ラブホにハマったきっかけは「不倫カップルの撮影」…“ラブホ1000部屋”を巡った女性が「“昭和ラブホ”に人生をかけたワケ」

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2025年03月17日 16:10  日刊SPA!

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那部亜弓さん 
撮影/さかもツインねね
 ラブホテル愛が止まらず、全国のラブホテルを訪れている女性がいる。
 名前は那部亜弓(なべあゆみ)さん。本業は写真家で、ラブホテルに宿泊しては部屋を撮影し、SNSにアップする日常を送っている。2024年には、撮りためた写真を精選して1冊の写真集とした『HOTEL目白エンペラー』(東京キララ社)を上梓した。

 昭和レトロな雰囲気のラブホテルがとりわけ好きだという那部さんに、ラブホにまつわる様々なことをうかがった。

◆不倫カップルとラブホテルに…

——ラブホテルが好きになった、そもそものきっかけはなんでしょうか?

那部亜弓さん(以下、那部):2015年頃、自分で働ける時間を選べる仕事がいいなと思い、写真家を志しました。依頼に応じて結婚式などの撮影を行い、いろいろなジャンルの仕事を受けるにつれて、ヌード撮影といったニッチな要望をもつお客さんが増えていきました。撮影者が女性だと、相手が安心することもあるようです。

その仕事を3年ほど続けた2018年のある日、とあるカップルに依頼されたのが、「川崎迎賓館」というラブホテルの一室での撮影でした。今は廃業していますが、ドラマや映画のロケにも使われていた有名なところです。そのカップルのリクエストは、「ここで自分たちの結婚写真を撮ってほしい」というもの。 ただ、実は2人は不倫カップルで、結婚式は挙げられないから、せめて写真だけでも選んだ場所で撮っておきたいということでした。

たしかに、そのホテルの内装は、まるで教会のチャペルにも匹敵する豪華さ。一生の思い出に残るような特別な一夜を演出する部屋も備えられていました。

ここのラブホテルに行ったことにより、私の中にあったラブホテルの固定観念が覆され、180度意識が変わったのです。

◆訪れた部屋は約1000室

 この体験で那部さんは、ラブホテルの魅力に開眼。方々に出かけては、写真に収めるようになった。

——これまで何軒くらい訪れたのでしょうか?

那部:正確に数えてはいませんが、380軒ぐらいは行ったと思います。1軒の中でも何部屋かはしごすることもあるので、部屋数でいうと1000室近くになるでしょうか。あと、ここ最近ではホテル側からの内装写真の撮影依頼もあり、その場合はホテル丸々全室撮影しております。1人で部屋を借りるので、交通費も入れると相当なお金を費やしてきましたね。

ちなみに、ラブホテルは1人で泊まってはダメということはありませんが、ホテルのスタッフが防犯のために確認しにきたり、電話してくることは何度かありました。

◆時代ごとの社会背景が反映されているラブホテル

 那部さんによると、ラブホテルは昔に比べると縮小産業。特に昭和期に開業した豪華なラブホテルは、もはや絶滅危惧種だという。コロナ禍もあって廃業が相次ぐなか、那部さんは駆り立てられるように、写真を撮り続けた。

——ゴージャスな内装のラブホテルがいったんは流行して、廃れていくのは、何か歴史的な背景があるのでしょうか?

那部:ラブホテルの歴史についてお話しするとわかりすいと思います。ルーツは江戸時代にまでさかのぼり、当時は出合茶屋(であいぢゃや)というのがあって、男女の密会の場として使われていました。時代は下って、昭和初期に円宿(えんしゅく)が誕生します。名称の由来は「1泊1円」からきていますが、時間貸しの概念ができたのはこの頃です。

戦後は、GHQが風俗を統制する一方、連れ込み宿がどんどん増えていきます。当時は粗末で狭い家が大半で、子供の数も多かったので、連れ込み宿は夫婦に人気でした。そして高度経済成長とともに連れ込み宿は発展していき、一般家庭にはまだ普及していなかった浴室、カラーテレビ、エアコンなどが備えられたことが、大きな魅力となっていました。

