【フェンシング】“最強”坂本圭右40歳、今年は手を抜いた!?五輪で金銀の山田優が疑いの目

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2024年09月16日 12:08  日刊スポーツ

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フェンシング全日本選手権 男子エペ3回戦で山田優に惜敗も、満足そうな表情を見せる坂本圭右(撮影・木下淳)

<フェンシング全日本選手権>◇14日◇第1日◇男子エペ、女子フルーレ◇静岡・沼津市総合体育館



男子エペのパリ五輪(オリンピック)日本代表コーチで、優勝4度を誇る40歳の坂本圭右(自衛隊体育学校)が、五輪の金銀メダリスト山田優(30=山一商事)を最も苦しめた。5年ぶり3度目の優勝を遂げた元自衛隊所属の後輩と、終盤まで12−12という接戦を演じ、最後は「わざと負けたんじゃないか説」まで浮上!? する強さを見せた。


予選プールは6戦全勝でダントツの1位。前年覇者で第1シードの教え子、松本龍(日本大)との初対戦を狙っていたが、抽選で山田と3回戦で当たる組み合わせになり、モチベーションが“下がった”という。


「今年は龍と当たることだけ考えて、予選も龍と当たれるよう勝ちにいったのに、シャッフルになって。決勝トーナメントを見た瞬間、もうやる気なし。優にだけは絶対に勝てないの分かってたんでね」と笑い飛ばし、投げやりになっていたそうだが、そうは見えない。団体で21年の東京五輪金メダル、今夏はパリで銀をつかんだ山田と、対等に渡り合った。


序盤は2−6とリードを許すも、追いつき、中盤から一進一退。12−12で終盤戦に突入した。13点目を、山田に奪われる。不運な形で剣先が腕に入って失点し「あの局面で、ああいうことが起きるとね。またやる気が…」。笑顔なので真意は読めないが、そこから簡単に2失点。12−15で屈した。


「昨日、優と一緒の部屋に泊まってましてね。(39度の発熱で)『体調が悪い…』って、ずっと寝てたので、自分がご飯とか運んであげたんです。飲みも1人で行って。せっかく、お世話してあげたのに、勝たせてくれないんですよね」


そうボヤいたが、今年も坂本が“最強”だったのかもしれない。勝った山田から、試合後に、こう首をかしげられた。


「おかしいんですよ、途中から(笑い)。何か手を抜かれた感じがして。たぶん引退した指導者が(パリ五輪のメダリストに)勝っちゃいけないって空気に、あの人の中でなったんじゃないですか。途中から、手応えが急になくなったんですよね(笑い)」


実は、後輩に花を持たせたのだろうか。体調不良も目の当たりにしていただけに…いや、それ以上に、過去の実績が謎を呼ぶ。


19年、第一人者だった坂本は現役生活に区切りを付けていた。「引退試合」と位置付けて出場した、翌20年の全日本選手権で8年ぶり4度目の頂点に。当時は「僕、去年いっぱいで引退したんで。今? コーチです。練習? してません。なぜ勝てたか? そんなこと聞かれても…」と報道陣を泣き笑いさせていた。


その日を最後に、本当に剣を置いたはずだったが、また復帰していた。22年大会だ。「今回は本当。2年間、試合に出てませんよ〜」と言い放ちながらも、また決勝まで勝ち上がった。


後に、山田たちと五輪のメダル2個を手にする見延和靖(ネクサス)を準決勝で撃破。見延はその直前、世界選手権の個人で銀メダルに輝いていたが、倒してしまった。決勝戦こそ、こちらも後に、パリで日本の個人初となる金メダルに輝いた加納虹輝(JAL)に屈したものの、準優勝で花道…だったはずだったが、またまた帰ってきた。


先月までは、パリで日本選手団のジャージーを着ていた。史上最強ジャパン「エペジーーン」のコーチ。なのに全日本では、今年もユニホームを着てマスクをかぶって、一部では“事実上の決勝”と呼ばれた山田との試合の最中に、観客席の関係者を見つけて笑みを振りまいていた。


今回は「まあまあ練習しましたよ。NTC(味の素ナショナルトレーニングセンター)が休みだった時、日大のフェンシング部が自衛隊で合宿したので、一緒に」と明かした…かと思いきや「午前中、ずっとサッカーやったり」…という調子だ。やはりつかみどころがないが、体が絞れていたことだけは間違いない。


