インタビューに答える元宮城県警本部長の竹内直人氏=2月11日、東京都中央区 東日本大震災の激しい揺れが東北地方を襲ったわずか2日後、当時、宮城県警本部長の竹内直人さん(68)は、中央省庁の担当者も参加した県の災害対策会議で「遺体の数が万人単位になるのは必至」と発言した。混乱で情報集約が進まず、全体像が判然としない中、被害の深刻さを示す発言として注目を集めた。竹内さんは「大外れをしてほしかった」としつつ、「遺体安置場所や死体検案書を書く医師など何もかもが足りなくなると訴えるのに必死だった」と振り返る。
2011年3月11日午後2時46分、竹内さんは県警本部の本部長室にいた。激しい衝撃で執務机のパソコンや資料が床に落ち、部屋の中はぐちゃぐちゃになった。揺れはなかなか収まらず、「建物が倒壊し圧死するかもしれない」との思いが頭をよぎった。
12日夕、警察署が3階まで水没するなど壊滅状態とされた南三陸町で、避難所に約7500人がいるとの情報が入った。当時の町の人口は約1万7600人。「避難者を除いた約1万人のうちの何割かが波にのまれていてもおかしくない」と考えた。同じ沿岸部の石巻市なども同様の状況かもしれない。ヘリからの映像では、気仙沼市で大規模な火災も起きていた。「地獄を見るような情景だった」。同日までの収容遺体は244体だったが、いずれ万単位に達すると確信した。
13日の会議では「とにかく資機材も人も足りない、至急必要ということを訴えたかった。『万単位』という表現に注目が集まると考える余裕もなかった」。ただ、絞り出すように口にした発言のインパクトは大きかった。その後、遺体の収納袋や安置所、医師・歯科医師、ゴム手袋やマスク、搬送車両などの確保が急ピッチで進められた。収容される遺体は日に日に増え、県警は身元確認や遺族への引き渡しなどに忙殺された。
医師や資機材などの確保は、警察庁経由で関係省庁に働き掛けるのが本来のやり方だが、竹内さんは「そんな悠長な状況じゃないと思った」と話す。官僚のルールを破るようなやり方に警察庁の一部で「もっと慎重であるべきだ」と批判の声が上がった。一方で、「被害の深刻さに目が覚めた」「国民、県民に規模感を示した」と理解を示す警察OBもいた。
宮城県の死者・行方不明者は1万1786人(25年9月現在)。残念ながら竹内さんの発言が外れることはなかった。当時の判断について「もう少し無難に振る舞ったらどうなったか、と思うことはあるが、当事者の自分が評価するのは難しい」と語る。
竹内さんは今、当時を知る警察OBらがメンバーのNPO法人の代表として、震災の教訓伝承に力を入れる。遺体安置所の設置、安否不明者情報の収集・公表における警察と自治体の連携などでまだ課題は多い。「これからも災害対策の向上に貢献したい」。警察の後輩や自治体の防災担当者らへの講演を重ねる日々を送っている。

インタビューに答える元宮城県警本部長の竹内直人氏=2月11日、東京都中央区