10度の2着より悔しかった東京ダービー 的場文男騎手が引退会見で明かした一戦とは

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2025年02月18日 17:30  netkeiba

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引退に際して花束を受け取る的場文男騎手(c)netkeiba
 来月末をもって現役を退く的場文男騎手が17日、大井競馬場で引退会見を行った。1973年にデビューし現役生活は半世紀以上。会見では唯一手の届かなかった大井のビッグレース・東京ダービーへの思いも語った。

 地方通算勝利数は歴代1位となる7424勝(うち重賞154勝)。1977年のアラブ王冠賞をヨシノライデンで制したのを皮切りに、東京大賞典や帝王賞などビッグタイトルを数多く手中に収めてきたが、東京ダービーだけは勝てなかった。的場騎手にとって同レースは夢や目標であり、まさに因縁ともいえる存在。通算39回騎乗して、2着は10回もあった。とりわけ86年〜89年は3年連続、98年〜99年、03年〜04年には2年連続で2着。アラブダービーは3度制していながら、サラブレッドのダービーには縁がなく“大井の七不思議”とも言われた。

 そんな的場騎手は「2着10回の中で、もっとも悔しかった東京ダービーは」と問われると、「2着じゃないですが、93年のブルーファミリーですね」と回答。同馬はデビューから無敗で京浜盃、黒潮盃、そして三冠初戦の羽田盃も制し、圧倒的な1番人気で大舞台に駒を進めた。「今年こそ」の思いは自身も強かったはず。ファンや関係者も多くが同じ気持ちを抱いていたことだろう。

 当時の東京ダービーは2400m。スタートしてすぐコーナーを迎えるコース形態から、外枠が圧倒的不利とされていた。そのため、「外枠希望」なる制度が存在。陣営が要望すれば、ゲートを嫌がる馬、気性難の馬をあらかじめ外目に割り振るもので、ブルーファミリーも14頭立て14番枠となった。だが、レースでは出遅れたうえ、外々を回る形となり、桑島孝春騎手が騎乗したプレザントの逃げ切りを許す。的場騎手は「今みたいに外枠希望ができない時代なら、真ん中くらいの枠から勝っていたんじゃないかな」と、悔しい表情を浮かべながら当時を振り返った。

 98年ゴールドヘッド、18年クリスタルシルバーはクビ差2着とあと一歩のレースもあった。的場騎手は「1回くらいは勝ちたかったね」と話したが、一方で「2着10回も記録でしょう」と誇らしげ。今したいことと聞かれても、開口一番「競馬に乗って勝ちたいです」と目を輝かせた鉄人は、数々の“金字塔”を残して表舞台を去っていく。

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