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今月は、1995年の阪神大震災の発生から30年となる。当時、震災のストレスによる心筋梗塞(こうそく)などで亡くなる人も相次ぎ「震災関連死」という言葉が生まれた。
国内ではその後も大災害が続いたが、その度に関連死が課題になってきた。総合防災が専門の奥村与志弘・関西大教授は「この30年間で、関連死の発生率を大きく減らすことはできていない」と話す。奥村さんに、昨年の能登半島地震までの関連死をどのように見ているのかを尋ねた。
災害関連死は、災害に伴う劣悪な生活環境や大きな精神的ストレスによって失われる命である。阪神大震災で919人という犠牲者の数が把握されたことで、世の中が問題の大きさに気付いた。2004年の新潟県中越地震では、窮屈な体勢を長く続けて血管内に血栓ができる「エコノミークラス症候群」に目が向けられるようになった。
私は、阪神大震災以降の主な災害で、最大避難者数に占める関連死者数の割合に注目してきた。避難者数が多くなるほど支援が行き届きにくくなり、「避難者1万人あたりの関連死者数」は増えることが明らかになった。
この30年間で、関連死の発生率を大きく減らすことはできていない。
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関連死をどう防ぐかを考える時、避難所の環境の改善は重要なテーマだ。ただ「避難所の問題」として議論している限り、関連死を減らすことはできない。
実際は、自宅や高齢者施設で多くの人が亡くなっている。16年の熊本地震では避難所での関連死が5・1%、病院・介護施設では45・7%、自宅では39・6%だった。
死亡の理由も多岐にわたり、亡くなる時期も人によって異なる。東京電力福島第1原発事故の影響を受けた福島県では、避難生活が長期化して、関連死の数は地震から半年以内より半年以降の方が多い。
災害ごとに犠牲がどのように生じるかに違いがあり、一つの災害を教訓にするのではなく網羅的に見ることが必要だ。遺族に配慮しながら、亡くなるまでの経過を一つ一つ明らかにすることも重要である。
24年元日の能登半島地震では、初期から「関連死をどう防ぐか」という言葉をメディアや自治体の首長が発していたのが印象的だ。だが、関連死の発生率は高い。それは、何も手を打っていなかったからではない。
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石川県が「2次避難所」(避難所として県が借りたホテルなどの宿泊施設)に移るまで待機する「1・5次避難所」(テントでプライバシーが確保され、介護士や看護師が常駐し必要に応じて医師が診察してくれる避難所)を作らなければ、もっと増えていたかもしれない。
能登半島地震は自宅や高齢者施設が非常に大きなダメージを受け、避難所では持ちこたえられない人も避難所か、被災地から100キロ前後離れた金沢市などへ行くことを余儀なくされた。これまでなら自宅や高齢者施設で犠牲が出ないよう手を打つ余地はあったが、それができなかったのが特徴だろう。
関連死の対策では、防災の担当者ではない幅広い関係者の視点に期待したい。自動車は充電できたり暖をとったり、災害時の重要な道具になる。食品メーカーが亡くなった人の食生活、空調メーカーが体調管理を検証すれば、気付くことがあるだろう。それぞれのスペシャリストがプレーヤーとなることが大切だ。【聞き手・塩路佳子】
おくむら・よしひろ
1980年生まれ。京都大学大学院情報学研究科博士後期課程修了、2008年博士号(情報学)取得。人と防災未来センター主任研究員などを経て現職。専門は総合防災・減災論。
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