【フェンシング】エペジーーン山田優5年ぶり3度目の日本一!五輪メダル金銀…2年後の引退延長

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2024年09月14日 20:46  日刊スポーツ

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男子エペで5年ぶり3度目の日本一になり、応援に感謝する山田(撮影・木下淳)

<フェンシング全日本選手権>◇14日◇第1日◇男子エペ、女子フルーレ◇静岡・沼津市総合体育館



男子エペ団体で21年東京オリンピック(五輪)金メダル、今夏のパリ五輪は銀メダルの山田優(30=山一商事)が5年ぶり3度目の日本一に輝いた。決勝で大谷謙介(専修大)に15−10で快勝。前夜は39度の発熱があって寝込んでいたが、同部屋だった日本代表コーチの坂本圭右(40=自衛隊体育学校)を3回戦で破ると、あとは危なげなく頂点に返り咲いた。


パリで日本の個人初となる金メダルを獲得した加納虹輝(JAL)は欠場。「決勝で虹輝に勝って日本一になりたかったけど、今日の状態では難しいので、また来年」と笑い、応援に駆けつけた女子エペ元日本代表の里衣夫人と1男1女、家族全員の前では初となる優勝を飾った。


いつも気を抜いた瞬間や流れが悪くなった時間帯に「里衣ちゃんから、妻から的確な指示が飛んでくるので。今日は比較的、そういう展開にはならなかったですけど」と笑いつつ、早くも4歳になった長男からの「パパ、頑張れ〜!」の声が響き渡る中、父の威厳で勝ち切った。


フランスから帰国後は、御礼のあいさつ回りや「加納杯」への参加など普及活動に力を注ぎ、剣を握った練習は10回あったかどうかだったが、メダリストの貫禄も示した。


「決勝で対戦した大谷選手は前から結構、練習を一緒にしていた仲間なので。2人とも緊張してガチガチの決勝戦、ではなく、いつも通り楽しくできたので良かったですね。大谷選手からも試合後『優さんと楽しく試合できて良かったです』と言ってもらえて、僕もすごくうれしかったです」


前夜から、この日のスーパーシード選手の締め切り直前まで、ベッドにいた。


「本当にもう、目も開けられないくらいで。同部屋だった坂本コーチに助けてもらって、朝も先に出てもらって、ギリギリまで休ませてもらいました。坂本コーチには、パリで手足口病にかかった時も付きっきりで面倒を見ていただいたので、本当に感謝です」


ただでさえ、この4年に1度の五輪代表勢は、秋の全日本までの間隔もなく、練習量を確保できない。そこに不運も重なり「体調を崩したのが昨日で、とにかくコンディションが悪いので、欠場も考えましたね。起き上がれないので無理だなと思ったんですけど、もう負けてもいいから出ようって」


意地の背景には、昨年の全日本があった。招待券10枚を送って1人しか来場してもらえなかった。東京五輪の、日本フェンシング界初となる金メダルから、わずか2年後だ。


「去年は、本当に寂しくて。なので今年は、パリの報告もしたかったですし、たくさんの方々に『応援に来てください』って、とにかく声をかけたんです。そうしたら、本当に多くの方が来てくださったので、それで『今日、出ません』はヤバいですよね(笑い)」


だから「負けてもいいから、もう1試合だけでも頑張ろう」と覚悟を決めた。


「初戦(大学生に15−12の接戦で)本当に危なかったんですけど、何だかんだ勝てたので、まあ今日もメダル(4強)くらいはいけるのかなと思ったんですけど、本当に優勝できて良かったです。でも3回戦で(15−12で破った)坂本コーチから、最後、何か手を抜かれた感じがして悔しいので(笑い)。来年はボッコボコにできるように頑張ります!」


その後は危なげなく5試合を闘い抜く姿を見せることができて、一定の納得感があった。「負けた時の言い訳もあったので、最強状態でしたから(笑い)」。不調を逆手に取った、可能な限り体力を消耗しない勝ち上がり方も、また新たな引き出しを増やす1日になった。


何より、東京五輪の後、なかなか定着させることが難しかった興味を、再びパリの輝きで引き戻し、全日本でも声援に結果で応えられたことが、素直にうれしかった。


大会前は、大きな決断を撤回していた。東京で金、パリで銀。一時は個人の世界ランキング2位、団体は同1位まで上り詰めた。三重・鳥羽市の出身。実は26年の愛知・名古屋アジア大会で引退する意向を固めていた。


「正直、もう2年後でやめるつもりだったんです。地元の三重県から(隣県へ)応援に来やすくて、東京からもアクセスのいい名古屋で、たくさんの人に応援していただきながら、今日のように優勝する姿を見せて、最後にしたいと思っていたんです」


しかし、弟のようにかわいがる松本龍(日本大)がパリ代表から落選し、決心が揺らいだ。


五輪メンバー発表前、最後のフランス遠征中。自身と坂本コーチ、松本の3人部屋だった時に、無念の通達があった。


「もともと、まだ龍は学生ですし、お金がなくて遠征費を出せない。海外を回れない。『だから五輪を諦めます』という相談をされてから、始まったんです。いろいろ教えるようになって、すごく仲良くなって、本当にかわいい弟のようになって」


パリにも応援に来てくれた後輩の、銀メダルを祝福してくれながらも悔しい表情を隠せない姿を見て、心から思った。「次は一緒に笑顔になりたい」。第一線から退く計画を撤回。「龍と28年のロサンゼルス大会で金メダルを取って引退したい」と、今年30歳を迎えた節目に競技人生最後の目標を延長した。


今後は、パリで史上最多5個のメダルを量産した日本フェンシング界の注目度維持や、裾野を広げる活動に、攻めの姿勢で取り組んでいく。


「東京の後、メダルの重みの正解をパリへ再確認しにいきたいと思っていたんですよね。メダルを取った後、待つのではなくて、積極的に自分から行動を起こしていかないと。それが大切だって気付かされたのが東京とパリの違いですね」


まだ熱が、余韻が残る全日本で3度目の王座を奪回した。23日には埼玉・和光市で体験会を行うなど、つかの間のオフも普及に努めるつもりだ。11月から、また新たな海外転戦も始まる中、意欲は強い。日本フェンシング界を次のフェーズへ押し上げる。【木下淳】


◆パリ五輪代表の結果 銀メンバーの見延和靖(ネクサス)が8強、リザーブから昇格して貢献した古俣聖(本間組)が初戦の2回戦で敗退した。加納は欠場した。


女子フルーレは、パリ五輪の団体で史上初の銅メダルを獲得した東晟良(共同カイテック)が2位。長瀬凛乃(日本女子体育大)が初優勝した。


同じ銅メダル組の上野優佳(エア・ウォーター)宮脇花綸(三菱電機)菊池小巻(セガサミー・ホールディングス)は8強だった。

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