「抗がん剤後に16キロ減」ブラザー・コーンに聞いた“男性乳がん”の自覚症状と母からの“遺伝”

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2025年05月21日 17:30  週刊女性PRIME

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バブルガム・ブラザーズブラザー・コーンさん(69)※撮影/佐藤靖彦

 2023年8月、乳がんを公表したブラザー・コーンさん。「男性乳がん」という衝撃的なニュースに、メディアでも注目を浴びた。コーンさんが最初に感じたのは、胸ではなく背中の異変だった。

初マンモグラフィーは「挟めないし、痛かった」

「ポコッとしたしこりができて気持ち悪いから、かかりつけ医に診てもらったんだ。『脂肪のかたまりですね』と言われ、その日に取ってもらって。後日、良性だったと連絡もあったから一度は安心したんだけど……」(ブラザー・コーンさん、以下同)

 10日ほどたったある日、今度は左胸の乳首右にポコッとしたふくらみを見つけた。

「コリコリしてたからまた脂肪のかたまりかと思って、同じ先生のところに行ったら、胸は乳腺外科で調べたほうがいいと言われて総合病院への紹介状をもらったんです」

 乳腺外科では女性と同じく、マンモグラフィーや超音波(エコー)検査、血液検査、がんの遺伝子検査などを行い、すぐに結果が出て、男性の乳がんと診断される。

「マンモは挟むものがないから痛かった(笑)。先生から告知されたときは、『えっ! 男なのに乳がん? 本当に?』って、信じられなかったね」

 コーンさんは幸いにも早期でリンパの転移はなく、ステージ2の診断だった。

 男性の乳がんは、1000人に1人の割合といわれる希少がんのひとつ(※国立がん研究センターHP 希少がんセンター さまざまな希少がんの解説より)。乳がんになった近親者がいると、男性でも発症の確率は高くなる。

「実は、うちは母親が乳がんで片方の胸を取っていて、姉貴もリスクが高いと言われていて。遺伝子検査をしたら、はっきり『遺伝性』と言われたので、娘2人にも速攻連絡して。定期的に検査に行ってくれって、すぐに話したね」

 気がかりだったのは、抗がん剤の副作用。髪が抜けることを考え、病院を出たその足で美容院へ向かった。

「『坊主にして』とオーダーしたら美容師さんに『失恋でもしたんですか!? 出家ですか!?』なんて聞かれちゃって。乳がんになったとカミングアウトしたら、さすがに驚いてた。病院の乳腺外科の待合所に男がひとりでいると目立ってジロジロ見られるから、何回かはカミさんに頼んでついてきてもらって、カミさんの付き添いで来たふりをして診察室に入ったよ(笑)」

強い倦怠感、睡魔……抗がん剤後に16kg減

 男性乳がんの標準治療は女性の場合と基本的に同じ。コーンさんの抗がん剤治療は一昨年'23年8月から始まり、'24年12月に終了した。

「抗がん剤治療の1回目がいちばん大変だった。帰りのタクシーで気持ち悪くなってさ。首都高に乗っていたから降りられなくて、運転手さんに訳を話して車内でビニール袋に吐いちゃった。袋はギュッと結んで持ち帰ってトイレで処理したよ。それ以降は倦怠感と睡魔がひどいし、身体に力が入らなくて、何もやる気が起きない日々。1年3か月くらいは、副作用がつらかったかな」

 身体に合わず、副作用で3回薬が変わったという。その治療途中、昨年1月に左胸の乳房摘出手術を受けた。

「手術のときは『ガーガー寝てましたよ』なんて言われて。10日間入院して、そのあとは特に傷口の痛みもない。それよりも、抗がん剤が終わってから体重がガクンと減ってしまってね。一時は治療前より16kgも痩せちゃって、今少しずつ戻しているところです。人に会うたびに心配されちゃってるよね」

