
駒澤大学在学時には「駒澤三羽ガラス」のひとりとして話題を呼び、プロ野球の選手時代は14年にわたって巨人一筋で活躍。現役を退いた後は2004年のアテネオリンピック野球日本代表の監督代行を、2012年から3年間DeNAの監督を務めた中畑清。
日本の野球界に大きな功績を残した中畑が、昨年11月に書籍『いつまでも絶好調!!』(栄光ブックス)を刊行した。しかし、本書は大きな出版社から刊行されたわけではなく、中畑自ら「作りたい!」と売り込んで作った自主制作本。駒大からの縁を通じて、球界のレジェンドとも呼べる中畑が、本の制作を依頼したという。
刊行に至った意外なきっかけから、これまで出す機会のなかった幼少期のエピソード、そして後世に何を残したかったのか、この一冊に込めた「情愛」を聞いた。
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■きっかけは、40年以上ぶりの再会
――実はこの本のことは偶然知ったんです。同人誌即売会でこの存在を小耳に挟んで、あの中畑清が同人誌みたいな自費出版で本を出しているの? なんで? と困惑して、思わず買ってしまいました。
中畑 ありがとう! 世の人はたぶん存在を知らない本じゃないかな。
――そもそもどんな経緯で出来た本なんですか?
中畑 去年の駒大の同窓会で岡田くんに漫画を見せてもらったのよ。
――「岡田くん」とは、この本を出版した「栄光」代表の岡田一さんですね。
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中畑 そう。彼も駒大出身で、大学時代は漫画倶楽部に所属していたんだけど、当時、オレが主人公の4コマ漫画を出版社から依頼されて描いていた、というのがきっかけだな。
――それが『絶好調デス 中畑くん』なんですね。中畑さんは漫画の存在を知っていたんですか?
中畑 当時、漫画用の取材で岡田くんに会っているんだけど、その後の漫画の存在は知らなかった(笑)。それで同窓会で再会して読んだら面白くなって、本にしようか、という話になった。
――岡田さんの「栄光」は同人誌制作の会社ですから、それがきっかけで自費出版に至ったんですね。
中畑 うん。漫画で読みやすいし楽しいから、そういう本で自分の人生を振り返るのも面白いかなって。小学校の教材みたいになればいいな、と思ったのよ。子どもでも入りやすい漫画にオレの言葉で文章を加えて、「楽しく生きる人生は面白い、こんな人間もいるんだ」と知ってもらえたらうれしい。あとは駒大OBに同窓会のたびに渡そうかとも思っててね。
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――といいますか中畑さん、お忙しいのに大学の同窓会、マメに出席されているんですね。
中畑 オレ、ちょっと前まで駒大同窓会の東京支部長だったんだから! 太田誠監督(*名将と呼ばれる駒大の元監督で中畑の恩師)に命じられて、全国各地で同窓会があれば来賓として出向くことになったの。
47都道府県、ほぼ参加したよ。ほら、オレが行けば人も集まるから、とか言われるとうれしくなってさ(笑)。だから、この本も同窓生同士、盛り上がっちゃって作っちゃった。うん、オレが一番、盛り上がっていたな!
――たしかに漫画を読むと駒大色が強いですもんね。「駒大OB・夢のベスト9」なんて企画、無駄にマニアックで野球ファンにはたまりません。
中畑 だろ? ピッチャーなんか森繁和(元中日)だからね! 今永昇太(現シカゴ・カブス)じゃないんだから(笑)。
――さすが1980年の作品。時代を感じます。
中畑 今永が入らないんだから、ウチの大学も捨てたもんじゃないだろ? ワハハ! ともあれ、そんな経緯で作った本だから売るつもりもなくて、特別、宣伝もしなかったわけ。だから、見つけたほうがおかしい!
■人生の原点は高校時代
――中畑さん自身が盛り上がって作っただけあって、中畑さんの貴重な少年時代の写真も見どころに感じました。
中畑 たぶん今までの本では出したことないな。昔は写真なんて貴重だったから、オレもほとんど持っていないのよ。それで、わざわざ姉ちゃんに探してもらったの。
――「姉2人と中畑家初の自家用車の前で記念撮影」とかプライベート感満載のキャプションもふるってますね。
中畑 バアさんの写真なんて、懐かしいなあ〜。いじわるバアさんだったのよ、この人。でも歌が上手くて、いつも歌っていた。オレが歌好きになったのは、完全にこのバアさんの影響だね。
――写真のお父さんがたくましい体で、中畑さんの運動神経は遺伝かな、と思いました。
中畑 オヤジは人を使うことに長(た)けていてね。オレは9人兄弟だったんだけど、上の兄貴ふたりが家を出てしまって、家業の酪農を手伝う男手が足りなかったから、小学生だったオレがかり出されるの。
それで「キヨシ! お前は乳搾りの天才だ!」とかホメちぎるわけ。オレはうれしくなって毎日、乳搾りしてから学校に通うようになってしまった。
――お父さん、監督時代の中畑さんみたいです! 本はそんな濃厚家族エピソードも満載で、新たに書き下ろした4コマ漫画のネタにもなっていましたね。あと気になったのは高校時代の学園祭の写真。キャプションの「安積商の学園祭で自ら企画した神輿! 盲腸手術4日目だけど医師に懇願してサラシを巻いて強行参加」って、なんですかこれ!?
中畑 ホントなんだよ! 自分で音頭を取ったんだから、盲腸ごときで欠席なんかできない。最後まで責任を取らなければ、と思って。それで担当の医者に「先生、お願いします!」って頼み込んだ。
――OKが出たんですか?
