ソニーとパナソニックの事業多角化から考える、新規事業のヒント 両者の明暗を分けたもの

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2024年09月12日 17:00  ログミー

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マスメディアは、100年かけて何をもたらしたか

中山淳雄氏(以下、中山):先ほど15年前のニコニコ動画の歴史をたどったんですけど、(この資料は)マスメディアが100年かけて何をしてくれたのかを、たどったものです。『クリエイターワンダーランド 不思議の国のエンタメ革命とZ世代のダイナミックアイデンティティ』の中心軸ではあるんですが、今回のテーマではないのでさくっと説明します。

実は1920年代に初めてミリオンセラーが生まれるんです。それ以前の時代は、基本的には劇場があって、落語家や曲芸師を呼んでいた。チケットやグッズを販売し、劇場のオーナーが(収益の)50パーセントで、本人たちも30パーセントぐらい、間を取っている人が20パーセントぐらいの感じだったんですね。

だいたい1人のプロが出て、100人ぐらいが聞くのが関の山だったんですけど、流すところ(流通・小売)と創るところ(プロ)がライブで動いていました。100年前を見ているとすごいんですね。「これからは新聞の時代だ」と日本全国が啓蒙されて、「これから日本はとんでもないことになるに違いない」という時代だった。

これは世界でも起こっているんですけど、この時は、今のストリーミングに近いかもしれないですね。何でもある状態を全国の流通に乗せて届けるのが、ものすごく力を持った。1980年代、1990年代がその集大成だったと思いますけど、テレビで届ける、劇場で届ける、コンビニで届ける。

ある意味いい面・悪い面があって、流通で流す人たちがプロの人たちを作っていったんですね。東映動画(東映アニメーション)や徳間書店があるから宮崎駿が生まれたように、流す人たちがクリエイターを育ててきた。『(週刊少年)ジャンプ』があるから鳥山明ができたようなものです。

マスメディアの時代から、マイナーメディアの時代に

中山:でも長くなってくると、だんだんプロがサボり始めるというか、「プロデューサーがこう言うので」「次の『浜崎あゆみになれ』と言われたので」と、本当のユーザーを見ずに流通の担い手が言うことがすべてになってきてしまうんです。

これがネットができた時の変革です。2000年代はちょうどレビューサイトやまとめサイトができて、消費者から見た時に「これは押しつけだよね」「プロと言いながら、われわれのことをわかっている?」「つまらないな」というのがバンバン出始める。ここでアマチュア型のものが無料ででき始めるんですね。

彼らは消費者から編集者になって、表現者になっていくんですけど、2010年代後半ぐらいから、投げ銭、切り抜き師、ライブ配信が出てきます。Z世代を中心にマイナーメディアを通して即興ライブで有名になっていく。

米津玄師もAdoもここから生まれて、有名になって5年ぐらいして、ユーザーが50万、100万フォロワーになり、初めてNHKの紅白にピックアップされていく。上の世界で出来上がった人よりも、下から上がってきた人のほうが「ファンをつかんでいる」とメジャーシーンを席巻していくんですね。

この100年は啓蒙の時代で、作って届けるのが本当に難しかった。「日本全国で同じものを味わえます」というマスプロダクションの対価を、100年かけて作ってきました。僕はこれを「冷凍食品」と呼んでいるんですけど、1回パッケージ化して、みんなの手元でチンしたら、同じものっぽく味わえますと。

これはすごく革新的だったんですけど、BtoBになりすぎていた。だんだんCtoCの中で「ユーザーが持ち上げたものを届けるほうが、良質なものだよね」とジャイアントキリングの時代になっていきました。

100年間をたどってわかったのは、ネットが生み出したものは消費者・編集者のユーザーが介入するもので、ここから生まれたアングラ(アンダーグラウンド)なものが、あとから拾われてメジャーになっていく。つまりメジャーコンテンツ、マスメディアの時代から、マイナーメディアの時代に変わってきました。

これは並行で続くもので、全部がマイナーメディアになるわけではなく、共同作業になっていくんじゃないかなと思っています。まとめると、リアルの価値はデジタルにはできない「摩擦」や「手触り」である。2010年代の自己表現は、マスコミがやっていた役割へのアンチテーゼ(対立論)なんじゃないかなと。

ソニーとパナソニックの明暗を分けたもの

中山:実は今回運営者の津島さんから「ソニーミュージックはおもしろいよね」という話がありました。これを「ファンエコノミー」と言っていいかわからないですが、どうやってソニーがエンタメになっていったのかの話を、最後にさせてもらえればと思います。

