“世界一性格の悪い男”の異名を持つ人気プロレスラー・鈴木みのる。87年、新日本プロレスに入門し、ストロングスタイルで人気を馳せた男は現在、海外で試合を行う傍ら、東京・原宿で自身の店「PILEDRIVERHARAJUKU」を経営している。新日本プロレス界のエースであった棚橋弘至や里村明衣子は40代で現役引退を表明しているが、御年56歳の鈴木みのるは、今も第一線で活動中だ。その秘密は日頃の食生活も含めたコンディションにあるという。屈強な体の秘密に、作家の樋口毅宏氏が迫った。
◆年を取ってから日々のメニューを固定した
樋口:今日はよろしくお願いします。取材に臨むにあたって、日々どのような食事を取られているのか事前にデータとしていただきました。それによると、朝食がゆで卵、ブロッコリー、プロテイン。お昼が専門店のサラダにワイルドライスを入れたものと、プロテイン。ものすごくヘルシーですね。
鈴木:え、こんなの普通じゃないですか? もう僕、還暦近いですからね。56歳ですよ!
樋口:全然見えないです(笑)。だって普通の選手はその歳だとあちこち痛めてサポーターだらけになりますけど、鈴木選手はデビューしてから今まで、サポーターをつけて試合してたことってないですよね? 一度も見た記憶がないです。
鈴木:そうですね。パンクラスにいたときはつけなきゃいけないルールがあったからつけてましたけどね。それ以外はないです。
樋口:それも節制の賜物ですよね。
鈴木:年を取ると体の機能が落ちてきて、何を食っても太るようになるんですよ。じゃあどうしようかと思って、30年前の食事に戻したんです。
樋口:よく分かります。僕も夜は炭水化物を摂らないようにして、ビールも糖質0のものに変えました。それだけでも全然違います。
鈴木:それと同じことですよ。「糖質0のビールに変える」というのと同じ感覚でこれを食ってます。(ライスを入れたサラダを口に運びながら)これは「餌」ですね、完全に。「こういうの食ってる俺、カッコいい」と思いながら食ってますから。
樋口:ハハハ! 普段から「ひとりメシ」の機会は多いんですか?
鈴木:多いですね。地方に行っても普通に1人で店に入って、1人で食べてますね。
樋口:プロレスラーだと巡業があって、全国各地に「あそこに行けばあの店」というのがあると思うんですが、鈴木選手はどうですか?
◆海外遠征時もメニューは変えない
鈴木:今は巡業に出ていないんですよ。昨年(2024年)からは国内ツアーには出ていなくて、ほぼ毎月のように海外で試合してるんですよね。特にアメリカが多くて、アメリカの食事は脂と糖質が多いじゃないですか。そこでどうするかとなったときに、こういう食事だと、現地でも同じものが食えるんですよ。
樋口:海外でもこういう素材のものは見つけやすいんですね。欧米ではベジタリアンの人も多いでしょうから。
鈴木:多いですね。まあ向こうの普通の食事に合わせていると、よくいる、ケツの幅が1.5メートルぐらいあるオバチャンみたいになっちゃいますからね。あれは民族性とかじゃなくて、絶対食事のせいですよ。だって同じ大きさのアイスクリームでも、日本の3倍の砂糖が入ってるって言いますからね。
樋口:聞きますね。日本から移住した人がアジア的な食材が手に入りにくく、普通に食事しているだけでどんどん太っていったという話を聞きます。
鈴木:だから、アメリカの食事は何を食ってもおいしいんですよ。脂も多いし砂糖も多くて、味が濃いから。
樋口:昔、スタン・ハンセンが来日時に地方大会での試合を終えて、晩ご飯を食べようと1人でお店に入ったら、テキサスのアマリロで修行を共にしたジャンボ鶴田さんがやっぱり1人で食べていたというエピソードがあって。まるでロードムービーだなと思ったんですが、鈴木選手もそんなエピソードがありますか?
鈴木:いつもそんな感じですからね。でも以前、グループでやっていた時……。
樋口:新日本プロレスに参戦していた頃の「鈴木軍」ですね。
鈴木:あの頃はそのメンバーで行動することが多かったんですよ。海外の選手もいたので、コミュニケーションを取るのに酒を飲んだりメシを食ったりというのが一番よかったんです。だから試合が終わるたびに居酒屋に連れて行ってワーッと頼んで、みんなでワーッと飲み食いするっていう。その時は好きなもの食べてましたけど。
樋口:なるほど。しかし新日本プロレスで鈴木選手が残した爪痕は今でも……。
鈴木:爪痕とか関係ないっすよ。プロレスラーでもよく「爪痕残してやる」って言うヤツがいるんですけど、それって、やる側が言うことじゃないんですよ。あくまで見てくれた人たちが思うことで。今の若いプロレスラーは「プロレスファン」が多いんですよね。
◆話を聞いたのは、藤原喜明とアントニオ猪木だけ
樋口:鈴木選手も最初はプロレスファンだったのでは?