「(遠征先の)クウェートの海で、見延と上半身裸で並んで写真を撮った時、ダイエットを決意したんです」


目に、言葉に力を込めた通り、自然と10キロ走などが日課になって6キロほど減量したという。2キロほどトレーニングや食事で戻して69キロ。動きは抜群だった。


だから、年明け2月には41歳の誕生日を迎えるというのに、予選は唯一の6勝0敗と無双だった。決勝トーナメントの1回戦も2回戦も、体力ある法大生と慶大生を、いや本当に弱くない有望剣士たちを、ともに15−10で圧倒していた。


ファン待望の、山田との3回戦に駒を進めた最後に“手を抜いた疑惑”まで持ち上がった次第。それほど衰えを感じさせなかった。


4年前に36歳で優勝した後、不惑になり、階級は2等陸尉から1等陸尉に昇進した。もう、生涯現役なのだろう。当人は「いや、本当に引退したんですって。自衛隊でも肩書は、しっかり近代五種班のフェンシングコーチですから」と指導者の顔をするが、昨年も全日本に出場していた。


毎回「もうないです」なんて言うものの「今年は…」と、仕方ないんです的な顔をした。


「大先輩(49歳)の持田さん(彰久氏、大分・情報科学高)が、去年は出られなかったんですけど『また全日本に出るために膝の手術を受けた』と、おっしゃっていたので。『じゃあ今年も出て会いましょうか』となっただけで」


こちらも完全引退に追い込みたいわけではないので歓迎なのだが、いずれにしても、まだまだ日本一決定戦では譲らないレベルにあることを証明した。五輪2大会連続の決勝進出チームを教えているのだから、当然なのだろう。


実際、その姿がパリにあった時には、オレクサンドル・ゴルバチュク・コーチ(愛称サーシャ)の右腕として、加納が日本の念願だった「個人初」の金メダルをつかむ快挙を、団体が「連続初」となる銀メダルを手にする獲得する成果を、後押しした。山田、見延とリザーブから昇格の古俣聖(本間組)が奮戦し、アンカーの加納が最終の第9試合で追いついて延長戦へ。最後の1ポイントが金銀を分ける、ひりつく瞬間を、ベンチコーチとして見届けた。


「最前列、特等席で、どちらに転んでもおかしくない一本勝負を見られた。誰もが経験できるようなことではないので、すごく、いい勉強をさせてもらいました。これからの選手育成に生かしていきたいと思います、しっかりと」


いつの日か、日本代表監督にだってなるかもしれない天才は「やっぱり、やっていきたいですね。引き続き日本代表チームのコーチを。あとは、若い世代を育てて層を厚くしていきたい」と育成年代の指導に興味も、責務も、感じている。


今後は「二刀流」…いやまあ、普通に「兼任」という形で、日本代表と自衛隊のコーチを継続する。パリでは2連覇こそ逃したが「また選手たちがロスで金メダルを取ってくれれば。そのために、僕にできることなら全てやりますよ」。11月から始まる新シーズンの海外遠征にも同行する予定だ。


「本当は、どちらかに専念しなければいけないのかな、と思うんですけどね。やっぱり片手間になってしまうと、特に若い子たちを育てるとなると、全国を回らなければいけないですから。やっぱり、そういうことをしていきたい思いが強いので」


一方で、トップ強化の現場でも不可欠な存在だが「大丈夫ですよ、虹輝だったり優だったりは、もう自分で何でもできるようになりましたから。もちろんサポートはしますけど、これから大きく変えることはないと思いますし」と信頼を置く。


代表では“5番手”でパリ切符を逃した松本ら若手を引き続き、鍛え抜く。


「やっぱりオリンピック選考で漏れて悔しい思いをした分、モチベーションは高いので。十分、メンバーの中に入っても戦える実力は持っていると思います。あと(26歳の)虹輝はまだまだ大丈夫ですけど(30歳の)優は、これから年齢との戦いになってくると思うんで。4年後、使い物になるか分かりませんからね(笑い)」


金銀メダルを持つ最新の日本王者に、こう言えるのも彼だけだろう。最後に「来年も期待しています!」と取材を締めると「いやいやいやいや」と手を振りながら否定しなかった。


「遊びで出るかもしれません」


来年は坂本にとって、初優勝から数えて20年目の全日本になる。【木下淳】

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