【プロ野球】ソフトバンク和田毅引退インタビュー「後悔なんて1ミリもない。40代に突入してからの野球人生はボーナスステージだった」

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2025年03月15日 07:40  webスポルティーバ

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和田毅インタビュー(前編)

 22年間のプロ野球人生に幕を下ろす和田毅。日本シリーズ終了後に電撃的な引退を発表し、3月15日のオープン戦で"最後のマウンド"に立つ。ストイックなまでに勝負にこだわり続けた左腕が、どのような思いで決断に至ったのか。引退を決めた瞬間、周囲への報告、そして最後まで貫いた信念とは──。

【電撃引退発表の舞台裏】

── 3月15日、引退試合に臨まれます。昨シーズン中ではなく、あえて年をまたいでのオープン戦を選んだのは和田さんの強いこだわりがあったからだと?

和田 引退を発表したのが日本シリーズ終了後だったのもありますけど、それでなくても引退試合をペナントレースのなかではやりたくありませんでした。僕には22年間、真剣勝負をやってきた自負があります。引退試合となれば、相手バッターが三振をしなきゃという空気になるじゃないですか。僕のプライドとして、真剣勝負の22年間で奪ってきたアウトのなかのひとつに、そのアウトを入れたくなかった。

 また、そのバッターにもアウトをつけさせてしまうわけで、それが査定に響くかもしれない。あるいはその凡退で打率3割を逃したとか、2割5分だったのが2割4分9厘で終わるかもしれない。だけどオープン戦になれば豪快に三振をしてくれても査定には響かないと思いますし、自分も三振を取って笑って終われると思います。真剣勝負の場で22年間やらせてもらったからこそ、野球界での最後のわがままといいますか。そのような形をお願いしました。

── それにしても昨年秋の引退発表はまさに電撃的でした。

和田 僕の引退を知っていたのは、ごく一部の人だけでしたからね。

── 当日の朝のスポーツ新聞では「現役続行」と報じられていたので、引退発表の衝撃が何倍にも増しました。

和田 前日に何社かのホークス担当の記者さんから電話があって「(現役続行と)書いていいですか?」と。僕は続けるとも辞めるとも言っていませんけど、自由にしてくださいと返事をしていたんです。起きてニュースを見たら「あ、本当に出てる」って。

── プロの番記者さんたちも情報をつかんでいなかった。してやったり、だったのでは?

和田 そんなんじゃないですよ(笑)。でも、絶対に外部に漏れないように細心の注意を払っていたので、それはできていたんだなと安心したというか、そんな気持ちになりました。

── そもそも引退を決断したのは?

和田 7月でしたね。一番目に報告したのは嫁さんでした。明確には覚えていませんが、オールスター期間中だったと思います。

── どのような感じで「今日、言おう」と?

和田 いや、普通に夕飯を食べているときにサラッと。それまで何年も毎日のように「やめようかなー」「きついなー」とか言っていたので(笑)。だから「話がある」とか、かしこまった感じもなく、僕も何の準備も緊張もなくゴハンを食べながら、「今年でもうやめるわ」って、たぶん言ったと思います。嫁も普段と同じ感じで「もうやめてもいいと思うよ」「本当に頑張ったんだから」と返してくれたと記憶しています。正直、曖昧なんですよ。やめる、やめるって日常の会話だったので。

── 日常ですか?

和田 もう2018年くらいから言い続けていました。

【やり残したことは何もない】

── 2018年といえば左肩痛で一軍登板ゼロに終わったシーズンでした。

和田 それ以前に肘は故障してトミー・ジョン手術も受けていましたが、左肩がガッツリ痛くなったのは初めてでした。最初はパニックというか、自分は肩だけは故障しないと決めつけていたところもあって、どのように治していけばいいのかわからない状態でした。その当時で37歳でしたし、またホークスと結んでいた複数年契約が2018年で満了することもあり、もうダメならやめる覚悟をしなきゃならない。その時から常に引退の二文字は頭のなかにありました。

── しかしその後、見事に復活。2020年には8勝1敗の好成績を残しました。さらに、22年には41歳にして自己最速更新となる149キロを投げ、ものすごく驚きました。とても引退と隣り合わせの投手とは思えませんでした。

和田 自分のなかでは、プロに入った時から40歳まで現役を続けたいという目標がありました。なので、40代に突入してからの野球人生はボーナスステージが始まったんだという感じで、もうやれるだけのことをやってやろうとの思いでやっていました。引退は怖くない。いつかはどうせ辞めるんだから、後悔したくないと思ってやれることはやったし、新しいことにも思いきってチャレンジもしました。

── たとえば?

