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義母は何をしても私を責めることはなく、一番の味方でいてくれました。育児にも協力してくれ、おかげで子どもたちも立派に成長。長男のマサトは結婚し、次男のユウトは都心で働いています。しかし義母に認知症の症状が見られはじめ……。
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認知症の症状が進んでからは、義母は時おり性格が変わったかのような言動をすることがありました。「終わり」が見えないまま症状はどんどん酷くなり、私たちの日常をも蝕んでいくのです。それでも何とか自宅で頑張ってきましたが、私たちはそろそろ限界でした。
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同居生活は穏やかな日常でした。義母との仲も良好で、私は義母のことが大好きでした。しかし子どもたちの自立を見送り、これからのんびり暮らしていこうと思った矢先、義母に認知症の症状が見られはじめたのです。
最初は軽いものだったし、夫婦で見守っていこうと思っていました。しかしどんどん手がかからなくなる育児とは違い、介護はどんどん大変になってくるのです。やがて義母から目を離すことが難しくなってきてしまい、まとまった睡眠も取れなくなりました。私たちが日常生活を送ること自体が困難になり、ついに夫が高齢者施設に義母を入れることを決断したのです。運よく近くの施設に入れることになったのですが、義母は頑なに入居を拒むのでした。
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【第2話】へ続く。
原案・ママスタコミュニティ 脚本・渡辺多絵 作画・猫田カヨ 編集・井伊テレ子