かつてあった「西銀座駅」がなくなった理由 〜そして東銀座は残った〜

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2024年05月13日 13:30  キャリコネニュース

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東京「銀座」は、誰もが知っている繁華街だ。東側に「東銀座駅」があるのも、東京の人なら知っているだろう。では、「西銀座駅」となるとどうか? 聞き覚えがないのは当然で、もはや存在しないからである。なぜ「西銀座駅」は消えてしまったのか?(文・昼間たかし)

「西銀座駅」が消えた理由

「西銀座駅」は1957年12月、地下鉄丸ノ内線の駅としてオープンした。駅名の理由は、銀座の中心部から見て西側に位置している、というシンプルなものだった。しかし、この西銀座駅という名称が使われたのは、わずか7年あまりにすぎなかった。

1964年の日比谷線開業に伴い、丸ノ内線の「西銀座駅」は、銀座線の「銀座駅」や日比谷線の駅と地下道で一体化した、現在の「銀座駅」として生まれ変わったからだ。

こうして西銀座駅の名は、あっけなく消えていった。ちなみに、東銀座駅ができたのは1963年2月28日、駅名が統合されたのは1964年8月29日なので、1年半ほどは「東銀座」と「西銀座」の両方の駅名が共存していたことになる。

わずかに西銀座の名前を残る「西銀座チャンスセンター」

「西銀座」がメジャーでなくなった理由

さて、「西銀座駅」がなくなった経緯はこれだが、実は「西銀座」という名称がメジャーではなくなったのにも理由がある。きっかけの一つは「そごう」のキャンペーンだった。

戦後、西銀座界隈には闇市が多く出ていて、1957年ごろはまだその名残が色濃く残っていた。そこにオープンしたのが「有楽町そごう」(1957年5月)だ。大阪を本拠地とするそごうにとって、東京への出店は大きな挑戦だった。

そのとき彼らが打ち出したのが「有楽町高級化キャンペーン」で、当時人気絶頂だった歌手、フランク永井に『有楽町で逢いましょう』を歌わせ、同名のテレビ番組や小説、映画とのタイアップを次々と仕掛けていった。こうして、このエリアはすっかり「有楽町」になってしまったのである。

かつての有楽町はこんな光景が駅周辺にずっと続いていたという

「有楽町」がメジャーになるにつれ、西銀座の存在感は失速していく。1958年には、やはりフランク永井の歌唱で『西銀座駅前』という歌が売り出され、同名の映画も公開された。この歌、サビの部分で「いかすじゃないか西銀座駅前」とまでヨイショをしている。ところが、露骨な二番煎じだったためか、こちらは見る影もなくなってしまった。

今は広場になっている三原橋を挟んで銀座と東銀座が分かれる

とはいえ、今も「西銀座」の名前が使われているケースもある。有楽町駅前には、長蛇の列ができることで有名な宝くじ売り場があるが、その名は「西銀座チャンスセンター」。隣接するモールは堂々と「NISHIGINZA」と名乗り、その経営会社は今も「株式会社西銀座デパート」だ。

ちなみに「東銀座」の方は映画も作られず、大ヒット曲もなく、ブームにもならなかったが、普通に定着したし、駅もそのまま残っている。まあそんなもんだよね。

このニュースに関するつぶやき

  • 銀座線の元祖銀座駅と接している日比谷線銀座駅と接してるんだから銀座駅に統一する方が営業施策といては正しいし、そもそも東銀座駅は日比谷線の駅なので銀座駅に統一できないだろ
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