「夫への依存と引け目がなくなった」3人息子の母・53歳女優が明かす“夫からの自立”

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2025年02月07日 09:00  女子SPA!

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 俳優の黒沢あすかさんが、長塚京三さん主演の映画『敵』に出演しました。筒井康隆氏の小説を吉田大八監督が映画化した作品で、引退した元大学教授が穏やかな老境の日々を送るも、突如やって来る「敵」に翻弄される姿を描いた異色作。黒沢さんは、主人公の亡き妻役を演じています。

 黒沢さんは3人の息子たちの子育てや、つらく長い更年期を終えた50代の今、自分自身を俳優としてのリスタートの時期と捉え、『敵』に対して「全身全霊で臨めた」と述懐。結婚20周年を迎え、支えてくれた夫からも精神的に自立できたそうで、とても「充実している」と言います。お話を聞きました。

◆「夫とはいえ羨ましかった」念願の吉田大八作品

――2024年の東京国際映画祭でも注目を集めた本作ですが、長塚京三さん演じる主人公の引退後の丁寧な暮らしが、得体の知れない敵のせいで崩れていく展開の映像表現が凄まじかったですね。

黒沢あすか(以下、黒沢):タイトルの「敵」とは、本人が引き寄せてることなのか、それとも誰かに仕組まれたものなのか。目に見えない運命と言っていいのかどうかわかりませんが、主人公は何かに仕組まれ引き寄せられてしまっているのかもしれないと、映画を観ながらそういう気持ちにさせられましたね。2度観たのですが1回目と2回目で印象がまるで違いました。

――この作品に関わっての感想はいかがですか?

黒沢:まず『敵』の“住人”になれたこと、それと吉田大八監督とご一緒できたことが嬉しかったです。吉田監督とはどうしてもご一緒したかったんです。夫(梅沢壮一)が特殊メイクアップアーティストとして『桐島、部活やめるってよ』(2012)で先にご一緒していて。あの作品を観たときに夫に「よかったね」と拍手すると同時に、吉田監督の作品に「先越されちゃった!」っていう思いがこみ上げてきたんです(笑)。

――ライバル心みたいなものでしょうか。

黒沢:いえ、そのときは子育て真っ只中だったので、あの時に吉田監督からお話をいただいても万全な状態で出演できていたかどうかは、正直今振り返って考えると難しかったと思います。でも夫とはいえ羨ましかったですね(笑)。

それ以来、時間は掛かることは覚悟できていましたが、いつか吉田監督にお声がかかるような“住人”になりたいと。そのためには、今(当時)は妻・母の顔を持ちながら俳優という仕事を両立しているけれども、ある程度子育てが落ち着いて俳優一本という形で臨めるタイミングで、勝負したい取り組みたいという思いは常々思っていました。いつ吉田監督に呼ばれても応えることができるよう準備だけは心掛けていました。

◆長塚京三が「私にとって希望であり光」

――そして今回演じられた『敵』の渡辺信子は、長塚京三さん演じる主人公・渡辺儀助の亡き妻役でした。

黒沢:儀助との関係性でわたしの登場の仕方は、亡き妻・信子という形でしたので、他のお二人の瀧内公美さんや河合優実さんとは、存在の仕方が違いました。ところどころに儀助が妻・信子を偲ぶようにコートやいろいろなものを自分の身の回りに置いて、言葉には出さないけれどもなんとなく常に感じて日常を過ごしている。儀助のカウントダウンが始まっているような世界観の中に信子も一緒にいる、そういう役でした。

――共演者の方と作品や役柄についてお話する機会はありましたか?

黒沢:瀧内さん、河合さんのさまざまな言葉がわたしにはとても新鮮で、私の経験値にはない考え方を導いてくださいました。わたし自身は50代となり、自分では再スタートと思っているのですが、おふたりからは新しいこと学ばせていただいている現場でした。

長塚さんは、現場での佇まいに役者としての気付きを与えてくださいました。それはやはり長塚さんそのものがわたしにとって希望であり、光であったからだと思うんです。あの御年齢で主演をお引き受けになるということは、かなりの覚悟とエネルギーがなければ無理なわけで、しかも結果的に最優秀男優賞を獲られたということが、わたしには励みにつながりましたね。

◆50代は「頑張ることをやめた」

――50代で決意の再スタートは、世間一般でも考える方は少なくないと思うのですが、どう自分を奮い立たせ、どう仕事に向き合っているのですか?

黒沢:まず頑張ることをやめたんですよね。

――どういうことでしょうか?