ご存じのようにソニーとパナソニックは明暗を分けた時代がありました。ソニーは1989年、ちょうど(売上が)3兆円だった時にコロンビア(・ピクチャーズ)を買うんです。(当時エンタメは)全体の1割5分ぐらいで、まだ電機が強かった時代に、ソニーはハリウッドに行きました。

パナソニック(当時松下電機産業)もマネをしてMCAを買うんですけど、これ(エンタメ)は1割未満なんですね。1990年代前半は日本が最高潮だった時期で、この時パナソニックのトップと当時のユニバーサルのトップの会談を見ていると、視点が違い過ぎていておもしろい。

でもパナソニックからすると「いや、うちの1割ぐらいだろ? 赤字も食っているし、あいつらはなんなんだよ」と結局5年で手放しちゃうんです。「別にアメリカといったって、日本のほうがでかいしね」というのも、ちょっとあって。

実はこの時、株価も評価されてなくて、売ったことは正解だったと言われるぐらい。(当時の時価総額が)2兆円だったソニーと約3兆円だったパナソニックはどうなったか。2000年ぐらいには、ソニーは音楽も映画もゲームもあり(売上)7.3兆円になりました。売上はパナソニックのほうがまだ大きくて7.7兆円。

この時の売上で言うと、パナソニックは(5年前と)ほぼ変わってないんですけど、エンターテイメントを手放しちゃいました。当時あったのはテイチクエンタテインメントぐらいかな。でも株価上はなんとなく拮抗(きっこう)しています。

かつてソニーでは、エンタメ事業はあまり評価されていなかった

中山:2010年はWeb2とデジタルの時代で、ソニーはiPhoneやiPadにやられちゃったんですけど、エンタメは本当にすごかったんです。でもこの時も時価総額は約3兆円で、実はあまり評価されていなかった。

むしろ「エンタメを切り離して、別会社にしたほうが良くない?」「エグジットしろ」「ソニーを分解しろ」ともよく言われていた時代でした。

2010年代後半になってから出てきた話で『ドキュメント パナソニック人事抗争史』という本もありますが、「1995年に、なぜ彼らは(エンタメを)手放したのか」と話題になりました。2020年にはソニーは(時価総額)13.4兆円、2023年は18兆円になっています。一方パナソニックは3兆円。(時価総額は)6倍の差になり、売上もようやく差がついています。

ソニーは2010年代後半のストリーミングの時代に、ゲームも音楽も映画もOTT(インターネットで提供されるサービス)で配信されるようになった。音楽もストリーミングになり、ゲームもサブスクリプションに。2010年代はエンタメ系が3割だったのが、10年かけて今では6割になりました。

ソニーグループ株式会社から「これからは全グループ、エンタメを意識せよ」となったので、ソニーのエンタメじゃない部門が、今すごく焦ってキャッチアップしようとしているんです。

1995年にすでに勝負は決しているんだけど、そこから15年ぐらいは「いや、ソニーはイケてないね」とずっと言われ続けていたんですね。でもIPビジネスの波が来て、ストリーミングとすごく相性が良かったので、この5年でこうなった。

結果はわからないものだなと思いますね。パナソニックはその後もずっとメーカーであり続けます。先ほど(2020年)のソニーの(売上)9兆円の中で、ミュージックはだいたい1兆円ぐらいなんですけど、ソニーミュージックは本当に革新的だなと僕は思っているんですね。

ソニーミュージックの挑戦

中山:1968年にアメリカのレコード会社が日本に初めて外資として入ってきて、CBS・ソニー(レコード)が設立します。外資は資本ブロックされていて、過半数はもてないんです。それで日系レーベルと「一緒に組みましょう」となった時に、最初に手をあげたのがソニーなんです。

でもソニーはその時ほぼ「外部の人間」を集めて組織を作るんです。70人くらいの組織で転籍者は2人(しかも出向を許さず全員「転籍」させた)で残りは全部外部から、しかもあえて音楽レーベル経験者をとらなかったんです。

「ソニーのメーカー部門で電気機器作っているやつができるわけねえだろ」とゼロイチで組織をつくって、10年かけてエピックレコードで音楽レーベルの日本一になった。

この時1,000億円ぐらいなんですけど、1987年についに米国本社のCBSレコードを2,700億円で買いました。(CBSレコードは当時)売上が1,500億円ぐらいだったのですが、これが成長していって、1997年にはソニーの音楽部門は6,000億円になるんですね。でもここがピークで音楽はパッケージの時代から弱っていくので、10年ぐらいかけて下がり続けていくんです。

