2017年、第37回横溝正史ミステリ大賞優秀賞を受賞した「悪い夏」で作家デビューを果たした染井為人氏。これまでに上梓した小説のうち「正体」と「悪い夏」がテレビドラマや映画として映像化されているが、映像化にあたっては多くを要望しないという。映画『正体』もこの考えに漏れないが、その潔さはどこからくるのだろうか。
【写真を見る】「冤罪と未成年の死刑囚」が執筆の背景に 『正体』原作者・染井為人氏が「僕自身もちょっと救われた」と話す、原作と映画の関係性
一家惨殺事件の容疑者として逮捕され、死刑宣告された当時未成年の鏑木慶一が決死の覚悟で繰り広げる逃亡劇を描く本作。正体を隠し、日本各地でさまざまな人々と接触しながら「ある目的」を果たすために逃げ続ける鏑木。小説で紡いだ物語がスクリーンに投影され、それを目の当たりにした染井氏は「映画は小説のアンサー作品」とSNSで発信した。
原作者が“アンサー”と言い切るほどの信頼を勝ち得るにはどんな経緯があったのか。映画制作チームの“リスペクト”と“愛”が染井氏に与えた感情をひもときながら、クリエイターそれぞれがもつ“正”や“義”を考えていく。
この二人になら、自由にやってもらってもいい──小説と映像は表現手法に違いがあると思いますが、『正体』の映画化にあたって期待していたことは何かありますか。
|
|
作家さんによると思いますが、僕の場合は「ああしてほしい」「こうしてほしい」というリクエストは一切ありません。『正体』に関していうと、映画は小説とだいぶ設定が異なりますが、それも全然構わないんです。実のところ、僕と編集者さんで作っていた作品がここまで大きくなり、僕の手を離れていった感覚があって…。僕自身、映画やドラマが好きなので、一人の観客として「どういう作品になるんだろう」という楽しみのほうが大きいんです。というのも、クランクイン前に(横浜)流星くん、藤井(道人)監督とは二度ほど食事に行く機会があったんですが、そこで原作リスペクトをすごく感じたことが大きかった。「この二人なら自由にやってもらってもいい」と思ったので、一切不安を感じませんでした。でも、そんな僕の反応を見て、お二人は拍子抜けしてしまったみたいですけどね(笑)。藤井監督は、「それがプレッシャーになった」とおっしゃっていました。
──映画制作サイドからの“愛”を感じたことで信頼が生まれたのですね。
撮影前に原作者と主演俳優、監督が密に連絡を取り合うことってあまりないんです。それだけ、お二人からは並々ならぬ意気込みやチャレンジ精神を感じました。「この映画は自分たちの力でいいものにする」という熱さがあったんです。
実際の事件や事例に触れて、“脱獄少年死刑囚”を主人公に──小説「正体」執筆の背景を教えてください。
冤罪と未成年の死刑囚、この二つのテーマに興味をもったことが始まりでした。犯罪とまではいかずとも、やっていないことを「やった」と言われることは誰しもに起こりうるわけで、それはとても悲しいことじゃないかと思ったんです。それが冤罪ともなるとどれだけつらいのだろうと。また、昭和の時代は、逮捕されると厳しい尋問があり、精神的・体力的な限界があって罪を認めてしまう人も多かったと聞きます。いわゆる泣き寝入りをせざるをえなかった事例があったのではないかと思ったときに、現代にもそれがなきにしもあらずなのではないかと考えて…。それを小説にしてみたいと思うようになりました。
|
|
──未成年の死刑囚をもう一つのテーマにしようとお考えになった理由は?
