意識を取り戻したとたん、水槽から転げ落ちた少年の目に飛び込んできたのは、隻眼の男性の立ち姿だった。彼は莿天城(しゃくてんじょう)の主・世無(ゼム)と名乗り、少年を保護した魔法使いだと告げる。
だが記憶を失っている少年は、魔法使いの存在はおろか、己の名前もわからない。そんな彼に「おめでとう。今日から新しい人生の始まりだ。」と声をかけた世無は、巨大な蛇状の生き物・シマオと、獣人・ライチに少年の世話を一任する。
見知らぬ世界の理が、のっけから次々と立ち上がることに圧倒された。過去をなくした主人公と同じように、読み手は城の事情とそこに住む面々の日常に手探りで触れていく。
たとえばライチの語りによって、世無は人間ではなく神や仙人の類であり、魔法界の頂点に君臨する「七色(ななしき)の魔法使い」の一人であることや、土地の魔力が結晶化した「玉(ぎょく)」さえあれば誰でも魔法術が使えることなど、世界を理解する上で必要な知識が、主人公と読者に対してなめらかに伝えられる。
そうして小出しにされた情報は、結果としてかなりの量にのぼるものの、セリフやモノローグ以上に絵と展開でそれらを積み上げ、物語の流れを止めることなく読ませる著者の凄腕には舌を巻く。一話ごとの密度が高い。
本作は『週刊少年サンデー』(小学館)で連載されている。著者は初連載の『結界師』から同誌で活躍を続けており、今作が4作目だ。前作『BIRDMEN』の完結から4年、待望の新作には、底知れない世界観と魅力的な設定があふれている。
さて少年は、ライチとともに城の雑用をこなすうち、自分が過去に「王子」と呼ばれていたことだけでなく、命の限り少年を守ろうとした魔法使い・櫟江(ロウエ)の存在と、「界変」と呼ばれる厄災により櫟江と母国を失ったことを思い出す。徐々に戻る記憶の数々は、彼に容赦のない現実を突きつける。
そうしたシリアスな展開の一方、城の住人たちとのコミカルなやり取りはどれもほほえましい。特に彼らが一堂に会する食事の場面は、おいしそうな料理の描写と各キャラクターの持ち味が絡み合って、つい笑ってしまう。喜劇と悲劇のバランスがちょうどよい。
1巻では、物語の全容はまだつかめない。櫟江が少年を守り続けた理由や、彼に秘められた力の源、そして世無が訳ありの少年を自らの手元で保護した真意については、続きを待つしかない。
変化と欠落は物語の推進力だ。少年は過去を追い、自分を知ることで世界と向き合う。それが何につながるのかは──これからのお楽しみ、なのだろう。
(田中香織)
『界変の魔法使い (1) (少年サンデーコミックス)』
著者:田辺 イエロウ
出版社:小学館
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