パートナーが産後うつに──上場金融ベンチャーCEOが語る、スタートアップ経営と家庭の両立

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2024年05月09日 07:51  ITmedia NEWS

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 「僕は会社に全力投球だったので、何か問題が起きてもうまく両立しようと考えるんです。今までも気合いでなんとかしてきたわけで、自分のことだけなら気合いで乗り越えられる。でも健康とか家族の問題になるとそうはいかない。僕の学びとしては、そうなったらもう出力を最小限にした方がいいということでした」


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 スタートアップ経営者が、自らの過去の失敗を語る本企画。2021年12月に東証マザーズ上場を果たしたFinatextホールディングス(HD)の林良太CEOが話したのは、こんな意外な失敗についてだった。


●パートナーが産後うつに…… 林CEOが直面した出来事


 事業も軌道に乗りつつあった19年春、林CEOは配偶者の深刻な「産後うつ」に直面したという。出産後、配偶者は1週間近く眠れない状態が続き、「さすがにおかしい」と思った2人は心療内科を受診。「産後うつ」の診断を受けた。そこから、9カ月間に及ぶ林CEOと配偶者の闘病生活が始まった。


 家族3人で東京に戻り、投薬治療を始めたものの、配偶者の睡眠時間は平均2〜3時間。突然不安が襲い、過呼吸になってしまうこともあったという。林CEOは、配偶者の悲観的な発言に胸を痛めながらも、仕事と看護の両立を試みた。


 ただし家庭がいかに大変でも、それを仕事に持ち込まないというのが林CEOの美学だった。


 「当時は伊藤(CFOの伊藤祐一郎氏)にも言ってなかったんですよね。伊藤だけじゃなくて、僕なりに、かっこいい社長でいたいというか、弱い自分を見せたくないという思いがあったんです」


 13年創業のFinatextHDは、林CEOがドイツ銀行、ヘッジファンドなどのプロの金融の世界を経て創業したフィンテック企業だ。「金融をサービスとして再発明する」というミッションを掲げ、クレディセゾン、セブン銀行、ニッセイアセットマネジメントなど19社に証券や保険の裏側の基幹システムを提供している。


 21年に上場を果たした現在でこそ、組織を整備して権限委譲も進めているが、もともと社長は全ての仕事を自分で把握し、率先して行うべきだというのが林CEOの考えだった。


 「特に会社が小さい時はそれが当たり前。連続起業家とかで、すごく資金が集まっているとかなら別ですけど。社長たるもの、自ら率先して働くことが大事で、そのぐらいの働きっぷりを見せないと。最初はそれが絶対的に正しいアプローチだと思っています」


 こうした林CEOの社長像の在り方は、結果的にプライベートのピンチを社員に共有するタイミングを遅らせたという。自分の体調面のことを社内にあまり明かさずに、なんとか仕事と家庭を両立しようとしていたのだ。


 「いつも『明るくあれが社長たる者の姿だ』と言ってるのに、自分がめちゃくちゃ暗いとか弱音を吐くのはダサいなと思って。それを理由に逃げたみたいに思われたくなかった」


●CFOの一言が状況を変えた


 とはいえ冒頭でも述べたように、林CEOが直面したのは自分だけの力では解決し切れない問題だった。状況が変わる転機になったのは、大学の後輩でもあったCFOの伊藤祐一郎氏だ。林CEOの状況をなんとなく察していた伊藤氏は「ちゃんとポジションをはっきりさせたほうがいいんじゃないですか」と林CEOに伝えたという。


 「正直、僕は最初、伊藤の言葉を聞き入れられませんでした。でも、あえてズバッと言ってくれたことが本当にありがたかった。今思えば、伊藤の言葉で、ようやく自分の状況と向き合うことができたんだと思います。あの時、伊藤が勇気を出して一言言ってくれなかったら、僕はずるずると無理を重ねて、もしかしたら仕事でも取り返しのつかないことになっていたかもしれない」


 これを機に、林CEOは社員全員に自分の状況を話すことを決意した。


 「『みんな、ごめん。俺、今こういう状態で、役員報酬もカットするつもり。正直、仕事はあんまりできないと思う。ぶっちゃけ、午前中は早く出社できないし、夕方もミーティングには出られない。本当にどうしようもない時は言ってくれ』。こんな感じで、自分の状況を包み隠さず話したんです」


 事実上、時短勤務になることをオフィシャルに宣言したことで、みんながようやく動ける状態になった。これでチームとしての方向性がようやく定まり、林CEOの不在中も、メンバーがそれぞれ自発的にリーダーシップを取ってくれるようになった。


“組織づくり”をいつやるか 見極めが重要


 これは、健康や家族についての向き合い方であるとともに、組織づくりについての話でもある。社長は何でもできる全知全能の存在であるべきだということのほかに、しっかりとした組織を作ってしまうとスタートアップの強みが失われるというのも、林CEOの信念だという。


 「僕は、まだ小さいのに、部門ができていて秘書がいたりする会社を見ると、ダメだと思っちゃいます。『会社らしくしたい』とか、そういう考えは絶対良くない。なぜかというと、スピード以外に大企業に勝てる要素が何もないからです。技術力だけで大企業に勝つなんてまずできない。大企業が意思決定に2〜3週間かかることを、スタートアップは社長の判断ですぐにアクションに移せる。そこにしか価値がない」


 機能別の組織を作るというのは、基本的に事業のスピードを落とすことになる。それは一定のフォーマットに従って業務に当たることになるからだ。指揮系統だってない方が断然事業のスピードは早い。だから組織化のタイミングは、延ばせるだけ延ばしたほうがいいと林CEOは考える。


 ただ会社が大きくなるにつれて、どこかで組織化し、権限を移譲していかないと、ふと気付くと会社が機能不全になっていることもあり得る。限界が来るわけだ。


 「そこの見極めを間違えると、組織化のタイミングが早すぎて、結局凡庸な会社になっちゃうとか、逆に遅すぎて突然崩壊したりとかするわけです」


 トップ自身が「グリップできなくなってきたな」とか「この話は聞いたことがない」「詳しく分からない」みたいな状態になってきたら、それは危険信号かもしれないと林CEOは振り返る。


 配偶者の産後うつをきっかけに、事実上の時短宣言をした19年当時、社員数は現在の約3分の1、100人程度だった。その当時、全ての仕事を把握していた林CEOだったが、ある意味自分の限界を悟ったのも、この事件だった。これをきっかけに、社長の指示なしでも自律的に動くリーダーシップが育ち権限委譲にもつながったという。


 「現実的に、社長にも能力には限界があるわけです。頑張れば多少は伸ばせるかもしれないけど、ある種の限界はあって。自分は数字に弱いとか弱みをしっかり認識して、いずれチームを作っていく必要があるんです。そうしないと、組織は瓦解(がかい)してしまいます。僕は昔、そういうことを全くできていなかった」


 スタートアップ経営者は、常に強くあらねばならないと思いがちだ。しかし、時には弱音を吐き、仲間に頼ることも必要だ。林CEOは、配偶者の産後うつという試練を通じて、この大切な教訓を学んだ。自分の限界を認め、適切に権限を委譲することで、チームの力を最大限に引き出し、会社の成長を加速させた。「完璧な経営者」を演じるのではなく、真摯に自分と向き合う勇気こそが、スタートアップ経営者に求められる資質かもしれない。


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