でもそんなソニーミュージックからプレイステーションが生まれます。(プレイステーションは)ソニー本社じゃないんですね。「ソニーミュージックはいろいろとソフト系をやっているだろ」とプレステの部隊ができて、ここからソニー・インタラクティブ(エンターテインメント)という2兆円の会社が生まれます。

同じ1997年に「アニメもやろうぜ」とソニーピクチャーの部隊に資本参加してできたのがビジュアルワークスで、今のアニプレックスです。最初の10年ぐらいは調子が悪くて、2003年『鋼の錬金術師』、2006年『Fate』シリーズとやってきた中で、ついに2019年に『鬼滅の刃』を引き上げてしまう巨大アニメ企業になってしまった。

実はソニーミュージックはソフト系をどんどん極めていった会社なんです。2015年まで(売上)6,000億円だったのが、この7年ぐらいでとんでもないことになって、今では1.6兆円になっちゃったんですけどね。ソニー・インタラクティブのゲーム事業もうまくいる状況です。

(僕は)「どういう人材にどういう権限を持たせてやるか」という話だなと思っていて。ソニーの話はおもしろいし、ファンやWeb3の時代の中で、メーカーとして考えるべき筋が変わってくるんだろうなと思って、最後にお話をさせていただきました。

ちょっと時間はオーバーしちゃいましたが、今日の講義は以上となります。なにかご質問があれば寄せていただければと思います。

「自社製品を推してくれている人」をどう仕掛けていくか

司会者:中山さん、ありがとうございました。最後に時間の許す限りQ&Aをできたらと思います。

津島越朗 氏(以下、津島):みなさん、今日はありがとうございました。ご質問のある方はいらっしゃいますか? もし、いらっしゃらないようでしたら、ちょっと私からいいですか? 

中山:どうぞ。

津島:クラシコムさんの事例は知らなかったんですけど「なるほどな」と思ったんですね。さっきの「ビジョン」や「透明性」は出せる気がするんですけど、「余白」はどう作るのかなと。先ほどサイコロを転がすような話もあって、それだけ難しいことだと思うんですけど。もし(お答えが)難しいようだったら「クラシコムさんに当たる余白は、どこなのか」、どう考えればいいんですか?

中山:そうですね。正確な答えになっているかはわかりませんが……。例えば先ほどのYOASOBIのサブクリエイターの話があったじゃないですか。YOASOBIの屋代プロデューサーは「歌ってみた」「踊ってみた」のインフルンサーをリストアップしているんですね。

今まで20曲ぐらい出しているんですけど、20曲でやってバズった人を上から順にばーっとチェックして、「この『アイドル』という曲がこれから出るんで」とプッシュするんです。

「仕込む」と言うと言い方が悪いですね。強制はしてないんですけど、セミクリエイターたちに「どうでしょうか?」と押していく。最初の玉転がしはちょっと押すんですね。そういう人たちを持って関係をつないでおくことが、そもそもアドバンテージというか。

津島:じゃあ、自然発生的に自社製品を推してくれている人を、こちらからつついていって、もっと活動的にしてもらうイメージですかね。

中山:コラボも1個の仕掛けなんです。事前に「YOASOBIが好きだ」と言っていた漫画家やイラストレーターをリストアップしておくんです。本人から出ていないものはやらないんですね。

事務所経由で「これはどうでしょうか?」と出てきたことはあまり信じないというか。本当にその人が好きじゃないと、結局跳ねないことが多いので。「ヒカキンさんは青鬼やゲーム系が大好きだよね」と言うようにストーリーを作っていく。

津島:なるほど。「余白」という言葉を若干誤解していました。「いかに自発的なコンテンツ作りをしてもらえるか」という隙を残すと、わざとらしくなっちゃうから。どっちかと言うと自然発生的に生まれたものに対して「やってもらっていいから、お願いしますね」というのが「余白」に近いんですかね。

中山:そうですね。ルール作りもありますね。ゲーム実況では、今の子はみんな「オンにしていいんだっけ? オフにしていいんだっけ?」とすごく気にするんです。だから先に「うちはシェアオッケーなので」と明示しておくんですね。

あと音楽では「使うんだったらこの部分を使ってね」と、「歌ってみた」「踊ってみた」ができるようにしておく。

津島:なるほど。それが「余白」なんですね。ありがとうございます。

司会者:ではお時間となりましたので、本日は以上とさせていただきます。中山さん、ありがとうございました。ご参加いただいたみなさまも、ありがとうございました。

津島:本日はありがとうございました。

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