壊れる。
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多くの企業がAIに「下書き」までしか任せないのは、このためだ。営業の現場では、顧客との関係は何よりも重要だ。そのコミュニケーションを、AIに丸投げできるのか。
●「学習させたもの以外は答えない」、AIの守備範囲
DealOnは、その壁を越えようとしている。
顧客からメールが届くと、AIが内容を分析する。製品の機能についての質問か、価格の問い合わせか、それとも複雑な相談か。AIが判断し、答えられる内容なら自動で返信する。答えられない内容なら、営業担当に通知する。
AIが答えられる範囲は、あらかじめ決まっている。基本的には製品情報、価格、サポート対応だ。同社は製品情報やFAQなどをすべてAIに学習させた。顧客が「この機能は使えるのか」と聞けば、AIはヘルプページから該当する情報を探し出し、返信する。「料金はいくらか」と聞かれれば、価格表から正確な金額を示す。
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「『AI+固有の情報』をいかに集めて生かすか」。丹野氏はこう説明する。GmailのAIは一般的な知識しか持たないが、DealOnは企業固有の情報を持つ。この違いが実用性を生むという。
逆に言えば、学習させた固有の情報を越える範囲の質問には答えない。見積書の発行を依頼されてもAIは対応できない。契約条件の交渉を持ちかけられても、営業担当へ回す。
ただし、単なる情報の伝達だけではない。実際の事例を見ると、AIは顧客の懸念にも対応している。「コスト面で導入が難しい」という顧客のメールに対し、予算に応じてモジュールの組み合わせも可能だと提案する。同社が培ってきた営業のベストプラクティスを学習させているからだ。
自動返信に抵抗がある営業担当のために、下書きモードも用意した。AIが返信文を生成し、営業担当が確認してから送信する。ただ同社が本命と考えているのは、あくまで自動返信だ。「下書きも必要だが、自動応答が主」と吉田氏は言う。
11月から始まるクローズドベータでは、まずこのメール自動返信機能を外部企業に提供する。今後は予定調整の自動化など、機能を順次拡張していく方針だ。
●社長自ら実験台、7割のメールで「修正不要」
では、なぜこのような製品が生まれたのか。
きっかけは、角田社長自身の経験だった。社長として営業に携わる中で、メールを書く作業に違和感を覚えた。顧客は違っても、書く内容は似ている。製品の機能、価格、導入方法。同じような説明を、何度も繰り返していた。「これは本質的に人間がやるべき仕事なのか」。
丹野氏も同じ疑問を持っていた。「お客さんが変わっても似たようなことを書いている。一部のメール作成は人間がやることじゃない」。
この問いから、DealOnの開発が始まった。2025年4月、社内に専門チームが立ち上がり、7月から営業部門での実証が始まる。開発当初から、下書き機能ではなく自動返信を目標に据えた。生産性向上には、“遂行”まで踏み込む必要があると判断したからだ。
「下書きだけでもありがたいが、生産性を本当に上げるなら遂行まで踏み込む必要があった」と吉田氏は振り返る。営業の生産性向上という課題は、待ったなしだった。年間経常収益(ARR)100億円規模まで成長した同社にとって、人の力だけで営業を拡大し続けるのは限界が見えていた。
社内には抵抗感もあった。AIが勝手に返信して、本当に大丈夫なのか。半年間の実証で、その懐疑は確信に変わった。
7割以上のメールで、人の修正が不要だった。顧客からの製品機能の相談は、自動返信で完結することが多い。土日や終業後にメールが届いた時も、AIが即座に対応する。「サービスについて問い合わせがあった際、代わりに回答してくれた。お客さまも営業担当からの回答を待つことなく、疑問が解決できた様子だった」。社内調査では、AIが生成した文体やトーンについて、すべての営業担当が「適切だ」と評価した。
メール業務の生産性は大きく向上した。実際に使用している営業責任者の奥川一樹氏は「メール業務においては、3倍以上の生産性向上を感じている」と語る。顧客の製品導入を支援するカスタマーサクセス部門の責任者は「これがきちんと機能すれば、担当できる顧客数を3倍に増やせるかもしれない」と話す。
そして、面白い副産物も生まれた。同社の顧客企業が、AIの自動返信を受け取り、「このツールはすごいね。うちの会社で使えないか」と問い合わせてきたのだ。AIが顧客対応をすること自体が、製品のデモンストレーションになっていた。
角田社長が吉田氏に告げた開発目標がある。「DealOnが、自分でDealOnを売れるようなプロダクトにしてくれ」。
●「メールを書く」が営業の仕事でなくなる日
メール返信は、あくまで入り口だ。
吉田氏が描くのは、営業プロセス全体のAI化である。商談が終われば、AIが議事録を生成し、内容を理解して顧客へのフォローメールを自動で送る。優秀な営業が必ず行う「ネクストアクション」の設定も、AIが提案する。「次回までに当社は提案資料を作成し、お客さまは社内で予算承認を取る」といった合意形成を、メールで確認していく。
さらに踏み込んだ機能も開発中だ。商談の内容から、受注を阻む「懸念」を検知する。価格が高すぎないか、導入が複雑すぎないか、他社との比較でどうか。AIが懸念を察知し、対応が必要な場合は営業担当にアラートを上げる。簡単に解消できる懸念なら、AIが自らメールで対処する。
「我々の営業ノウハウを本当に組み込んだプロダクトにしたい」。吉田氏が目指すのは、同社が積み上げてきた営業の知見をAIに学習させたものだ。標準的な提案プロセス、よくある懸念への切り返し、営業の「秘伝のタレ」と呼ばれるような殺し文句。受注までの勝ちパターンをAIに教え込むことで、新人営業でもベテランのような対応ができるようにする。
では、人間の営業は何をするのか。吉田氏の考えはこうだ。「全ての営業が、ドメインエキスパート、アカウントエグゼクティブのような姿になる」。メールを書く時間を、顧客を深く理解する時間に充てる。業界知識を深め、顧客の課題に精通する。AIが定型業務を担い、人間は顧客との関係構築や戦略立案に専念する。
角田社長は、さらに大きな可能性も見据えている。「AIは言語の壁を取り払うことができる」。日本企業が海外展開する際、営業人材の確保は大きな障壁だ。しかしAIなら、言語を問わず営業活動を支援できる。良い製品を作っても海外に届けられない。その状況を、AIが変えるかもしれない。
11月から始まるクローズドベータには、すでに複数の企業が関心を示している。「実行までしてくれるプロダクトは、まだ市場にない」と吉田氏は言う。多くのAIツールはサジェストまで。DealOnは、その先の「遂行」まで踏み込む。
AIによる営業メールの自動返信が、どこまで実用に耐えるのか。11月からの外部企業でのトライアルが、その答えを示すことになる。
筆者:斎藤健二
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