2025.1.14/東京都港区のINDUSTRIAL-Xにて【東京都港区発】「人生の総力戦」。成功体験も失敗の経験も、生きてきた全てを投入して起業した八子知礼さん。組織運営の難しさを改めて思い知らされつつも、徹底的な仕組化、標準化を実現。普通なら半年かかる改善提案を10分で終わらせる劇的な生産性を武器に、猛スピードでビジネスを拡大していく。いまだ多くの企業が逡巡しているDXですら、まだ前座。次に待っているのが本丸だ。本格的な産業構造の変革が間もなく始まる。そして、視線の先にあるのはもはや海外ではない。無限に広がる宇宙ビジネスだ。
(本紙主幹・奥田芳恵)
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●成長のために環境を変えると 初めから決めていた
起業されたのが2019年ですが、会社を設立した思いや根底にある考え方のようなものを教えてください。
僕の人生のほぼ集大成でつくりました。「僕の人生の総力戦」。今までに学んできたことの全部入りです。大学時代、社会人前半、製造業での体験、コンサル初期の体験、コンサル中盤の体験とあらゆる場面でのエッセンスが生かされています。だいたい6年ごとに挫折した経験があるので、それを起こさないようにするための、組織体制や考え方も持ち込みました。
挫折経験とはどんなものだったのですか?
30代中盤は上司に尽くしに尽くしたけれども、その上司にハシゴを外されました。次の産業再生系の会社では、入社直後に産業再生の投資をしないことになって。4カ月後、36歳の時に辞めることになりました。次の会社では42歳の時、部下に裏切られて組織が崩壊するという経験もしました。最初の松下電工に入った時から、5〜7年で自分のステージを変えるというのは、もともと決めていたことなんです。ピーターの法則ですね。自分の成長のためには組織を変えるか、自分の立ち位置を変えるかのいずれかが必要になります。そんな発想で人生設計をしていました。
起業するにあたって、特に気を付けていたことはありますか。
全部自分で背負込まないと決めました。会社をつくったからには、背負わなければならないことはたくさんあります。ですが、できるだけ背負込まないと決めたんです。全部自分でやらない、と。積極的に信頼して人に任せる。そのほか、がむしゃらに営業活動をしなくても仕事が入るようにする、仕組化する、ということも決めました。
任せるといっても、期待以下だったりすることもありますよね。
もちろんあります。最終的には僕が責任を取るわけですが、任せたからには徹底的にやってね、と。小さくは任せない。できるだけドカッと大きく任せるようにしています。最初は重要な方針から始まってアウトプットのレベル、進捗管理なども含め、プランニングの段階からすり合わせは必要です。これを何度か繰り返せば、次第に細かく言わなくても期待感がすり合ってきます。
変えていける、変われる人でなければ成長できないと思うのですが、変われる人とそうでない人の違いは何でしょう?
変わることを前提にしているかどうか、でしょうか。変わらないことを前提にしている人は、何かを変える際に「どうして?」って疑問に思ったり、抵抗を示したりする。いやいや、環境が変わってきているから当たり前じゃんとは考えない。日本の社会は基本的に変わらない前提で物事がセットされていますね。米国は逆。どんどん変わることが前提です。企業のDXなんかはいい例です。日本の現状はお粗末すぎます。確かに大きなビジョンなど、変えなくていいものもあります。しかしいまだに紙にまみれて生産性向上が難しいまま、何も新しいことを生み出せないような状況は論外です。
●業種ごとのデファクトを広げていけば生産性が上がり 産業に変化が生まれる
日本のIT投資はまったく不十分だと言われていますが「変わらない前提」というのがまだまだ根強いんでしょうね。
実はものすごく大きなチャンスがあるはずなんですが、国内のIT投資はたかだか14兆円。海外の基準で考えれば、本来その2倍はないといけないはずなんですよ。しかもIT貿易収支は赤字。もっと国産のSaaS、ソリューションを使いなよ、っていうかたちにしないと。
とはいえ、何を使えばどう変わるかも良く分からない。
そこでコンサルに、という話になると思うんですが、普通のところだと状況把握やヒアリングで結構時間とお金がかかります。場合によっては半年、数千万円という規模です。僕たちは、100以上の業種業態の業務と課題をテンプレート化しています。使えるソリューションや価格もすぐわかるようになっているんです。これを基に、最初の提案書の段階から惜しげもなく出しちゃうんですよ。上手くやれば10分ぐらいで提案書ができます。
ものすごい生産性の高さですね。ただ、せっかくの提案も、変わることが今の否定と捉えられ、抵抗感が出てくる場合もあるんじゃないですか。
