斎藤工の色気は健在!『昼顔』から10年『海に眠るダイヤモンド』での“色気の自家発電力”がすごい

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2024年12月15日 16:10  女子SPA!

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(画像:TBSテレビ『海に眠るダイヤモンド』公式サイトより)

日曜劇場「海に眠るダイヤモンド」(TBS系)が最終章に向けて盛り上がってきた。

当初、1950年代の長崎・端島(軍艦島)の人々の生活と2018年の東京の物語が行き来する展開が、両者の関わりを謎にしていたため、指針が得られず、困惑する視聴者もいたようだ。ところが、第6、7話で過去と現在のつながりが見えてきた。

◆斎藤工演じる進平に鮮烈な見せ場が

1950年代、「一島一家」として助け合って生きてきた人たち。彼らは石炭産業で生活を成り立たせていたが、時代が変わるにつれ、島から人は離れ、1974年に閉山、現在、人は住んでおらず、世界文化遺産として観光地となっている。

2018年の東京でホストをやっていた玲央(神木隆之介)は、そんな歴史を何も知らない。あるときその島の出身者であるらしい老女・いづみ(のちに朝子〈杉咲花〉と判明)と出会うことで、知らない歴史に触れるのだ。

玲央はいづみ(朝子)が島で暮らしていたときの大切な人・鉄平(神木二役)に瓜二つであった。玲央と鉄平の関わりとは……と気になるなか、第7話では端島の炭鉱で大きな事故が起こる。幸福だった端島の生活に陰りが……。終わりのはじまりのようなこの事故で、鮮烈な見せ場があったのが、斎藤工演じる進平であった。

進平は鉄平の兄で、端島で炭鉱員として働いている。長男らしい頼もしさがあり、家族や仲間思いの好青年だが、戦時中、戦場でヘヴィーな体験をしたらしく、どこか冷めたところがある。さらに戦後、妻・栄子が台風で行方不明になり、その面影を忘れることができずにいた。そんな進平の哀しみを湛えた陰影が魅力的だ。

やがて進平は、福岡から流れてきた謎めいた女性リナ(池田エライザ)と惹かれあっていく。リナは福岡のヤクザものに追われていて、お互いが抱えている暗い過去のようなものが引き合うかのような、どこかいけない恋愛みたいな空気感がほかのシーンとは桁違いの濃密さで、異質さを放っていた。

斎藤工が彼の出世作である不倫ドラマ「昼顔〜平日午後3時の恋人たち〜」(14年 フジテレビ)で、度数の高い酒のようなムードを発揮していたのはちょうど10年前であった。10年経ってもなお、斎藤工の色気は健在であったことに驚いた。

◆「昼顔」以降イケメン俳優路線から遠ざかろうするよう?

「昼顔」でブレイクして以降、斎藤工は恋愛系イケメン俳優路線から遠ざかろうとするかのように、自身で監督したり、プロデュースしたり、クリエイティブな活動に熱を注いでいくようになっていた。何度か取材をしたが、もともと映画が好きだった斎藤の映画に対する熱は並々ならぬものがあった。

庵野秀明脚本、樋口真嗣監督の「シン・ウルトラマン」でウルトラマン役として主演したり、その流れで庵野監督の「シン・仮面ライダー」にも重要な役で出たり、この数年、女性客以外にも彼の魅力に気づいた人も増えたのではないだろうか。コロナ禍では、ミニシアターを救う活動も積極的に行い、自身が監督する映画では、子どもを持ったスタッフのための託児スペースを設けるなど、映画と社会の関わりにも目を向けている。

「海に眠るダイヤモンド」は先述のリナとの場面で、久しぶりの恋愛パート要員としての登板という印象を感じさせたが、斎藤には十代の頃、沢木耕太郎の「深夜特急」に憧れてバックパッカーとして海外を放浪するような、骨太でロマンチストな面があるので(23年にはラジオドラマ「深夜特急」で沢木耕太郎役をやった)、「海に眠るダイヤモンド」の進平のような、戦争帰りの影のある、かつ、女性を引き付ける色気あふれる人物というのはドハマリだった。

自然にダダ漏れなのか、すごく頑張って演じているのかよくわからないが、色気の自家発電力は相当のものである。

◆色気だけでなく、生命力の輝きを演じて見せた斎藤工

「海に眠る〜」の番宣で出た「Astudio」(TBS系)で「中年になってから伸びしろないし」という斎藤特有の自虐的な発言をしていたが、伸びしろ、十分あると思う。

少なくとも色気の伸びしろを見せつけてくれた。いや、それだけではない。

この10年やってきたいろいろな役や体験が総動員されて、戦後、炭鉱員として生きてきた人物の様々な面を感じさせるいい演技をしていると思う。

リナと子どもを作り、幸福な生活をおくっていた進平が炭鉱事故で取り残され、酸素不足から幻覚を見る。亡くなった栄子の幻に、死の淵(ふち)に足を踏み入れそうになるも、リナと子どものことを思って生の世界に戻ろうとする。そんな生と死の間(はざま)を行き来する姿は見る者の心をざわつかせた。

恋愛パート要員ではなく、斎藤工は、戦争や自然災害で、大切なものを奪われながら、それでも生きていこうとする生命力の輝きを演じて見せたのである。

◆プロデュースしたドキュメンタリー映画での感受性

そんな斎藤工が、齋藤工名義でプロデュースしているドキュメンタリー映画「大きな家」(竹林亮監督)が公開中だ。これは、児童擁護施設の子どもたちの姿を丁寧に撮ったものだ。

映画の公式サイトで斎藤は「約4年前に1日限りのイベントのスタッフとして訪れたとある児童養護施設の子が、帰り際に何とも言えない表情で私達大人を見ていました。『貴方もまた、もう二度と来ない大人なんだね』とでも言わんばかりのその目が忘れられず、時折、個人的に施設にお邪魔していました」と語っていて、それをきっかけに映画が生まれた。

丁寧に時間をかけて何度も足を運んでコミュニケーションをとったうえで撮影を行い、さらに登場している子どもたちのプライバシーにも配慮してほしいという呼びかけも行ったうえで慎重に上映している。

斎藤の「もう二度と来ない」という潔癖なまでの感受性に筆者は興味を覚える。映画や取材の仕事とは常にそういうことの繰り返しである。

それをよく言えば一期一会と捉えたりするものだが、なかには、単なる興味、単なる消費のような関わりも残念ながらあるものだ。それでも出会いのひとつひとつを人生のなかに確かなものとして刻んでいきたいという思いは誰しもきっとあるだろうと思いたい。

◆俳優・斎藤工の誠実さが人物に与えたものとは?

「海に眠るダイヤモンド」も端島という島を単なる観光地で終わらせない、そこに生きていた人たちの物語であるということを描いているのだと思える理由のひとつは、「もう二度と来ない」ことへの後ろめたさをわかっている斎藤工の存在があるからではないだろうか。

俳優・斎藤工の誠実さが戦中戦後、そこに生きた人物の面影に血肉を与えたのである。

<文/木俣冬>

【木俣冬】
フリーライター。ドラマ、映画、演劇などエンタメ作品に関するルポルタージュ、インタビュー、レビューなどを執筆。ノベライズも手がける。『ネットと朝ドラ』『みんなの朝ドラ』など著書多数、蜷川幸雄『身体的物語論』の企画構成など。Twitter:@kamitonami

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