「輪島の心の古里に」二重の被災から再起の居酒屋店主 能登豪雨半年

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2025年03月20日 16:01  毎日新聞

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毎日新聞

鮮やかな手つきでサザエに包丁を入れる、「居酒屋 連」の店主、河上美知男さん=石川県輪島市で2025年3月14日午後3時17分、国本ようこ撮影

 2度の災害にもめげずに立ち上がった居酒屋の明かりが、被災地の夜を照らしている。


「負けとられん。なんとしてでも再開する」


 2024年末に元の店舗から約600メートル離れた場所で営業を再開させた店主は「輪島の人に『心のふるさと』と感じてもらえたらうれしい」と語る。


地震で店舗兼住宅が半壊


 能登半島地震の影響で大規模火災が発生した「輪島朝市」からほど近い、石川県輪島市の中心部。今月中旬の夜、約30席の店内は、地元住民や復旧業者でほぼ満席だった。


 「はい、刺し身盛り合わせ、おまたせ」。店主の河上美知男さん(65)が美しく盛り付けた一皿を提供すると、客の表情がぱっと輝いた。


 この日のおすすめは、同じ能登半島の宇出津(うしつ)港で揚がったミズダコやコブダイ、バイガイなどだった。


 「新鮮なものだけでなく、取れる量が少なくて市場に出回らない魚も食べてほしい」と、時には自ら取ってきた魚や海藻も提供される。


 約25年前に河上さんが始めた「居酒屋 連」は、24年元日の地震で店舗兼住宅が半壊した。隣接する建物が店に寄り掛かってきて、傾いてしまった。


 それでも、自身が育った輪島市上大沢町で栽培した米、近くの海で取ってきたサザエやアワビなど、地元の農産物や魚など豊かな能登の恵みを提供し続けてきたことで愛されてきた店をやめることは考えなかった。


 河上さんは店の建て直しを計画しながら、被災した飲食店の同業者らで作る炊き出しチームに加わり、被災した住民に温かな食事を届けた。7月からは、フランス料理店の店主らが開業した居酒屋「芽吹」の調理場に立ち、腕を振るってきた。


豪雨で食器や調理器具が泥まみれ


 ところが、9月21日に能登豪雨が輪島市街地を襲う。改修予定だった河上さんの店舗兼住宅は泥水が約180センチの高さまで入り込み、地震の時には損傷を免れた食器や調理器具も泥まみれになった。


 この時、河上さんは店舗兼住宅の2階に避難していた。冷蔵庫やフライヤーがぷかぷかと浮かんでいた当時の様子を「眺めているしかなかった」と振り返る。


 泥にまみれた食器は洗っても客に出せない。器材も全て使うことができなくなった。未開封の酒類はキャップと瓶の間に泥が詰まってしまい、捨てるしかなかった。


 店舗兼住宅は豪雨により大規模半壊となった。


 だが、河上さんの心は折れなかった。「またやらんのか?」「いつからやる?」。常連客から街で会う度に掛けられる言葉にも背中を押された。「絶対に元に戻す。負けとられん」


 店舗兼住宅は解体することに決めた。業者不足もあり、元の場所での再開には数年かかりそうだった。


同業者が応援


 「客との接点を持っておきたい」と考えた河上さんは豪雨から2カ月がたった11月、炊き出しで使っていた建物での再開を決めた。「ずっと『被災者』として見られるのは惨め。だから早く店を始めたかった」


 再開を応援してくれたのが、地震や豪雨で廃業を決めた同業者だ。「欲しいもの持っていけや」と、冷蔵庫やテーブルなどを譲ってくれた。


 そして年の瀬の12月28日、仮店舗をオープンさせた。再開は徐々に口コミで広まり、今年1月下旬からは満員の日が続いている。


 「久しぶりにうまい刺し身を食った」。味にうるさい常連の50代の男性が、そう喜んでくれた。


 「誰でも『地元に戻ったら、あの店であの料理を食べよう』って無意識のうちに考えていること、あるでしょう。そのお店に行って『帰ってきたな』と実感が湧く。うちはそんな場所でありたい」


 今月21日で能登豪雨の発生から半年。店名の「連」には「友達が連なる」という意味を込めている。輪島に帰ったら「連」に行こうと思ってもらえる、心のふるさとでいたい――。


 河上さんはそう願いながら、今日も店先のちょうちんに明かりをともす。【国本ようこ】



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