オンラインでインタビューに答える琉球大の山口剛史教授=3日 太平洋戦争末期、国内最大の地上戦で民間人を含む約20万人が犠牲になった沖縄は、米軍の占領を経て、今も在日米軍基地の多くが集中している。教育現場で沖縄戦体験者の証言を伝える琉球大の山口剛史教授(社会科教育学)は「住民はずっと『軍隊』に翻弄(ほんろう)されてきた。二度と沖縄を戦場にさせたくないというのが体験者の願いだ」と語る。
米軍は1945年3月26日の慶良間諸島に続き、4月1日に沖縄本島に上陸。約3カ月間、旧日本軍との激しい戦闘が続いた。日本軍の目的は米軍を沖縄に引き留めて本土決戦を遅らせることで、「軍官民共生共死」の思想の下、住民約9万4000人が亡くなったとされる。
山口教授によると、沖縄戦研究は60年代後半から本格化し、県をはじめ各市町村により証言記録が作成されてきた。「米軍は食料を渡して助けてくれたが、日本軍は『捕虜』になろうとする人を後ろから撃った」といった住民の証言が多く残され、そうした体験を裏付ける日本軍の資料などもあった。
ただ「(米軍が)解放軍だったとまとめることは難しい」と山口教授は指摘する。収容施設に入れられた住民は、米兵による性暴力や事件で人権や生命を脅かされた。沖縄は米軍の占領を経て、72年5月に本土復帰を果たしたが、今も在日米軍専用施設の約7割が集中し、米兵による性暴力事件も後を絶たない。
山口教授は、沖縄では「軍隊は住民を守らない」という教訓が見いだされたとした上で、「人権が脅かされている状況は沖縄戦から地続きなのではないか」と話した。
また、SNSの普及により、歴史観を巡る分断の懸念も高まっている。今年5月、沖縄戦で犠牲になった女学生らの慰霊碑「ひめゆりの塔」に関して自民党の参院議員が「歴史の書き換え」などと発言して批判が広がった。山口教授は「特定の歴史観で語られたもので、多くの沖縄県民は自分たちの記憶をゆがめられたと感じた」と話す。
問題の背景には「SNSを含めたネット社会でそれぞれの主張をぶつけ、対話が成立していない現実がある」と感じたという。だからこそ、原点である体験者の証言に立ち返り、違和感を語り合う重要性を訴えている。
ウクライナやパレスチナ自治区ガザなど世界各地で戦闘が続いている。山口教授は「沖縄戦を今の戦争と結び付け、平和を考えていく努力や工夫が大事だ」と力を込めた。