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今年結成20周年のビジュアル系エアバンド、ゴールデンボンバーが集大成として、来年1月7日に「旧作−kyusaku−」、同8日に「新作−shinsaku−」と題したライブを横浜・ぴあアリーナMMで開催する。“金爆”のボーカルを担当して、全ての曲を作詞・作曲、ネタ作りも担当する“天才”鬼龍院翔(40)に聞いた。【小谷野俊哉】
★ビジュ系エアバンド
25年の金爆は全く違った「2DAYS」で幕を開ける。年明けの7日、8日に、全く内容の違ったコンサートをやる。
「20年やってきたから、曲もいっぱい作って1500曲。2日間で曲ももちろん、全然違うことをしようと思ってます。全く違うのは、結構ありがちな見せ方なんですよ。なんかベタだなって思ってたんですけど、メンバーと話し合った時に面白いことができるなっていう話になったのでコンセプトはベタ。タイトルはベタですけども、内容はしっかり面白くなってますんで。でも、長いと大変なんでね、片方の日だけでも楽しいです」
楽器を持ちながら、演奏せずにパフォーマンスで笑わせる。音楽を流しながら、生でやるコント。
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「リハーサルでは場当たりに一番時間とかかけて、小道具の出し入れの動線とか。そういうことばっかりやってます。普通のロックバンドはやらないこと(笑い)。コントの主軸は僕が考えます。でも他にちょっとしたネタとかは、メンバーも考えてきてくれることあります」
NHK「紅白歌合戦」出場4回。世にもメジャーなビジュアル系エアバンド。ゴールデンボンバーは、唯一無二の存在だ。
「似たグループさん、出てきて欲しいんですけどいないんですよね。エアバンドっていう発想、僕らが活動していることで、こんなにエコにエンタメができると証明されたはずなのに。なぜか、みんなやらない。誰でもできることをやってるだけなんですけども。でもね、やってる人もどこかにいると思うんですど」
★お笑いバカ殿ら憧れ
子供の頃に憧れたのは、テレビの人気者たち。志村けんさんのバカ殿様、とんねるず、ダウンタウン。
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「普通に人見知りだったりとかの部分はあるんですけど、テレビのバラエティーとかに強烈に憧れがあった。テレビで話題を取る人に憧れて、いつかああなりたいていうのをずっと胸に持ってたので、クラスの中でどうにか笑いを取ろうとしている。そんな子供でした」
そして江頭2:50(59)に強烈に魅せられた。
「江頭さんが大好きで、座禅組んで空中浮遊とかを練習してやってました。今もできます。江頭さんがテレビに出るってなったら録画して、繰り返し見て。中学生ぐらいになったら、江頭さんがコンビの『男同志』でデパートとかの営業に出るとなったら行ったりしてました。そういう影響を持った人間が、なぜか今、バンドやるとこうなってる。結構、分かりやすいと思うんですよね。ただ本当に思春期に憧れたものを、エガちゃんをちゃんと吸収して、混ざって今の僕がある」
お笑いだけじゃない、音楽も好きになった。
「中学時代からギターを弾いていました。そしてマリスミゼルのGACKTさんを好きになるわけ。だけど、GACKTさんはラジオだとずっと下ネタばっかりで。そういったものに憧れてたから当然、バンドをやっても笑いを取ると。高校時代は軽音楽に入ってたけど、音楽で食っていけるなんて全く思ってなかった。その時はお笑いやりたいなと思っていたので、諦めて高校時代だけでバンドは終わり」
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高校を卒業して、すぐに吉本興業の養成所、NSCに入所した。
「お笑いは、どうにか目立とうとは頑張っていたんですけどね。でも、全然ダメでした。卒業して、4月にネタ見せに行くんですけど、そこでもう断念してやめたんですよね。自分は絶対、お笑いの世界では無理だと思って。もう人生半ば、諦めモードだったんですよ。芸人やめた時に、やっぱ夢って破れるんだなって。でも、まぁバンドもまだやりたいなぐらいの感じで」
★失恋…バンド頑張る