和田 千賀(滉大=現ニューヨーク・メッツ)がチームメイトだった頃に教わってプライオボールを使った練習を取り入れたり、40歳になってからピラティスも始めたり、とにかくやってみようと。一生懸命やって準備をして、もしダメでもあきらめがつく。とにかく悔いなく、やり残したことのない野球人生にしたい。それが信念でした。引退会見でも言いましたが、それは誇れるところです。

── 本当に晴れ晴れとした引退会見でしたね。涙はまったくありませんでした。

和田 むしろ、やっと引退できる日が来たんだなという感じでした。後悔なんて1ミリもない。ほんとにフルマラソンのゴールテープを切ったような......そんな感覚でした。しかも全力で駆け抜けたと思います。フルマラソンを全力で走る人はいませんが、僕は42.195キロを全力で走ったイメージでした。途中にはケガをして休んだ時期もありましたけど、最後まで全力で走りきれた。だから達成感の涙はあったとしても、後悔も悔しい思いも一切ありませんでした。

【娘にも伝えていなかった引退】

── そして、最後まで信念を貫いて、周りにはずっと引退のことを隠し続けました。

和田 嫁さんに話して、そして球団の上層部の方にだけは伝えましたけど、引退の話が漏れないかはちょっと不安でした。優勝に向かってみんなが頑張っているなかで、余計なことを考えさせたくなかった。『和田さんのために』とか、そんな空気にしたくなかったんです。そのなかで自分も最後はみんなと一緒に戦いたくて、一度は試合で投げられる状態にまでもっていき、シーズン最後は中継ぎとして一軍でも登板することができました。実力で選ばれたい。もしダメなら仕方ないと考えていました。

 だけど、最終的にはポストシーズン前に内転筋の肉離れを起こしてしまって。これはもう、さすがに現場の人にも話をしないといけないと思って、倉野(信次)投手コーチにまず相談しました。それから小久保(裕紀)監督、チーフトレーナーの鈴木(淳士)さんにだけ話しました。僕としてはケガ人だけど、最後なので一軍に近い場所でみんなの戦いを見守りたかった。その思いを汲んでくれて、4人だけで口裏を合わせて一軍に帯同できることになったのです。日本シリーズが終わる前に引退を知っていたのはここまででしたね。

── 王貞治会長に報告したのも日本シリーズ終了後だったのですね。

和田 はい、そうです。リハビリの立場で遠征先まで帯同するわけにはいかないので、横浜には行かずに自宅で試合を見ていました。日本シリーズの敗退が決まった夜、まずは娘に引退を報告しました。

── 娘さんには伝えていなかったのですか?

和田 どこで、どのように情報が漏れるかわからないですから。もし学校で「どうしたの?」とかなるのも心配だったので。それから両親。王会長には秘書の方に「明日お会いできますか?」と連絡したのですが、横浜に行かれていて都合がつかなかったために、翌朝の10時にお電話で報告させていただきました。

── 日本シリーズ終了が11月3日。引退会見はわずか2日後の11月5日でした。

和田 最初は6日に会見をする話もありました。だけど、5日のほうが、日取りがよかったんです。一粒万倍日で、新しく物事を始めるのに一番いいとされていて。また、6日だとアメリカの大統領選挙のニュースともかぶってしまうおそれがあったので、5日に行なったというのが経緯です。球団には日本シリーズ直後だというのにバタバタさせてしまい申し訳なかったですけど。

── チームメイトへの報告は?

和田 4日の夜ですね。リーグ優勝を記念した食事会があったので。そこにいたメンバーには直接報告をしました。みんな驚いていましたし、ギータ(柳田悠岐)は「やめんでくださいよ」とか「まだ辞める(引退)のをやめられますよ」と冗談か本気かわからない感じで迫られました(笑)。

── ピッチャーは「お山の大将」などと言われます。でも、和田さんは最後までチームメイトのことを想って、引退を隠し通して静かに引退していったのですね。

和田 それがチームのためなのか、わかりません。結局は自分のワガママですよ。

つづく


和田毅(わだ・つよし)/1981年2月21日生まれ。浜田高から早稲田大に進み、2002年  にドラフト自由枠で福岡ダイエーホークス(現・ソフトバンクホークス)に入団。1年目から14勝をマークして新人王を獲得。以降、5年連続2ケタ勝利を達成。10年に17勝を挙げ、最多勝を獲得し、7年ぶりのリーグ制覇に貢献。11年オフに海外FA権を行使し、ボルチモア・オリオールズへ移籍するも、開幕直前に左ヒジを手術。14年にシカゴ・カブスに移籍し、メジャー初登板を果たす。15年オフに日本球界復帰を決断し、16年より再びホークスに所属。復帰1年目から最多勝、最高勝率のタイトルを獲得した。24年のシーズン終了後、現役引退を発表した

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