
母親が無症状のまま感染しているケースでは、発見が難しい新生児ヘルペス脳炎。生後3週間で診断された長男には重い障害が残り、長く自分を責め続けた屋宜美穂さん。自責の日々を越え、今は障害児と家族の居場所づくりに力を注ぐ、その歩みを聞いた。
「私のせいだ」自分を責め続けた8年間
「私が病気に気づかなかったせいで、生まれた瞬間から、子どもに一生の障害を背負わせてしまった。後悔が募り、自分を責め続けました」
そう話すのは、ヘルペス脳炎による重い障害がある息子・竜成くんを、女手ひとつで育てる屋宜美穂さん。新生児ヘルペス感染症の多くは分娩時の産道感染によるもので、性器ヘルペスが脳にまで達する、急性進行性の重症感染症だ。感染率は母親が有症状の場合約0・1%だが、無症状の場合は約0・001%と非常に稀だ。
「私は全くの無症状でかゆみや痛みもなく、自分がヘルペスに感染したことすら知りませんでした。出生から数日後、赤ちゃんの首や頭に水泡が出たのが気がかりでしたが、先生はよくあるすり傷でしょうと。
でもその時に、病理検査を強くお願いしていれば……。生後3週間でやっと病名がわかり、治療開始が遅くなりました。このやりきれない思いを、一体どこにぶつけたらいいのかと」
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発熱や皮膚症状、哺乳不良、けいれん、無呼吸などの症状からはじまり、脳や神経にまで炎症を起こす重篤な病気、ヘルペス脳炎。治療を施さなければ70%以上の新生児が亡くなるため、抗ウイルス薬による早期治療が欠かせない。典型的な症状は、脳の視覚野を司る後頭葉の壊死。竜成くんの場合は、脳幹を除く大脳のほとんどが消失した。
「後頭葉がないので、私の顔を認識することも難しいんです。首は据わらず、寝返りも打てない。食べ物は消化できず、排便コントロールもできません。後遺症として難治性の点頭てんかんがあり、毎日大きな発作が10回ほど起こるんです。全身を震わせながら大声を上げ、脈拍は倍になる。発作のたびに身体に大きな負担がかかります」
現在8歳の竜成くんは身体が大きくなるにつれ、背骨が曲がる側彎や、脚の亜脱臼や拘縮が出はじめた。その影響で臓器が圧迫され、呼吸はさらに困難になった。
「“成長=治療できることが減る”と告げられた時は、これ以上何を奪うのと思いましたが、今ならわかります。体重増加で今までの薬も効かなくなり、素直に成長を喜べないんです」
家族が崩れ。それでも産むと決めた
現在は昼夜いつ起こるかわからないてんかん発作をケアし、痰や排泄のケア、食事や入浴介助など、あらゆる手当てを美穂さんが行う。
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「食事は口と胃瘻から行います。就寝前には痰の吸引をしてから、睡眠導入剤を入れ、寝かしつけます。夜は急変しやすく、呼吸が浅くなると人工呼吸器の力を借りるしかなくて。体重が22キログラムを超えた今は、入浴介助が大変ですね。ベッドから浴槽まで連れていく時など、もし発作が起きたらと不安になります」
最近主治医から、気管切開手術を行い、人工呼吸器をつけることをすすめられたが、迷いがあるという。
「人工呼吸器などの医療デバイスが増えるほど寿命は延びますが、そのケアはすべて親の責任。障害児を抱える家庭では、親が看護師並みのケアをしますが、高齢になれば同水準のケアを続けられるはずがありません。
将来どんな施設やサービスに、どこまで頼るのが許容範囲で、何が子どもにとって幸せか。医療デバイスを取り入れるなら未来まで見通し、覚悟を持たなければなりません」
竜成くんが1歳を過ぎたころ、次男・昌吾くんを身ごもった美穂さん。だが時を同じくして、夫は家を出ていった。