この作品を書いたころ、未成年の死刑囚について書かれたルポルタージュを読んだんです。そのとき、未成年でも死刑宣告を受けることがこの日本でもあるという現実をあらためて目にして、それが良いか悪いかは別にして、とてもショッキングなことだと思いました。また、本作の主人公(未成年死刑囚)は脱獄をしますが、ちょうどその頃、脱獄事件が起こったんですね。犯人は自転車で日本中を逃げ回っていましたが、彼に会った人たちは皆、まさかその人が脱獄犯だとは思わなかった。若い人が自転車で日本縦断を目指しているなんていい話だと言って、ならば飯でも食わせてやろうと親切に接してくれたという。当時ものすごく報道されていたにも関わらず、彼は各地で写真を撮っているんですよね。笑顔を浮かべて。あれだけ堂々としていると、脱獄犯だということも意外とバレないものなんだなと思い、「未成年の死刑囚が脱獄して逃亡する」という題材にチャレンジしてみることにしたというのが経緯です。
救いのある展開に自分自身が救われた思い──小説の初版が出版されたのが2020年。その2年後に発行された文庫本には異例の内容と言えるあとがきが掲載されています。
あのあとがきは(主人公の)鏑木慶一に対する懺悔です。「正体」はあくまでフィクションでありエンタメ小説ではありますが、あんなにいい子の結末があの形であったことに心残りがなかったわけではなかったので。
──9月12日にポストされたSNSには「映画『正体』は小説「正体」のアンサー作品だと思う」とも書いていらっしゃいます。その真意とは?
|
|
率直な気持ちです。僕は、自分が書く作品には大抵、いいやつにもイヤなところがあったり、すごく悪いやつにも人間らしいところがあったりという描写をするのですが、『正体』に出てくる警察は権力の象徴です。映画ではそんな警察を、山田孝之さんを通してある種の“良心”を入れて描いてくれています。だからこそ、映画での描き方にはありがたさを感じたんですね。実際のところ、小説を読んだ方々からは「悲しさだけを表立って終わらせてほしくない」という声もかすかに聞こえましたので…。映画ではある種の救いがあったことで、僕自身もちょっと救われた気持ちもあります。
──小説も映画も、原作者にとってはどちらも大切な作品になったといえますか。
最近、とある書店さんが書いてくださったレビューを拝見したんです。そこには「小説と映画の二つを見て完成する」とあったのですが、いいこと言うなと思ったんですよ。小説だけだとちょっとつらすぎる。でも、映画を観た後に、物語のさらに深いところに入っていくために小説がある。そんな関係でもあるのかなという気がしています。
自分の欲のために人を傷つけることがあってはならない──「正体」では、それぞれの人物が抱く信念や正義、真実が描かれています。染井先生が自身を貫くために大事にされていることは何でしょうか。
難しい質問ですね(笑)。日本は法治国家で、法律に基づいて我々は生きています。でも、それを破らないようにしてはいても、何事にもグレーな部分ってあると思うんです。とくに現在はモラルがすごく問われる世の中ですよね。犯罪ではないけれど、「それは人としてやっちゃいけないんじゃないか」という定義があふれているのではないでしょうか。それを責め立てて、匿名で他人を誹謗中傷する事例が多いのかなと。
──正義を振りかざすような風潮に危険性を感じられますか?
自分が正しいかどうか、その善悪の判断は自分にしか決められません。そんななか、僕自身が気をつけていることは、他人を傷つけてまで自分をすっきりさせないこと。自分の欲のために人を傷つけることがあってはならない。シンプルに考えると、それが一つの基準なのではないかと思います。ネットの情報といったいろいろなものに吸い込まれて煽られて…そこに乗っかっている世の中ですけど、自分の目で見て聞いて判断することが大事なのではないかなと。『正体』では、主人公と出会った人々がそれぞれ行動を起こしていきますので、自分の目で判断することがキーワードとして大事なのかなと僕は考えます。藤井監督ともそんな話をした気がします。
人が100人いればそこには100通りの考えがあり、ときに感情のかけ違いやもつれが生まれる。それがトラブルに発展することも少なくはないだろう。そうさせないためには何が必要なのか──。考え方が違う人間同士が寄り添い、一つの社会で生きていくために大切な“信頼”の生み方を、『正体』を世に送り出し大きなプロジェクトとして制作者に託した作家・染井為人氏の懐の大きさから感じた。