否定ではなく、バージョンアップするという考え方にすればいいんです。否定してゼロからつくり直すということではなく。今までの仕事のやり方を「やめちまえ」と言って、新しいやり方はこうだとドーンと打ち出してもうまくいきません。変えなくていいものと、変えたほうがいい仕事のやり方がある。そこをちゃんと仕分けて、今の仕事のやり方をバージョンアップしましょうというスタンスが重要です。
産業構造を変える、という大きなビジョンを掲げていらっしゃいます。それは、一企業でどこまで実現できるものなんですか。
もちろん、われわれだけではできません。例えばソリューションを提供してくださるパートナーさんたちが100社以上いらっしゃいます。さらに、われわれとそのお客様、さらにそのお客様も一緒になって、産業構造を変え得るプラットフォームをつくれるか、ということです。例えば金属加工業のある領域の業務を、デファクト・スタンダード化していく。すると、その最先端の成功モデルを他社が踏襲できます。そうやって広げていくんです。
自動車産業の変化とともに金属加工業も大きな変革を迫られているわけですよね。
われわれの中・長期ビジョンに「金属加工業の方々を宇宙のビジネスに連れていく」というのがあります。これをスペースツインと呼んでいます。EV化や自動運転が進めば、金属パーツの3分の1が要らなくなります。つまり、それだけの人たちが失業するわけです。しかし宇宙なら、宇宙船、宇宙ステーション、スペースコロニーと金属の需要はいくらでもあります。
DX支援の会社がなぜ宇宙なんですか。
DXは30年あたりには一巡するでしょう。次はいよいよIX。インダストリアル・トランスフォーメーション。産業自体の変革です。さらに産業の範囲は地球上から宇宙にまで広がる。UX、ユニバーサル・トランスフォーメーションです。市場は月だけで数兆円から数十兆円規模。金星や水星を考えれば何百兆円規模になるか見当もつきません。
海外ではなく宇宙なんですね。
海外の需要にも限りがあります。地球上を面で横展開するより、日本の国力を強化して、そのまま垂直に上がっていけばいい。そういう発想なんです。
われわればかりでなく、次の時代を担う若い人たちにも、そんな大きなスケールで物事を捉えられるようになることを期待したいですね。
●こぼれ話
INDUSTRIAL-Xのホームページには、「大学院時代の研究テーマは『分子生物学に基づく単細胞の人工生命モデル』でした」という主旨の表記がある。同社の代表・八子知礼さんの挨拶は、こんな一文で始まる。頭の中に、ほわほわ〜と「??」が浮かんでくるのを感じながら、読み進める。分子生物学に基づいてプログラムをつくり、コンピューターシミュレーションで再現していくと、変化に柔軟な個体が生き残るという分析結果を知ることができた。対談を続けていくうちに、八子さんの思考の軸につながる学びになったことが明らかになった。変わることを前提として、変化に柔軟に対応することで強くなっていく。むしろ、そうでなければ生き残ることができないということを体感している八子さんの言葉からは、確固たる意志を感じる。
やめることよりも、続けるほうが楽であることが多々ある。特に仕事においては、そのように感じている。あえて意識しなければ、「何かをやめる」ことは選択肢の中にない。私は「やめる決断をしたか?」と定期的に自分に問いかけるようにしている。こうして、意識的に自分に問い続ける日々を送るのは、「変わらないことは安定であり、安心である」という後ろ向きの思考だけになってしまいそうになるからである。八子さんとの対談を振り返りながら、改めて自分の思考と向き合い、自分自身を変えていくことの難しさを感じている。今回の対談を通して、変わることを前提にすべきという大きな学びを得た。
八子さんのお母様は79歳。「いまだに働いていますよ」という八子さんの顔には笑みが浮かぶ。そして、言葉からは尊敬の念を感じる。お母様は八子さんに、努力する姿と生き生きと働く姿を見せ続けてきたんだなと想像することができた。子育てをしながら働いたり、勉強をしたりと、きっといろいろなご苦労があったことだろう。ただ、真剣に取り組んでいれば、それは自分に返ってくるし、子どもも何かしら感じてくれるものがあるに違いない。八子さんからは勇気もいただいたなぁと思いながら、こぼれ話を仕上げている。朝食を食べている、わが娘を見守りながら。
(奥田芳恵)
心に響く人生の匠たち
「千人回峰」というタイトルは、比叡山の峰々を千日かけて駆け巡り、悟りを開く天台宗の荒行「千日回峰」から拝借したものです。千人の方々とお会いして、その哲学・行動の深淵に触れたいと願い、この連載を続けています。
「人ありて我あり」は、私の座右の銘です。人は夢と希望がある限り、前に進むことができると考えています。中学生の頃から私を捕らえて放さないテーマ「人とはなんぞや」を掲げながら「千人回峰」に臨み、千通りの「人とはなんぞや」がみえたとき、「人ありて我あり」の「人」が私のなかでさらに昇華されるのではないか、と考えています。
奥田喜久男(週刊BCN 創刊編集長)
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※編注:文中に登場する企業名は敬称を省略しました。