鈴木:中学生まではそうでしたよ。でも中学の時にプロレスラーになれなくて、高校からレスリングを始めた時点で、ファンではなくなりました。全部「倒す相手」になったので。
樋口:それだけ意識が高かったんですね。
鈴木:僕が最初に思ったのは、「どうやったら猪木をまたげるかな」「どうやったら藤波(辰爾)を倒せるかな」ということでしたから。だから新日本プロレスに入門した時も、誰に何を言われても、一切聞いてませんでした。
樋口:ハハハハ!
鈴木:「お前、スクワットする時にカカトが着いてねえじゃねえか!」とか言われても「俺はお前みたいになりたいわけじぇねえ! ぶっ倒す!」としか思ってなかったですから。僕が話を聞いたのは、一から十まで面倒をみてくれた藤原喜明さんとアントニオ猪木さんだけですね。
樋口:やはりそのお二人は特別なんですね。そこから幾つも高い山を越えて、今や海外で大人気なんだから凄い話です。
鈴木:フリーだから、海外のプロモーターとの交渉も全部自分でやってますよ。Google翻訳を駆使してメールを書いて(笑)。あれだけ勉強が嫌いだった僕が、英単語を覚えてますからね(笑)。
樋口:でもどこの国に行っても、どんな大きな会場でも、鈴木選手が登場すると物凄くお客さんが沸いて、リングインする時は中村あゆみさんのテーマ曲に乗って「風になれ〜」の大合唱ですね。
鈴木:どこの国であろうと、日本のどこの地方であろうと、やることは一緒ですから。それで、鈴木みのるを呼べば何人のお客が来て、いくら儲かって、どれだけ商品が売れて、だから凄え!って、僕はそれでお金をもらってるんで。それが全てじゃないですかね。フリーはお金が評価ですから。こういう風に言えるようになったあたり、成長したなと思いますね。
◆自分で着たいものを作って売っている
樋口:そして今回の取材は鈴木選手ご自身のお店「PILEDRIVERHARAJUKU」に伺っています。現役プロレスラーがこういうお店を出すのは珍しいと思うんですが。
鈴木:もともと、絵を描いたりものを作ったりするのは好きなんですよ。それで会場で売る商品も自分でデザインしていて、最初はネット通販で売ってたんです。でも倉庫で在庫を抱えるぐらいなら、店舗で売るのも変わらないかと思って。いろいろ縁があって、この原宿の店舗を出すことになりました。今年でちょうど10周年になるんですけどね。
樋口:販売されている商品も、いかにもプロレス・グッズという感じじゃなくてカッコいいです。
鈴木:「プロレスラー鈴木みのるのキャラクター商品」じゃなくて、「自分が着たいもの」「自分が身につけたいもの」を作って売っているだけなので。
樋口:お昼ごはんはここで食べることが多いんですか?
鈴木:試合とか仕事がない時はできるだけ店に出ていて、14時開店なので、それぐらいの時間に来てこの事務所スペースで食べることが多いですね。ここ(食べている場所)も本当は作業机なんですけど、エアコンの吹き出し口の下になるので、ここがちょうどいいんです(笑)。
樋口:お店にはプロレスラーの方がスタッフとして入られていますけど、一緒に食べたりということはないんですか?
鈴木:そしたら店番がいなくなっちゃうじゃないですか(笑)。だいたいここで、YouTubeで『ONE PIECE』を見ながら食べてます。
樋口:お店ではファンの方たちとも交流されていますね。
鈴木:商品を買ってくれたお客さんからリクエストがあれば、2ショット撮影もやってますよ。最近は海外から日本にプロレス観戦に来た外国人のお客さんも多いですね。
樋口:これからやりたいことってありますか?
鈴木:常にやりたいことをやっているので、特にこれ、というのはないんですけど……デビュー30周年の時(2018年)に、横浜の赤レンガ倉庫広場でイベントをやったんですけど、あれを海外でやりたいなというのはありますね。中村あゆみさんとかファンキー加藤とか、仲間たちも巻き込んで。
樋口:それは楽しみです! ありがとうございました!
【鈴木みのる】
1968年6月17日、神奈川県出身。1988年デビュー。得意技はゴッチ式パイルドライバー。IWGPヘビー級のタッグ王座、G1 TAG LEAGUE 10優勝
X:@suzuki_D_minoru
【樋口毅宏】
1971年、東京都豊島区雑司が谷生まれ。出版社勤務の後、2009年『さらば雑司ケ谷』で作家デビュー。著書に『日本のセックス』『二十五の瞳』『愛される資格』『東京パパ友ラブストーリー』『大江千里と渡辺美里って結婚するんだとばかり思ってた』など。妻は弁護士でタレントの三輪記子さん
X:@byezoushigaya
原稿執筆/高崎計三 撮影/長谷川 唯