津田寛治 「津田寛治に撮休はない」主演 芝居をしない芝居へ原点回帰「この作品はできた」

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2026年01月25日 08:01  日刊スポーツ

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映画「津田寛治に撮休はない」に主演する津田寛治(撮影・鈴木正人)

津田寛治(60)が、主演映画「津田寛治に撮休はない」(3月28日公開)で、役として「俳優・津田寛治」を演じた。自身に憧れていた萱野孝幸監督(35)が周辺取材も絡め、想像して書いた脚本に描かれた「俳優・津田寛治」を「似て非なる者」と評しつつも、「似ているところもある」と口元に笑みを浮かべる。どこまでが自分自身で、どこからが違うのか…津田に問いかけてみた。【村上幸将】


★「似て非なる人です」


「津田寛治に撮休はない」の中の「俳優・津田寛治」は、撮影、稽古、打ち合わせ、イベントと嵐のようなスケジュールのただ中にいる。「そんなことはないですね」と笑うが、リアルの津田も年末年始から出演作が相次いで世に放たれた。昨年12月28日にBS−TBSで「水戸黄門スペシャル」が放送。11日にテレビ東京系で16期連続出演中のアニメ「闇芝居十六期」、13日にはフジテレビ系で連続ドラマ「東京P.D. 警視庁広報2係」(火曜午後9時)が相次いでスタート。「俳優・津田寛治」とどこが似ているのだろうか。


「人の接し方とかは似てるかなぁ。腰が低い割には空気も読めてない、みたいなところも、すごく似てるなと(笑い)。芝居している感じが、ほぼなかった」


萱野監督から「津田寛治が撮影所を渡り歩く話」として3年前にオファーを受けた。テレビのバラエティーの企画かと思ったが、台本を読んで驚いた。同監督はマネジャーはじめ周辺に取材し、作り上げていた。


「普段、どんな風に撮影しているか、ちゃんと取材を受けないと、と思い『(取材は)別日にやりましょうね』と別れたら、あっという間に台本がきた。何で、こんなことまで知ってるんだ? というくらいリアルな僕が書かれていたけれど、監督から取材は1回も受けてないので。(周辺取材は)後で聞いて…だから、ああいうシーンが書かれているんだと。想像で書かれているから、僕じゃないところもたくさんある。似て非なる人です。中身の濃いストーリーでフィクションとしても、すごく面白く、津田寛治役でなくても参加したい気持ちになった」


★デビューは「ソナチネ」


「俳優・津田寛治」を演じるにあたり「今までのやり方とは全く違う意識でやろう」と心に決めた。オファー前から、チャレンジしなければいけない芝居のやり方をイメージしていた。


「技術で芝居していたら、もう終わりだという時期もあった。技術、芝居している意識をなくしたい。芝居をしない芝居を、どうしても達成したかった」


思いを実行に移すのに、うってつけの作品だと思ったからこそ、現場では1歩、踏み込んだ。


「監督、スタッフと予定調和でやりやすくやるのではなく、嫌われようが、ぶつかろうが通すところは通す。作品が良くなくなる可能性もあり、リスキーだけどやらなきゃいけないと思っていた。自分主観で設定した目標に向かっていかなければいけない中、うってつけの作品だった。監督とぶつかるところもあった」


語る中、図らずも「俳優・津田寛治」と一致した。


「どうしても技術が先に出ちゃって。そうじゃないところでやらないといけない…って、映画の(中で『俳優・津田寛治』が口にしたセリフ)通りのことを言っているなぁ(笑い)」


芝居をしない芝居こそ、映画デビューした93年の映画「ソナチネ」で北野武監督(79)から教わった“原点”。そのことを、21年にカンヌ映画祭「ある視点部門」に出品された主演映画「ONODA 一万夜を越えて」の撮影中に、フランス人のアルチュール・アラリ監督にも要求されたが…。


「意識、信念として体の芯で思って消してはいないことなのに、できていなかった。便利な芝居をやって、使いやすい俳優として需要を得ようと無意識にしていたのかな。自分の方向性が定まった、これだ! と、やっと見つけたのが北野監督に教えていただいたこと。できているように思って葛藤すらなかった、ヤバさに気付いたところに、オファーがあった」


★名前なんて言うの?


