レスリングのグレコローマン67キロ級の遠藤功章(27)が10日、所属する東和エンジニアリング本社(東京・千代田区)に今年初出社し、書き初めを行った。「勝」の1文字に、パリ五輪出場を逃したリベンジと、28年ロサンゼルス五輪での金メダルへの強い思いを込め、したためた。
昨年のパリ五輪は出場していない。代表選考につながる23年12月の全日本選手権決勝で、日体大の後輩にあたる曽我部京太郎(23)に逆転負けを喫し、出場権を逃した。
敗れた直後、競技に再び向き合うことが難しかった。「(決勝の)マットに上がる時から、もう、ここで出し切るみたいな、集大成ぐらいの感じでやっていた。パリに向けて(技術も体力も)完成させていたので、それ(五輪)がなくなって、もう終わりかな、みたいな。もう別に、これ以上強くなる感じっていうか、これ以上できないし、みたいな」と感じていた。
人生をかけて臨んだパリ五輪への道だった。次の4年は「4年って長い時間ですけど、あっという間に来るのも分かる」という。再び立ち上がるのは容易なことではない。
「2、3カ月は何もしなかったです」と遠藤。体のメンテナンスを優先し、ブランクを作った。パリ五輪は「悔しいから」とライブでテレビ観戦はしなかった。
|
|
進退も考えた。その間、所属する東和エンジニアリングの社員や、競技のコーチや仲間からも、エールを受けた。
「やった方がいいよ」。
周囲の後押しを受け、遠藤は立ち上がった。
「ここまでやって(五輪に)出ないのはちょっと。悔しいというか、なんていうんですかね、納得いかない。オリンピックのメダルをずっと目標にしてやってきて、目前、もう実質、自分は出られると思ってるし、メダルを取れると思ったので」。逃したものを取り戻すために、再び戦うことを選択した。
迎えた24年秋。ドイツでの武者修行のチャンスが巡ってきた。パリ五輪グレコローマン77キロ金メダリスト日下尚(24)、2021東京五輪同級銅メダル屋比久翔平(30)、パリ五輪フリー65キロ級金メダル清岡幸大郎(23)らと、プロリーグの独ブンデスリーガに参戦した。「強い選手もいて、刺激になりましたね。3カ月弱で、11か12試合に出場して、全勝しました。興業的な面もある試合で、一体感や盛り上がりがすごいんです」と振り返る。
|
|
続いて12月は全日本選手権を制した。ただし、パリ五輪に出場した曽我部は不参加。決勝はグレコローマンではなく、フリーを主戦場とする田南部魁星(22)が相手だった。優勝直後のインタビューでは「6月の全日本選抜には(曽我部)京太郎、戻ってくると思うので、このままでは同じ結果を招く。半年間、死にもの狂いでやっていかないとダメだなと再認識しました」と話し、リベンジへの強い決意を明かしていた。
そして25年。3月25日からはヨルダンでのアジア選手権に出場する予定という。先の目標、ロサンゼルス五輪に向けては、技術や体力ではない部分を強化したいという。
「もちろん、レスリング面で、もっと伸ばさないといけないところもあるんですけど、それよりもっと、人間的なところです。もうマインドに振り回されない。やるべきことをやっておけば『うん!』って、すごく思ったので、精神的に『無』になることが自分に必要って感じ。必要ない感情を持ち込むと、それが隙となって、よくない結果になる。意気込みすぎるのも意味がないと分かったんです。平常心で正確にやれば、負けないと思う」
やるべきことをすれば結果は付いてくる。勝ち続ければメダルに手が届くはず。勝利だけを求め、遠藤はマットに立つ。
◆遠藤功章(えんどう・かつあき)1997年(平9)2月13日生まれ、埼玉・戸田市出身。自由が丘学園高3年でジュニアオリンピックカデットの部63キロ級で2位。2015年に日体大に進学。1年時から3年連続でジュニアオリンピックの部グレコローマンスタイル63キロ級で3位に。4年時には全日本学生選手権で優勝。さらに全日本選抜選手権を優勝し、世界選手権に出場。全日本選手権も制した。2019年に東和エンジニアリングの所属になり、21年の全日本選手権67キロ級で優勝。22年は全日本選抜選手権優勝。23年は全日本選抜につづき、アジア大会も初出場初優勝したものの、全日本選手権で大学の後輩にあたる曽我部京太郎に敗れ、パリ五輪の出場権を逃した。身長175センチ。67キロ級。
|
|
|
|
Copyright(C) 2025 Nikkan Sports News. 記事・写真の無断転載を禁じます。
掲載情報の著作権は提供元企業に帰属します。