連載:千街晶之のミステリ新旧対比書評 第4回 島田荘司『斜め屋敷の犯罪』×知念実希人『硝子の塔の殺人』

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2025年02月05日 13:00  リアルサウンド

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(左から)島田荘司『改訂完全版 斜め屋敷の犯罪』(講談社文庫)、知念実希人『硝子の塔の殺人』(実業之日本社)
■ミステリ映画の傑作『探偵〈スルース〉』

 ミステリ映画史に残る傑作として知られる『探偵〈スルース〉』(1972年、ジョセフ・L・マンキーウィッツ監督)が、2024年12月、ようやくBlu-ray化された。アンソニー・シェーファーの舞台劇を彼自身の脚本で映画化したものであり、ミステリ作家のアンドルー・ワイクをローレンス・オリヴィエが、美容師のマイロ・ティンドルをマイケル・ケインがそれぞれ演じている(2007年に再映画化された際にはケインがワイクを演じた)。ワイクの邸だけを舞台に、悪趣味なゲームが次第に互いのプライドをかけた戦いへとエスカレートしてゆくどんでん返し劇である。


  日本では1992年にVHSが発売されたものの、その後はソフト化されておらず、なかなか観る機会がなかっただけに、今回のBlu-ray化には多くのミステリファンが狂喜した筈だ。この映画から影響を受けたミステリ小説には、霞流一の『フライプレイ! 監棺館殺人事件』(原書房)、阿津川辰海の短篇「入れ子細工の夜」(同題短篇集所収、光文社)などがあるが、島田荘司の第2長篇『斜め屋敷の犯罪』は、それらの中でもかなり早い作例のひとつである。1982年に講談社ノベルスから刊行され、現在は講談社文庫の完全改訂版で読める。未だ「新本格」が誕生していない時期に人工的な本格ミステリならではの稚気を極めた、記念碑的な名作として定評がある作品だ。


■『探偵〈スルース〉』が与えた『斜め屋敷の犯罪』への影響

  物語の舞台は、タイトル通り「斜め屋敷」と呼ばれる異形の建物である。北海道最北端の宗谷岬に建つこの館は、ミステリ好きの大富豪・浜本幸三郎の住まいだが、何故か幸三郎はこの館をわざわざ斜めに傾けて建てさせた。しかも、三階建ての母屋に隣接して、ピサの斜塔を模したような円筒形の塔があり、幸三郎はそこで暮らしている。この館で、1983年のクリスマスの夜、殺人の幕が上がる。


  事件解決のために「斜め屋敷」を訪れた名探偵・御手洗潔は、ある部屋でピエロの人形を見て、「おや、こりゃ『スルース』の!」と声を上げ、幸三郎とこの映画について感想を語り合う(御手洗は『探偵〈スルース〉』を三度ほど観ているようで、「映像的とは言い難いですからね、映画としては評論家の言う通り二流かもしれませんが、好きな作品です」と述べている)。作中で『探偵〈スルース〉』が言及されるのはこの1カ所だけだが、「斜め屋敷」が主のさまざまなコレクションで満たされているあたりはあの映画を彷彿させるし(ワイク邸も自動人形やゲームなどで充満しており、幸三郎は自分のコレクションはあの映画の影響だと述べている)、斜塔から見下ろせる位置に存在する扇形の花壇は、ワイク邸の庭にある生垣の迷路をアレンジしたものとも考えられる。


『探偵〈スルース〉』が本格ミステリ好きの心をくすぐる要素で構成されたメタ・ミステリであり、『斜め屋敷の犯罪』が古式ゆかしい本格ミステリに飢えた「新本格」前夜の読者を喜ばせるべく、過剰なまでに本格のガジェットを盛り込んだという意味でやはり一種のメタ・ミステリだったとするならば、「新本格」に始まった本格の復興運動が既に定着し、それらを読むことで育った世代によるメタ・ミステリの代表例はといえば、知念実希人の2021年の長篇『硝子の塔の殺人』(実業之日本社)ということになるだろう。


■メタ・ミステリの到達点

  舞台は、長野県の山腹に建つ「硝子館」。遺伝子治療に関する発明で莫大な富を築いた神津島太郎が住むこの館は、ガラスで覆われた巨大な円錐形の建物だ。ミステリマニアの神津島はこの館に、自称名探偵、刑事、ミステリ作家、ミステリ雑誌の編集長、霊能者などを招待する。


  主人公の一条遊馬は、神津島太郎の主治医である。彼はある理由から、神津島を殺害して病死に見せかけようとする。つまり、犯人視点の倒叙ミステリとしてスタートするのだが、やがて遊馬が与り知らない殺人事件が続発する。それらの事件まで自分の犯行だとされてはたまらない……。遊馬は自身の犯行を伏せたまま、新たな事件の犯人を知ろうと、自称名探偵・碧月夜のワトソン役に名乗りを上げる。


  神津島は稀代のミステリマニアであり、金に飽かせてミステリ関連の膨大なコレクションを所蔵している。そんな彼に相応しく、「硝子館」の構造も外観も風変わりだ。いかに風変わりかは、巻頭に掲げられた館の立体図と断面図を見れば一目瞭然だろう。


  島田荘司が『斜め屋敷の犯罪』を発表した1980年代前半は、風変わりな館を舞台とし、しかもそれがトリックと密接に関わった作品は必ずしも多くはなかった。しかし、2020年代ともなれば、そのような作例は枚挙に遑がない。館が回転するくらいではマニアはもう驚かない。


  作中で綾辻行人の「館シリーズ」をはじめ、多くの館ミステリが言及される『硝子の塔の殺人』も、館の図面を見た段階で、『斜め屋敷の犯罪』顔負けの大トリックが出てくるのではないかと予想できる。しかし、いざトリックが説明されてみると、どこかしっくりしない印象を覚えた読者が多いのではないか。だがそれは、作者の設計ミスではない。そこに読者が覚えた違和感こそが、作品全体に仕掛けられた真の壮大な狙いを浮かび上がらせるのだから。本格ミステリを読みすぎたマニアに向けて書かれたメタ・ミステリの到達点、それが『硝子の塔の殺人』なのである。


  『探偵〈スルース〉』から『斜め屋敷の犯罪』へ、そして『硝子の塔の殺人』へ……と影響関係のラインを引いてみたけれども、『探偵〈スルース〉』から別の方向へとラインを引いてみることも可能である。それについては次回を乞ご期待。



 



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