お笑いの道を諦めて、バンドの世界へと踏み込んでいった。
「結局、メンバーがそろわないまま、僕が打ち込みというかコンピューターミュージックを始めて、音だけは鳴らせるようになりました。そのうち、メンバーも入ってくれるだろうと、だらっとやっていました。だけど、そこで失恋をするんですよ。結構暗い人間なので、なんか死んでしまおうと思ったんですよね。夢も破れてるし、バンドもうまくいかない。ほんで好きな人に振られたから、もういいや死のうと。その時に友達が、僕にタバコを吸わせてきたんですよね。絶対に吸わなかったんですけど、すごくむせたんです。それで、そうか、死ぬんだったら、なんか思いきりやってみようかなと。中途半端だったバンドを。死ぬ勢いでやってみようと」
2004年(平16)にゴールデンボンバーを結成。月に1回のライブの予定を9回にした。その準備、曲作り、アルバイト…ハードなスケジュールに追われた。
「もう“緩やかな自殺レベル”でバンドを頑張って! そしたら何でしょうね、その狂気じみた勢いが面白かったのか、結構目立てたんですよね。楽器の演奏してたけど、面白いこと言ってというスタイルだったんです。面白いプラス派手とか激しいとか、電撃ネットワークさんに近い。ステージ上でいかに印象に残るか。そういった中で完成してきたのが今のスタイルです。ふざけるパフォーマンスをいっぱいやりたいっていう時に、楽器は弾きたいって言ってるメンバーがいるんです。でも、僕は長い目で見てなかったから。さっさと結果が欲しいというか、やり抜いて死にたいぐらいだったんです。メンバー集める時も楽器を弾かずにステージに立ってもらう方向で。一応、ふざけるってことに関しては、意見が一致してたんです」
がむしゃらに活動して3年、4年…軌道に乗った。
「しばらくはダメで、動員が増えていって、ライブハウスがどんどん大きくなって行った。2012年に武道館をやった時とかも、食っていけるどころの心境じゃないんですよ。とにかく大変すぎて、銀行口座とか残高とか見てなかったと思うんですよね。食っていけるのを目指してやってたはずなんですけどね。重圧というか、責任押し付けがすごくて。それは『女々しくて』とかがヒットとしてる時でも、そんな感じでした。『女々しくて』がヒットするちょっと前ですかね。食っていけなくなるのはなくなったかもしれない。やっぱり曲がヒットするって、作家、作った人にはしっかり還元されるものなんで。カラオケで歌ってくれる人が、すごく多かったんで。カラオケの定番になってくれると、動かなくても、僕が動けなくなっても一応食っていけるなぐらいに。毎年、収入があるので、食っていけなくなる不安は、今はないですね」
09年に発売した「女々しくては」が、11年から12年にかけてオリコンカラオケランキング51週連続1位と大ヒットした。
「直後は『もう1曲ぐらいヒット曲出さなければ』ともがいていたんですけど。でもその5、6年後あたりから、一発屋って言葉あるじゃないですか、私たち一発屋であると思ってるんですけどね。ヒットしてから6、7目ぐらいで。年末の音楽特番に出してもらった時にアナウンサーさんが曲名を言ってくれるんですけど。歌っていただくのは『女々しくて』ですと言っただけで、お客さんがもう笑うようになってきた。これ結構いけるかもって思った。いつまでも一発当てた曲をやり続けるっていうポジションが狙えるって思い始めてきたんですよ、ええ。そうなってくると、いかに『女々しくて』を“こすり”続けて面白い雰囲気にするかってことを、ここ3、4年はやっている。結構肩の荷が下りて、肩の力を抜けて活動できてるなっていうのが今です。うん、だから精神状態は良くなってます」
高校時代からの付き合いで、04年に一緒にゴールデンボンバーを結成した、エアギター担当の喜矢武豊(39)。喜矢武のギターが下手だったことが、エアバンドになるきっかけだった。
「究極言うと、なんだかんだ言って、ただの友達ですね。それ以上でも以下でもない。でも、それでいいと思うんですよね。なんか、そこが大事やなって思って。仲悪くて、仕事の人っていう風に割り切ってた時もありますけど、もうこういう年代になって来ると、やっぱり続けて一緒にやれてるってことの方が大事になって来るので。若い時は、ぶつかったりとかあったと思うんですけど。今は、逆に、ただの友達みたいな感じですかね」