黒沢:50歳手前の頃、自分の心と体が若いときと違って「頑張る」という言葉に合致がいかなくなるというか奮い立たなくなったんです。それを感じ出したんですよね。40代前半から心と体のバランスがズレてきつかったですね。

――9年間も。

黒沢:はい。それが50代に入ったあたりになったらラクになってきたんですよね。たぶんきっかけは、子育てが終わったタイミングだと思います。子育てに全力でエネルギーを使っていたんだなと。

◆子育てを終え「もういいでしょう」と

――妻・母・いくつもの顔を持ちながら俳優業をやられていたけれども、その時間は大変なものだったわけですね。

黒沢:子育ては、手を抜かずに真剣に向き合いたいと思っていました。わたし自身が俳優の仕事よりも、子育てのことをしっかり悔いなくやりたいっていう気持ちが強かったんです。「母親でいなきゃ」って思いがあって気を張っていましたし、頑張らねばという想いがありましたから、責任を持って妻も母も、嫁として全力でやろうと。

――その経験は、今どう自分の中で受け止めているのですか?

黒沢:すべてのエネルギーを子育てに向けてきたので、子育てが終わって良い意味で開き直って「もういいでしょう」ということに気づいたんです。今日からは明日からは「もう頑張る必要はないんだよ」って。そういう経験が自分の今の糧になっていると思うんです。

◆夫からの“精神的自立”ができた

――そのマインドのなか今回のこの『敵』に参加され、一番良かったと思うことは何かありますか?

黒沢:この作品に出て一番良かったこと……自立。精神的自立ができたってことでしょうか。夫からの。(笑)

――結婚20周年を目前にしてですか!?

黒沢:そうですね(笑)。夫からの精神的自立ですかね(笑)

――依存していたということでしょうか?

黒沢:今振り返ると、そうですね。夫のことを尊敬してるんです。夫は世の中を知っている。わたし10代からこの世界にいるので、世間のいろいろなことからちょっとずれていると感じることがあるんですね。そこを会話することで修正してくれるのが夫なんです。子どもたちもそうなんです。

だから、もちろん変わらず夫を尊敬しているのですが、尊敬していることと依存するってことが、どうもわたしの中でごっちゃになっていたんだなっていうことが最近わかったんです。

――そのことに『敵』の撮影を経て気づかれたのでしょうか?

黒沢:家族に宣言したんです。この『敵』、そして信子役をしっかり演じたいから、一人でホテル暮らしをさせてと。撮影場所が大宮の方だったのですが、その近くでホテル住まいを許してくださいと、息子たち、夫たちに頼んだんです。そしたらみんなが「いいよ。そんなにすべてを賭けているのであれば、そうしてくれて構わないよ」と快く言ってくれて。

夫を含めた家という大きな存在から離れる行動を自らしたということで自立した、という意味なのですが、そのおかげで撮影が終わったときに解放されて、一本立ちできている自分をイメージできたんです。

◆「依存と引け目がなくなった今」が気持ちいい

――そういう意味でもリスタートなんですね。

黒沢:本当にそうなんです。もちろん日々家族の中で夫に助けてもらうことに対してもありがたいと思っているのですが、その中に引け目が一つもなくなっているという感じです。依存と引け目がなくなった。夫に対する依存と尊敬がごちゃ混ぜになって絡まっていたものが、ちゃんと離れている状態が今とても気持ちがいいんです。だから背筋が伸び、背筋が立っていることが自分でもよく分かるんです。

――2025年はどんな年にしたいですか?

黒沢:今自分がリスタートできているので、さらに学びの年にしたいです。25年間くらい子育てしていましたので、まだ見えてないところがたくさんあります。再スタートできてうれしいけれども、時代は移り変わっていますから、まだまだわたしが見えていないことっていっぱいあるだろうなと思っているので、引き続きちゃんと目を開いて、俳優として歩みを続けていきたいなと思います。

でも、本当の意味の解放って、要するに自分次第なんですけどね(笑)。そのことに自分自身で気づくかどうかが大事なことなのかなと体験として思っています。

<取材・文/トキタタカシ 撮影/塚本桃>

【トキタタカシ】
映画とディズニーを主に追うライター。「映画生活(現ぴあ映画生活)」初代編集長を経てフリーに。故・水野晴郎氏の反戦娯楽作『シベリア超特急』シリーズに造詣が深い。主な出演作に『シベリア超特急5』(05)、『トランスフォーマー/リベンジ』(09)(特典映像「ベイさんとの1日」)などがある。現地取材の際、インスタグラムにて写真レポートを行うことも。

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