「このおっさん、難しいこと言うな」欽ちゃんファミリー佐藤B作、“稽古の鬼”萩本欽一の教え

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2024年09月20日 11:00  週刊女性PRIME

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さとう・びーさく 1949年、福島県生まれ。'73年、劇団東京ヴォードヴィルショー結成。結成以来座長を務め、「日本の喜劇」にこだわった公演活動を続けながら、創立50周年を超える。これまで数々のドラマ、舞台に出演。'13年、劇団として第48回紀伊國屋演劇賞団体賞受賞、'24年には第45回松尾芸能賞優秀賞を受賞する。

「欽ちゃん&香取慎吾の全日本仮装大賞」(日本テレビ系)の記念すべき第100回が来年1月に放送予定。萩本欽一さんといえば、忘れてはならないのが欽ちゃんファミリー! 欽ちゃんバンド佐藤B作さんは今、どうしてる? そして、萩本さんの忘れられない教え、思いとは―。笑える中にほろりとくる、まさに萩本イズムのお笑いのようなエピソードが満載でした!

「大将から教わったものは、テレビそのもの。テレビの世界を教わりました」

 そう語るのは、佐藤B作さん。「なんだか自分じゃない自分を演じていたみたいで恥ずかしかったんだけどね」と頭をかくが、『週刊欽曜日』にレギュラー出演したことで全国的な人気を獲得した。

「このおっさん、難しいこと言うな(笑)」

 B作さんが座長を務める「劇団東京ヴォードヴィルショー」は、萩本さんの番組を担当する構成作家集団「パジャマ党」と交流があったという。その縁で、同劇団に在籍していた山口良一さんが『良い子悪い子普通の子』でヨシオとして見いだされ、B作さんもテレビの世界にいざなわれることになる。

「『うちの山口がお世話になっています』って大将の楽屋へ挨拶に行ったら、なんだか気に入られたみたいで。『今度TBSで新しい番組が始まるから稽古に来なさい』と言われて出演することに。最初は、どんな番組になるのかも決まっていなかったんですよ」(B作さん、以下同)

『週刊欽曜日』はコントに加え、「欽ちゃんバンド」として音楽も披露した。中学校時代、ブラスバンド部でトロンボーンを吹いていたB作さんは演奏ができたが、「(風見)しんごや小西(博之)は演奏経験がないからゼロから練習。何度やっても合わなくて大変だった」と笑う。

「コントにしても、テレビと舞台は勝手が違った。ハプニングが起きると、『あっ!』って驚くでしょ? でも、大将はカメラが追いついてないところで驚いても撮れてないから、『(テレビは)すぐに驚かずに二拍遅らせてから驚け』って言うの。『決められたセリフをアドリブのようにしゃべりなさい』とか、このおっさん、難しいこと言うなって何度も思った(笑)」

「運は全部仕事に使え」

 全国的に知名度を得たことで、「劇団東京ヴォードヴィルショー」には若い中高生のお客さんも増えたそう。だが、

「こっちは『週刊欽曜日』では絶対やらないような不まじめなことをしていたから戸惑いましたよ。何やってもキャーキャー言うから、『うるせぇ!』って舞台上から叫んだこともありました(笑)」

 共演者に若手が多い中、B作さんと萩本さんとの年齢差は8歳。演者の中では、もっとも年が近く、また共に座長という共通項もあったため、「それなりに信用されている感じはあったと思う」と振り返る。

「ただね、ホントに反省会が長かった。普通、反省会ってお酒を飲みながらとかでしょ。ところが、大将はお酒を飲まないから収録直後に控室で行う。ひと通りダメ出しが行われると、そろそろ終わりそうだなって雰囲気になって、示し合わせたようにみんなが“余計なことを言うな”って顔をするの。なのに、(清水)善三が手を挙げて、『あそこはどうしたら』なんて言うんだよ。そこからまた1時間……ホントに善三は空気が読めなかった!(笑)」

 あるとき、車に乗り込もうとした萩本さんに質問をした共演者がいたという。「片足が車の座席に乗っかって、半身の体勢のまま30分以上ダメ出しが続いたからね」。B作さんは、「あんなに細かくて、異常にこだわる稽古の鬼はいない」と畏怖の念を漏らす。

「『運は全部仕事に使え』という人です。ゴルフに行って、雨が降ると喜んでいた。『晴れるために運を使わなくてよかったな』って(笑)。持っている運は、みんな一緒。それをどこに使うかによって、その人の人生が変わると。たしかに、僕が大将のもとへ挨拶に行き、声をかけられたのも運ですよ。萩本さんと出会って悪いことって何にもない。稀有な人だと思います」

取材・文/我妻弘崇

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