07年に加入した、エアベース担当の歌広場淳(39)。
「年齢が1つ下なんですけど。歌広場は文系なんですよ。『なんか、むかつく』とか言わないで、ちゃんと言葉にできる。僕も結構理屈っぽいので、言葉にして説明するんですよ。言葉で説明しづらい時とか、すごい人気者が同じジャンルで出てきた時に、あのグループはどういったところがウケてるとか、言葉ですごく分かりやすく説明してくれたり。そういった面では頼りになる人ですね」
09年に樽美酒研二(44)が加入して、現在のスタイルが確立した。
「樽美酒さんは本当、エンターテイナーなんですが。なんかね、動物みたいなところもあって。ちゃんとステージを与えれば、本当に誰も勝てないぐらいなんです。だけど、それ以外のことは、筋トレ以外はほとんど苦手、不器用な人だから。彼が一番輝ける環境を、特殊な環境をつくることが大切だと思っています。特殊なキャラクターで、おひとりで番組出演なさっていますけども、1人でステージでとなると困っちゃうらしいんですよね。だからソロライブとか全くないんですよね。よっぽどゴールデンボンバーのステージのパターンがやりやすいのかなって、思っております」
★「10年やれたら奇跡」
20歳から20年やって、40歳になった。
「まず10年『金爆やれてたら奇跡じゃん、すげえじゃん』て思ってた。20年って、始めたての僕が聞いたら『何があったの』って多分信じない。これから先は、ボーナスステージなんでしょうかね。僕って、1人で呼ばれたらiPod(アイポッド)持って音楽再生して、大分面白いことできるんですよ。KAT−TUNの上田竜也さんの主催イベントに呼んでいただいて、見事なアウェーだったんですけど、結構しゃべりをいっぱい混ぜやってみたら、みんな笑ってくれた。あれ、一生食って行けそうと思って。最低限の機材で、呼ばれたら会場をちゃんと盛り上げてくれる、陽気なおじさんになって来ました(笑い)。営業でも、お祭りでも呼んでくれれば、ちゃんと盛り上げますという憧れが最近は強くなってきました」
今年初め、テレビ朝日系のバラエティー「相席食堂」に出演。ボートに乗り込む際、足がよろけたふりをして真冬の芦ノ湖に飛び込んだ。今をときめくお笑いコンビ、千鳥の2人も「やられた」と度肝を抜かれた。
「面白いことをやり続けた。あの湖に飛び込むためにオファーを受けた。『音楽命』なんて言えない。多分、これからもそういうふざけたことをやっていきたい」
心底から芸人の心を持ったミュージシャン。弾いてないけど…。
喜矢武豊(39) 20年間鬼龍院さんにおんぶにだっこで金魚のフンのように付いていった結果、気付いたらファンと預金が増えておりました。今もこうして活動していることは奇跡のようですが、これからもいい曲を書き続けてファンと僕らのためにもっともっとがんばってください!
歌広場淳(39) 作詞作曲いつも本当にお疲れさまです! 18年前、偶然ゴールデンボンバーのライブを見て「この人と一緒に何かやりたい」と思ったのが僕の人生の転機です! 健康に気を付けてこれからも頑張りましょうね! いつも至らずにすみません! できれば「女々しくて」みたいな曲をまたお願いします!
樽美酒研二(44) ここまでよく他メンバー雑魚3人を引っ張り上げてくださいました、心から感謝してます。その才能を生かしてこれから先は1人で活動するのもアリだと思います。しかしそのギャラは今まで通り4等分でお願いします(笑い)。
◆鬼龍院翔(きりゅういん・しょう)
1984年(昭59)6月20日生まれ、東京出身。中学生の時からギターを弾き、高校で軽音楽部。03年にNSC東京入所。池田一真(現しずる)と「チョコサラミ」結成も卒業後すぐ解散。04年に喜矢武豊とゴールデンボンバー結成。07年歌広場淳、09年樽美酒研二が加入。同年10月に発売した作詞・作曲を担当した「女々しくて」が12年に大ヒット。12〜15年NHK「紅白歌合戦」出場。14年日本レコード大賞作曲賞。164センチ。血液型B。
◆ゴールデンボンバー 20周年アリーナライブ
▼「旧作−kyusaku−」2025年1月7日午後6時半開演▼「新作−shinsaku−」同8日午後6時半開演(ともに横浜・ぴあアリーナMM)。
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