 現在は、月1回程度の通院。ホルモンの作用を抑えるホルモン剤を服用していたが、肝臓や腎臓の数値が悪化したため、医師の指導のもと一時的にストップしている。

 そんな闘病生活を支えてきたのが、自身が30代のころに結婚した妻だ。夫ががんになっても悲観的にならず、過剰に心配することもない。

「うちのカミさんは俺が乳がんとわかったときも、あまり反応がなくて(笑)。常に冷静な人。『そんなことで死なないでしょ』くらいに思ってるはず。心配されすぎるのも嫌なんで、いつもどおりでいてくれるのがありがたいよ」

 その理由は、コーンさんの過去の大病にあった。

「47歳のとき、飲んだ帰りに足首がパンパンに腫れて。救急車で病院に行ったら、突然腎不全が見つかって。治療しないと『余命3か月』と言われて、透析治療を受けるようになったんだけど、翌年、カミさんから腎臓を1つもらうことになって、生体腎移植をして。おかげでつらい透析治療をやめられたんだ」

 移植により腎機能は回復し数値も安定。さらに52歳では前立腺がんが判明し、放射線治療を受けた。

「もう俺の身体は“病気のデパート”。カミさんはそんな様子を見てきて、自分の腎臓をくれた勇気のある人なんだ。むしろ『これであなたが死んだら私の腎臓はどうしてくれるの。返してよね!』って言ってますよ(笑)」

死を意識したがん。6人の孫が癒しに

 乳がんがわかった'23年は、バブルガム・ブラザーズの結成40周年を迎え、ブラザートムさんとともに、精力的にライブを行っていた矢先だった。そのため予定していたライブをキャンセル。切除手術が終わったあと、'24年3月に復帰ライブを開催した。

「抗がん剤治療中で身体はフラフラ。でも、お客さんを前にすると神がかったような声が出て、誰かがパワーを送ってくれているようだった。アドレナリンが出まくってね。終わったあとは“バタンキューのすけ”で2日寝込んだけど最高だったね!」

 40代で腎不全、50代で前立腺がんを乗り越えてきたが、今回の乳がんでは、年齢的にも死がよぎったと話す。

「昔は、病気になっても治療すれば治ると信じていたけど、70を目前にしてがんになり、さすがに今回は『もしかして』と思った。まだやり残したこともあるし、家族との時間はどうなるのか、葬式では何の曲を流そうか……なんて考えて、死を意識したよ」

 札束が飛び交う六本木で、毎晩テキーラを一気飲みして遊びまくっていたバブル期。ハチャメチャすぎた人生を、自伝『WON'T BE LONG』でも振り返っている。3回の病気を経験して今感じているのは、「俺の病気は自分のせいだ」ということ。

「自分の魂と身体は別物。若いころは酒も飲みすぎたし、身体をいじめすぎてたから、俺の場合は自業自得だなと。自分の魂が悪いのであって、身体にはなんの罪もない。今さらだけど、身体に『ごめんな』と言いたいですね。今はその分、大事にしてるつもり。たばこはずっと吸ってないし、ちょっとでも調子が悪いとすぐ病院に行くし」

 今年、古希を迎えるコーンさん。プライベートでの癒しは6人の孫と過ごす“おじいちゃん”としての時間だ。

「孫は男の子が5人、女の子1人。一緒に遊ぶのは体力的にも疲れるけど、何物にも代え難い。癒されるし、俺にはいちばんの薬だね」

 現在は、ライブ活動を中心に行い、銀座に構えるバーの経営も行う。時々友人たちとシャンパンを楽しめるまで体調が戻ってきた。限られた残りの人生も、自分らしく力強く生きたいと話す。

「例えば『死に損ないだから』って言っちゃうと、腎臓をくれたカミさんにも、治療をしてくれた先生方に対しても、すごく失礼でしょ。俺は、周りの人たちに『生かされた』と思う。生かされた意味のある命だからこそ、限りある残りの時間を大事にしたい。自分も周りの人も幸せになるような俺の『生きざま=死にざま』を見せたいよね」

取材・文/釼持陽子 撮影/佐藤靖彦 取材協力/Kaori Oguri

このニュースに関するつぶやき

  • 逆行ってるんやってw致命的な病気・ケガなんて他にいくらでもあるやろ。それに100%寿命では死ぬし、老化自体が進化の途中でGETしたもの。
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