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ラッパーとしてはもとより、グラビアディガー、テレビのコメンテーターなど、多岐にわたって異彩を放っている呂布(りょふ)カルマ。『週刊プレイボーイ』の連載コラム「呂布カルマのフリースタイル人生論」では『クラブ』について語った。
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★今週のひと言「誰に向けてラップをするか。深夜のクラブに通う理由」
今回は俺のメインの仕事場であり、遊び場でもあるクラブについて書いていきたい。
おねぇちゃんが隣に座ってバカ高い酒を作ってくれて、こちらのつまんねー自慢話にもほほほと笑ってくれるほうのクラブではなくて、女はツンとしていて、こちらから酒でもおごってやらない限り話もしてくれないし、話そうにも音がデカすぎて大声で短文のやりとりしかできず、服はたばこ臭くなり、ベタベタの床と、便所にはゲロと吸い殻、なぜか個室からトロンとした目でふたりで出てくる男たち、満員電車並みの混雑の中プライベートでは目も合わせたくないようなガラの悪い男たちに交ざって延々と流れる外国の音楽に乗るしかやることねーよっていうほうのクラブの話だ。
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クラブに慣れていない人が友達に無理やり誘われて、一縷(いちる)の助平心を頼りについていったときの感想は、きっとこんなもんだろう。
俺も最初はそうだった。
では、なぜそんな騒がしくていかがわしい場所に足しげく通うようになったかというと、ズバリ、そこしかなかったからだ。
コロナ禍以降、もっと言うと、東京五輪誘致の頃にクラブの深夜営業が規制された時期以降は昼間のクラブイベントや、クラブ以外の場所でのヒップホップライブも増えていったのだが、俺がクラブに行くようになった二十数年前は、深夜のクラブに行くしかなかった。
当時、俺がクラブに行く理由としては明確で、目当てのラッパーのライブを見るか、自分がライブをするかだけだった。
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クラブ通いを始めたのとほぼ同時期に自身でもラップを始め、四六時中ラップのことしか考えられないラップドランカー状態となっていた俺は、まさしくラップのためだけに苦手なクラブに行っていた。
とはいえ、比較的すぐに地元・名古屋で頭角を現していった俺は、ここに書くことさえはばかられるような酸いも甘いも経験し、多角的にクラブを楽しむようになるのだが......。
しかし、それも20代からせいぜい30代半ばまでの話である。
当時の俺たちがそうだったように、今もクラブの主役は若者たちだ。
俺が若い頃クラブに30代以上の人がいたらどこか緊張感があったものだが、今は意識せずともその緊張感を俺が与える側になってしまっている。
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俺が若い頃に夢中になった酒や女といったものを、この年でいまだに追い求めていたら悲惨だ。
俺も順当に大人になり、そういったことへの興味は自然と遠のいた。
そうすると深夜のクラブというのは、たまに行くのならいいのだが、昔のように連日連夜となると決して居心地のいいものではなくなってくるのだ。
俺は現在そーいった矛盾を抱えながらヒップホップを続けている。
そもそも俺のヒップホップの表現はというと、いつも自分自身と、その背後にある同世代に向けてきた。
20代の頃は同じようにクラブで遊んでいる友達や敵に向かっていたのだが、今俺が若者たちに向けて伝えたいことなどない。
あっても、それは説教かジェラシーにしかならないだろう。
今や俺の表現は、変わらず自分自身と、俺と同じようにクラブから足が遠のき、なんなら音楽自体から距離を置いてしまった同年代に向けているのだ。
撮影/田中智久