「ソナチネ」出演のきっかけは、録音スタジオの喫茶部で働く中、91年「あの夏、いちばん静かな海。」の仕上げに訪れた北野監督にプロフィルを渡したことだった。1年後、撮影前日に再訪した同監督に声をかけられ、喫茶店のウエーター役を与えられた。


「芝居をしない役者が出ている(89年の同監督の監督デビュー作)『その男、凶暴につき』などで観客として心の琴線を震わせられまくった。『ソナチネ』の演出では衝撃を受けた。今、僕の中で大事なのは、芝居をしない芝居の中で、お客さんの心の琴線を震わせる何かを見つけること」


「ソナチネ」は役名がなく、自己紹介のシーンの直前に北野監督に「僕、役名がないんですけど」と尋ねると「君、名前なんて言うの? じゃ、津田で」と、その場で決まった。芝居において原点回帰した「津田寛治に撮休はない」で演じた役名も「津田」だったことに、縁を感じている。


「何か、あるのかも知れない。演技を捨ててカメラの前に立ち、この年で原点回帰した。現実と虚構の境がなくなり、物語の中にズッポリ入り、覚えたせりふが何だっけ? とか一切、考えずバーッとしゃべったけれど、アドリブはなく台本通りしゃべっている。作品の中に生きる登場人物に100%なりきる…なかなかできないけど、この作品はできた。俳優として、こんなに幸せなことはない」


映画と現実が明確に違うと指摘したのが娘だ。「俳優・津田寛治」は多忙のあまり女子大生の娘・幸(平澤由理)とは距離があり、優しく接しても反発されることもあるが、現実は…。


「本当に神様のような娘なので、こんな父親でも許してくれているから(劇中のように)ごねることはない。家族全員、仲が良いから全然、違いますね。ただ相当、傷つけているんだろうなと。あえて撮休と言えば、娘と映画に行くこと。今年から大学生で大きいんですけど、行ってくれる。(自分の出演作は)見ないというか邦画自体、見ない。娘と行くのは洋画です」


★映画と現実で違う娘


娘が「見たい。お父さんが出てくるのを見たいよ」と唯一、口にする出演作がある。昨年11月に北欧エストニアで開催されたFIAPF(国際映画製作者連盟)認定の世界15大映画祭の1つ、タリン・ブラックナイト映画祭で最優秀男優賞を受賞した「The Frog and the Water」(原題)だ。世界で評価された今、あえて聞いた。「俳優・津田寛治」は、どこまでが自分で、どこからが違うのか…。


「線引きは難しいですけど、僕が目指している俳優ではないです。彼は悲しいかな、中毒になってしまっている。僕的には、そこにはいきたくない。中毒になって仕事するのは、俳優には合っていないです」


そう言い、笑いながらも瞳の奥の色は見えない。津田寛治…人としても俳優としても、魅力に底はない。


▼「津田寛治に撮休はない」の萱野孝幸監督


地元の大分で、勝手にお慕い申し上げる津田さんとお茶に行けるタイミングがあった。何を話そうかな? と考える中で核になるアイデアを思い付き、ご本人役で撮休がないという映画を撮ったら、面白いかなと思って、ダメ元で企画書を持って行きました。(脚本は)1回、お会いできたのが大きかった。こういうしゃべり方なんだとか…それで想像と勘で書いたら割と当たっていたのかもしれない。調整したり、ご本人に近づけようと考えていましたが、ほぼ、そのままでした。


◆津田寛治(つだ・かんじ)


1965年(昭40)8月27日、福井県生まれ。映画俳優を志して18歳で上京し「ソナチネ」で映画デビュー。02年「模倣犯」(森田芳光監督)でブルーリボン賞助演男優賞。08年「トウキョウソナタ」(黒沢清監督)で高崎映画祭最優秀助演男優賞。20年「山中静夫氏の尊厳死」(村橋明郎監督)で日本映画批評家大賞主演男優賞。趣味は随筆と絵画(油絵)。173センチ。

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