布施川天馬―[貧困東大生・布施川天馬]―
みなさんは、高学歴の人は幸せだと思いますか?
2月といえば、私は「受験の季節」だと考えてしまいます。中学受験、高校受験、大学受験。様々な年代の子どもたちが、大きな挑戦に臨む時期です。私自身、中学受験と大学受験を経験しており、今も受験を中心に教育に携わっているからでしょう。
世の中では「高学歴=幸せ」とする価値観があるのではないでしょうか。教育がテーマのネット記事を何枚かめくれば「受験の穴場として注目されている学校」だの「受験に成功する子の親」だの、高学歴を勝ち取るハウツーばかり。
私自身、そのような記事を量産していたから、わかります。そういった記事が読まれるのです。「どうすれば高学歴を勝ち取れるか」には、良くも悪くも心をざわつかせる力がある。これこそ、「学歴」が大きな価値を見出されている証左でしょう。
何を隠そう、私も「高学歴=幸せ」と感じて東京大学を受験した一人。ですが、それは大きな間違いでした。この選択のせいで、私は精神的に大きく追い込まれることになった。「東大らしい人生」を意識しすぎていたのです。
ある研究によれば「学歴と主観的な幸福度には相関関係がない」のだそう。今回は、「高学歴は幸せなのか」を私の実体験をもとに考えていきます。
◆なぜ「高学歴=幸せ」なのか
高学歴を幸福への第一歩と考えるのは、きっと「高学歴ほど年収が高い」からでしょう。コンサルティング会社AFGの試算によれば、東大卒の平均生涯年収は4億を超える。一般的な大卒男性の平均年収が2億ちょっとであることを考えれば、この異常さがよくわかります。
お金は、やはりあるにこしたことはない。私自身、金欠で苦労する学生時代を送ってきました。お金があれば私は塾に通えましたし、無職になった父は日雇いの仕事で食いつなぐ必要がなくなり、がんになった母は長期入院できました。
お金があれば、「お金がない」ことに起因する問題を考えないで済む。肉体的、精神的に楽になります。
一方で、お金は価値を媒介するものでしかない。私たちは1万円を1万円分のモノと交換することで価値を確定させます。1万円札は1万円分のモノと交換できる紙切れでしかなく、それ自体に大した価値はありません。
少なくとも、私は幸せになりたくて東京大学に進学しました。お金はあくまで手段に過ぎない。
エリートサラリーマンとして20代から700万、800万の年収を手に入れても、朝から終電後の深夜まで猛烈に働き続ける生活で私は幸せを感じられなかったでしょう。当時は、そんなことすらもわからなかった。
◆「石の上にも三年」とは言うけれど
東大入学直後の私は何も考えておらず、「いつかはエリートサラリーマンに」と信じて、東大の応援部に入部しました。
大学の運動部には強力な上下のつながりがあり、就職に有利になると囁かれたためでした。正直、部の空気は私に合わないものでしたが、「いつか」のために3年間耐え続けました。そこで限界が来た。
応援部の3年生は、実質的に部の仕事を請け負う実務部隊です。ここでいくつかトラブルがあり、精神的に追い詰められ、大学を休学しました。
一族全員自営業で、就活経験者が家族にいなかったこともあり、「就活が大学3年春から始まっていること」すら知らなかった私は、完全に出遅れていた。ここまで来て、自分の過ちに気付きました。いまの道は、私が進むべき道ではないと。
応援部の花形は4年生です。雑用から始まった部員人生は、やがて4年生で王として権勢を振るうに至り、下っ端からトップまで各立場を経験して、就活に臨む。下の苦悩から上の苦悩まで知っているからこそ、運動部経験者は就活に強いのでしょう。
ただ、私は部内4年生になる直前に退部しました。就職したとして、「エリートサラリーマン」になることに、どれだけの意味があるのか。それは、部内ですら息苦しさを感じた私に、きっと致死的な苦しみをもたらすのではないか。ならば、貴重な時間を4年生に費やすより、別の道を模索すべきではないか。そう考えたからです。
結果として、私は新たな道として「ライター」を選びました。高学歴だからこそライターの仕事にありつけたのかもしれませんが、高学歴に振り回されて苦しんだのも事実です。
◆自分の心の形に合わせた人生設計が大切
学歴は、あくまで道具にすぎません。学歴自体に価値はなく、どう使って、人生をどうしたいかが重要です。私はそんなことすらもわからなかった。「東大に入ったのだから、東大らしい人生を歩もう」としてしまった。
学歴に幸福度が相関しないのは、それ自体に価値がなく、「高学歴である」ことに幸福を感じられないからでしょう。これを利用して自らの夢をかなえられる人は幸せになりますし、そうでない人は不幸になる。
「学歴なんてなくてもいい」と言っているわけではありません。高学歴のほうが、より武器として強力でしょう。
ただ、強い武器を持っているからと言って本人が強いわけではありませんし、ゲームに勝てるわけでもない。そして、「強い武器がない」からといって、人生に絶望する必要もない。
◆生まれる前から引いたレールは幸せにつながっているか
首都圏では、子どもが生まれる前から既に中学受験、大学受験を見据えて人生設計を練るそうです。「○○大学を目指して、中高一貫で名門の△△中学に入れたい。そのためには、小学校入学前にはここに引っ越して……」。
目標から逆算するのは素晴らしいことですが、果たしてその目標は本当に適切な設定でしょうか。その先には、何を見据えているのでしょうか。
生まれる前から引いたレールは、幸せにつながっているのでしょうか。少なくとも、学歴に幸せはぶら下がっていない。固執する価値は、果たしてあるのでしょうか。
―[貧困東大生・布施川天馬]―
【布施川天馬】
1997年生まれ。世帯年収300万円台の家庭に生まれながらも、効率的な勉強法を自ら編み出し、東大合格を果たす。著書に最小限のコストで最大の成果を出すためのノウハウを体系化した著書『東大式節約勉強法』、膨大な範囲と量の受験勉強をする中で気がついた「コスパを極限まで高める時間の使い方」を解説した『東大式時間術』がある。株式会社カルペ・ディエムにて、講師として、お金と時間をかけない「省エネ」スタイルの勉強法を学生たちに伝えている。(Xアカウント:@Temma_Fusegawa)