サッカー日本代表はワールドカップにどう臨むつもりか 久保建英に救われたバーレーン戦

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2025年03月21日 11:30  webスポルティーバ

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 サッカーを観戦する時、なにより集中して目を凝らすべきは立ち上がりの5分になる。ピッチ上に両軍が交わり、フィールドプレーヤーがひととおりボールに触れた瞬間、見えてくるものがある。

 接戦か一方的か、順当か番狂わせが起きそうか、などと展開が読める場合がある。下馬評やこれまでの戦いなど、頭に整理されてある事前情報と、眼前の光景をつけ合わせた時に襲われる違和感と言ってもいい。巷に試合のオッズ情報が溢れている欧州などで試合を観戦した時は、とりわけだ。強者と弱者、両者の関係が鮮明な時ほど、現実とのギャップに目が留まる。

 日本対バーレーン。イメージが残るのはマナマで行なわれた第1戦だ。W杯アジア3次予選の2試合目に当たる一戦である。結果は5−0。中国戦(7−0)に続いて華々しく大勝を飾ったことで日本は勢いづき、グループCで独走状態を築くことになった。

 その印象を残しながら、埼玉スタジアムのスタンドからピッチに目を落とせば、日本に5−0の勢いがないことは鮮明だった。勢いを感じたのはバーレーン側。閃いたのは「苦戦」の二文字だった。開始5分は、競馬で言えば出走馬の状態を確かめるパドックに相当する。気合い乗りやコンディションを確認するならば、状態がいいのは明らかにバーレーンのほうだった。

 具体的には、バーレーンのほうが前から来た。高い位置から日本の選手とボールを追いかけた。ひと泡吹かせようと活気を漲らせている様子がひしひしと伝わってきた。

 5バックの態勢で後方に多くの人数を割き、前方へ圧力を掛けられずにいる日本と比較すれば、ピッチ上に描かれるデザインに著しい開きが生じていた。ホームの強者が引き、アウェーの弱者が前から行く展開に、ネガティブな感情を覚えるのは当然だった。受けるように構える日本に、W杯本大会に臨むチャレンジャー精神を見て取ることは難しかった。

 世界でオセアニアの次にレベルが低いとされるアジアでは強者で通るが、W杯本大会の場に出るとせいぜいダークホースだろう。今季のチャンピオンズリーグ(CL)で16強に残ったチームの選手数を国別で比較すれば、日本(3人)はエクアドル、デンマーク、韓国、ギリシャ、ナイジェリアらと並び23位タイという序列になる。グループリーグを戦った選手の数は11人。日本サッカーの過去と比較すれば最多だが、他国と比較すると胸を張れる状況にない。つまり、アジア予選と本大会とでは立ち位置は一変する。

【同等以上の相手には採用しにくい作戦】

 そうした状況下で、森保ジャパンはどんなスタンスで本大会に臨むのか。サッカーの品評会という意味も持つW杯で、どんな色のサッカーを披露するつもりなのか。

 森保一監督の口から出る目標はこれまでの「ベスト8以上」から、いつの間にか「優勝」に変化した。目標は具体性を欠く夢にすり替わり、その分、果てしなく壮大になった。不鮮明になったと捉えることもできるが、方法論についての説明は一切ない。

 バーレーン戦のピッチ上にはベストメンバーが並んだ。森保監督はテスト色ほぼゼロの状態でこの一戦に臨んだ。立ち上がりに露呈した活気のなさは、モチベーションの低さそのものに由来すると見る。W杯本大会出場を決めた試合をこれまですべて見てきた筆者だが、選手から発せられる熱量は、過去最低と言えた。

 森保ジャパンが採用する3−4−2−1は、5バックになりやすいという意味で、数ある3バックのなかでも守備的度が高い。両ウイングバックに、4バック時のサイドバック系選手ではなく、三笘薫、堂安律というウインガーを据えても、本質に変わりはない。逆に彼らのウインガーとしての魅力を殺すことになる。両者は勤勉ではあっても、守備者としては一流ではないので、同等以上の相手には採用しにくい作戦だ。

 バーレーン戦の日本でイメージが重なったのは、俗に言うイタリアサッカーだ。守りを固めてカウンター。イタリアはカテナチオと呼ばれるこのスタイルで1990年代の後半まで、欧州の盟主の座に君臨した。なかには例外のチームもあったが、イタリアと言えば後ろを固めるカウンターサッカーと相場は決まっていた。

 この日、マン・オブ・ザ・マッチに選出された久保建英は、試合後の会見で「前半、堪えるところを堪え、後半、刺すところを刺す、強者の戦いができた」と胸を張った。

 だが、これはW杯でも通用する戦い方なのか。そもそも本当に強者の戦いなのか、怪しいと考える。久保が育ったバルセロナを中心とするスペインは、それとは180度異なる方法論で欧州のトップの座に就いている。

 バルサは1990年代、肝心なところでミランを軸とするイタリア勢に敗れたものだ。試合を押して進めながら、守備的な相手に急所を一撃され、惜しい試合を幾度となく落としてきた。

 スペイン代表しかり。イタリア代表に対して分が悪い状態が続いた。するとスペイン国内に論争が湧いた。イタリアのように守備的にいくべきでないか。そうしないと永遠に勝てないのではないか。意見は二分された。そこで登場したのが、時のバルサ監督ヨハン・クライフで、敗れてもいいから攻撃的サッカーを貫くべきだと主張。以来、スペインはそのスタイルを貫いている。

 欧州全体の流れも、1997−98年シーズンのCL決勝でレアル・マドリードがユベントスを倒した一戦を機にガラリと変わった。つまりこの一戦は、イタリアとの天下分け目の一戦をスペインが制した試合として記憶される。イタリアの守備的なサッカーはその後、退潮して現在に至っている。

 最近で言えば、ジョゼップ・グアルディオラ対ジョゼ・モウリーニョの戦いがそうだった。守備的サッカーのモウリーニョが欧州の檜舞台から去ることになるのは、歴史的に見て当然の帰結と言えた。久保のコメントはスペイン育ちらしからぬ考察と言いたくなる。

 とはいえ、この試合を救ったのが久保であることは紛れもない事実だ。三笘薫を筆頭に失敗を恐れているような選手が目立つなか、久保は奮闘。1ゴール1アシストという記録に残るプレーのみならず、随所に失敗を恐れぬ積極的なプレーを発揮。違いを見せつけた。

 やはり最大の問題は監督だ。レベルがまるで異なるW杯本大会にどんなサッカーで臨むつもりなのか。これから1年3カ月をどのように過ごすつもりなのか。FIFAランクを上げることを優先しテストを怠れるのは本末転倒。単なる点取り虫と化す。なにより監督が選手とともに欧州に渡り、世界観を養う必要があると、あらためて言いたくなる。

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