やがて競争化が進み、70年代には欧米への憧れを具現化したような豪華な外観と内装のホテルが増えていきます。ラブホテルを必要とする若者がちょうど団塊世代で多い背景もあり、どのホテルも常に満室。そんなホテルに、銀行もたくさんお金を貸してくれる時代でした。潤沢な資金、そして車や道路の発展もあり、本格的なラブホテルが全国各地に登場していったのです。

◆豪華なラブホテルが廃れている理由

——なるほど、今後の歴史をたどると、時代ごとの社会背景や人々のライフスタイルが色濃く反映されているんですね。

那部:そうですね。しかしここから、1985年の風営法改正により昭和ラブホの代名詞であった鏡の多用や、回転ベッドの新設が難しくなっていきました。平成時代以降は、派手な内装から衛生的なシティホテルっぽいものへと流行がシフトしていきます。

最近は、綺麗であることは当たり前、サービスやアメニティが充実していることが好まれるポイントとなり、昭和の豪華ラブホテルは「都市伝説レベルの遠い過去の遺産」というのが今の時代。それでも、奇跡的に残っていた昭和のホテルも、老朽化や時代の流れで日に日に姿を消しているのです。

◆ラブホテルにあった回転ベッドを引き取る

 ノスタルジックな昭和ラブホへの想いが募り、それが頂点に達した那部さんは、ある行動に出る。それは、廃業したラブホテルにあった回転ベッドを引き取り、自宅に置くというものだった。

——那部さんは回転ベッドを自宅に引き取ったとのことですが、そのいきさつや裏話などを教えてください。

那部:尊敬する写真家が、解体前の「川崎迎賓館」の内装を名古屋まで運び、それをスタジオの一部にしました。ちょっと大げさな言い方すると、臓器移植みたいな感じじゃないですか。こういうかたちで、ラブホテルの片鱗でも残すのはいいなと思っていました。

そんなとき、都内にある老舗の有名ラブホテル「シャトーすがも」が閉業すると知りました。そこには私の好きな色である赤の回転ベッドがあったのです。オーナーに連絡を取り、そのベッドをどうされるのですかと聞いたら、ビルもろとも解体するとのこと。

居ても立っても居られない気持ちで、引き取らせていただけませんかとお願いしたところ、オーナーは快諾してくれました。

引き取る日の前日に分解しておき、当日は運送会社の作業員2人がベッドがある3階から地上に下ろし、トラックに積み込みました。ところがそのベッドは、あまりにもサイズが大きすぎて、一般の民家に入れることは困難だったのです。それで、別の業者に頼んで、ベランダから入れて上の階に持ち上げてもらい、何とか自分の部屋に収めることができました。

◆完全に自室に収まるまで約1年

 那部さんによれば、シャトーすがもからの搬出から始まって、自室に収まるまでに、途中何もしなかった期間も含め約1年かかったという。そのあと、阿佐ヶ谷のイベントスペース「Loft」で、この一連の流れを発表するイベントを主催し、多くの人が詰めかけた。

 今も那部さんのラブホテル愛は止まることはなく、暇を見つけてはあちこちのホテルを巡っているそうだ。

取材・文/鈴木拓也

【那部亜弓】
千葉県在住。大学在学中、親の死をきっかけに廃墟に目覚める。2015年頃より写真家の活動を開始。2018年から廃墟だけでなく現役ラブホテルの撮影も始める。現在はトークイベント、写真展、ホテル見学会、カップルの出張撮影を実施するなど、昭和のラブホテルの魅力を伝えるべく様々な活動を行なっている。最新の著作は、写真集『HOTEL目白エンペラー』(東京キララ社)。

X:@aisiyon

【鈴木拓也】
ライター、写真家、ボードゲームクリエイター。ちょっとユニークな職業人生を送る人々が目下の関心領域。そのほか、歴史、アート、健康、仕事術、トラベルなど興味の対象は幅広く、記事として書く分野は多岐にわたる。Instagram:@happysuzuki

このニュースに関するつぶやき

  • バブル時は数千万円を掛けた部屋があった。記憶に残ってるのは木々でジャングルみたいな部屋と総鏡張りで回転ベッドの部屋。(笑)★
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