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「仕事一筋だった旦那は竜成に関わろうとしないばかりか、施設に預けようと言い出したのがショックでした。当時は私も精神的に参っていて、食事も喉を通らず、気づけば体重は40キログラム以下に。そんな姿を見ていたから、出た言葉だったのかもしれません。
でも目の前で必死に生きる息子のことを、一番に考えてほしかった。そんな中での妊娠は、語り尽くせない葛藤がありましたが、実はもうひとり子どもが欲しいと願っていたんです。
もし竜成と私がふたりきりになったら、私はとんでもないことを……すべてを終わらせようと考えてしまいそうで……(涙ぐむ)。勝手ですが、生活に変化が生まれれば、子どもと前向きに過ごせる気がして。竜成も目は見えなくても、声や肌で感じ取れるので、兄弟という存在をつくってあげたかったんです」
帝王切開であれば、子どもが同じ病を患う可能性は低い。医師の助言も後押しになり、無事出産した。
「竜成と昌吾こそが、何よりの生きる原動力ですね。次男は歩けるようになってすぐ、自ら進んで長男のケアの手伝いをするようになったんです。でもヤングケアラーには絶対にさせたくなくて。手伝わなくていいよと言っても“これをしたらママはうれしいでしょ? だからするんだよ”なんて言うんです。
人のつらさを察しすぎる次男が気がかりですが、兄がいるせいで何かを諦めるなんて、させたくない。お兄ちゃんがいたおかげで、こんな仕事に就こうと思ったとか、将来きっと良い影響もあるはずです。だから次男には経験とお金を、長男には人とのつながりや生きる場所を、できる限り残してあげたいなと」
「ないなら私がつくる」障害児家族の居場所
そんな思いで毎月「レスパイト」という施設に竜成くんを預け、意識的に次男と過ごす時間を作っている。
「レスパイトとは、医療的ケアを行う家族が休養を取るために、障害児を預ける医療的短期入所施設。でも大阪府はその数が少なく、利用や予約に制限も多い。さらに私たちが住む北摂エリアには施設すらありません。現在は府や市町村に訴えかけ、大阪北部にも施設をつくろうと活動中です」
ほかにも障害児のリハビリ支援を行う「療育園」において、重度の身体的な不自由と知的障害が複合した「重症心身障害児」を受け入れる場所が少なく、苦慮している。
「車で片道1時間以上かけて、遠くの療育園に通っています。長距離移動中は、竜成の体調が心配でたまらなくて。1万5000人の署名を集め、市内に施設をつくってほしいと訴えていますが、実現されません」
そうした苦労から、4年前に、重症心身障害児に特化した、児童発達支援・放課後等デイサービス「ここふる」を自ら立ち上げ、支援を続けている。
「障害児を抱える家族は療育園がないために、誰かに相談したり情報交換をしたくても、同じ境遇の親に出会う場所すらありません。仕事復帰もままならず、社会と隔絶されてしまう。
私もそんな悩みがあったので、ただ子どもを預ける施設ではなく、家族同士や、次男のようなきょうだい児同士がつながれる、心のよりどころを育みたいと」
障害児には、成人向けの福祉制度に移行する「18歳の壁」と呼ばれる問題がある。慣れ親しんだ小児科や、児童向けデイサービス、学校にも通えなくなるのだ。環境が変わる負担は計り知れない。
「ゆくゆくは私の施設で、18歳以上の生活介護も行いたくて。この施設を信頼してくださる皆さんを、どうにかして守りたい。それが今の私の使命なんです。障害児の親に義務や責任はありますが、私たちは決してひとりじゃないと、訴えていきたいですね」
屋宜美穂さん
大阪府池田市の児童発達支援・放課後等デイサービス「ここふる」を運営する、株式会社めぐみ代表取締役。重症心身障害児の長男を育てる当事者として、障害児と、その家族を支える環境づくりに取り組み、レスパイト支援や療育環境の充実を訴え続けている。
週刊女性2026年8月18日・25日号