中畑 「具合が悪くなっても私は保証しないよ。キミがやったことだからね」って。まあ、その医者も同級生の父親だったから甘く見てくれたんだろうね。
――野球だけではなくて、学校生活も満喫していたんですね。
中畑 本にも書いたけど、本当のオレは内気。ナイーブで恥ずかしがり屋なのに中学時代は兄貴を真似て硬派ぶっていた。それを高校に入学して変えたの。それが今のオレの原点でもある。
――あー、高校って周囲のクラスメイトがガラリと変わったりするから、リセットしやすいですよね。
中畑 中学までのオレは異性に対しても愛情が強いくせに硬派を気取って、異性から愛情を示されても邪険にしたり、はぐらかしていた。もう、あの瞬間が寂しくてしょうがなかったのよ......。
――なるほど(笑)。
中畑 「お前、本心は違うだろ? 女のコともっと話したいんだろ? 近づきたいんだろ?」って自分に問いかけて戦っていた。葛藤していたんだ。
――つまり、モテたかった?
中畑 そう! 今でもそう! ワハハ。
――それで高校入学が大きなチャンスだと。
中畑 うん。周囲のみんなはそれまでのオレを知らないからね。中学時代だったら近づきもしないようなタイプのクラスメイトにも自分から話しかけたり遊んだりして、「中畑って怖くないな、面白いな」と感じてもらえるように頑張ったよな。
――チャンスはここだ、と。
中畑 そう! チャンスはいつやって来るかわからないし、この先、また来るかもわからない。チャンスで一歩踏み出して、自分を試せるかどうか、人間の幅を広げられるかで運命は変わるんだ。
――や、野球にも通じますね! で、モテるようになったんですか?
中畑 女子とは仲良くなれた。盲腸で入院したときなんか、毎日、彼女が見舞いに来てくれたから。手をつないだこともない彼女だったけど、目標を達成したわけだ。青春のいい思い出だな(笑)。高校時代、野球部の練習はキツかったけど、クラスで過ごす時間は楽しかった。
■太田誠、長嶋茂雄から学んだ"情愛"
――高校入学以降の中畑さんは、プロ野球選手時代と同じ匂いがしますね。
中畑 高校入学で自分を変えることにしても、学園祭にしても、リスクは怖いけどやりきった後の達成感は本人しか味わえない。それをたくさん味わったという意味ではそうかもしれない。
野球でも初球を振るか振らないか迷うようではダメ。「いけるならいっちゃえ!」と。結果に踊らされるのではなく、まず行動を起こしたことが大事なの。その結果はヒットでも空振りでもファウルでもいいんだ。
――盲腸のエピソードはリスク満載ですもんね。
中畑 そうよ! 命がけだよ! 縫ったばかりのところが破裂するかもしれないんだから! でも、どうせやるなら最後までやりきろうと。何でもそう。仕掛けたらやり通す。選手時代だけじゃなくて、選手会でもそうだったろう?(*中畑はプロ野球選手会の設立に尽力した初代会長でもある)
――監督時代もそうでした。
中畑 ベイスターズの時も、監督に就任したときは本当に弱いチームでさ。まずは勝てるチームづくりの前に人づくりだな、と思った。それで1年間、お金をいただいてプレーするプロならば、できることをやらないのは許さない。最後まで絶対に諦めない気持ちと姿勢を見せ続けること。それから始めた。
口酸っぱく言い続けていたら2年目から選手も変わってきて、少しずつ勝てるようになり、いいチームになってきてお客さんも増えていった。一気にはやっていないのよ。
――それが26年ぶりとなる昨季の日本一につながった、とファンのみなさんも認識しているように感じます。
中畑 優勝した瞬間、オレにも「おめでとう、おめでとう」って連絡がたくさん来てね。オレは何もしていないのにな。だけど、みんながそう思ってくれているならば、こんなにうれしいことはない。今でも横浜の街を歩いていると「監督だ!」って声をかけてくれる人がたくさんいる。監督をしていたのは10年も前なのにね。本当にありがたいよ。
――学園祭が終わったときのような心境ですか?
中畑 高校・大学時代も選手時代も監督時代も、いろいろな成功体験ができた。他の人間が味わえないことを本当にたくさん与えられたよ。いろいろなチャンスに挑戦、行動して、情愛と熱量でクリアしていく喜びを知ったことがオレの財産。本を通して、子どもたちにそれを教えたいね。
――本でもそうですが、中畑さんは「愛情」ではなく「情愛」という言葉を用いますよね。
中畑 自分の感覚なんだけど、「愛情」より「情愛」の方が濃い気がするんだ。何事も相手に愛情よりも濃い情愛をかければ必ず相手は返してくれると思っている。オレはそれを大学では太田監督に、プロでは長嶋茂雄監督に教えてもらった。自分が監督をしていたときも常に心がけていたことだよ。
――では、次の「情愛」のかける先は?
中畑 前は「チャンスがあれば70歳までにもう一度、監督をしたい」とよく言っていたけど、もう70歳も過ぎちゃったからな。でも気持ちはまだチャンスがあれば、と思っているよ。東北生まれだから、最後は東北のチームで監督をしてみたい、というロマンも持っているし。
まあ年だから長くはできないと思うけど、体がついていける元気なうちは。オレという人間は元気じゃないと監督をやる意味がないから。「絶好調!」って言えなくなったらオレは終わり。幕を引くときだ。
――本のタイトルは『いつまでも絶好調!!』ですけどね。
中畑 おう。だから声を大にして言っておく。今はまだ「絶好調!!」だ!
●中畑清
1954年、福島県矢吹町生まれ。安積商業高校を卒業し、駒澤大学野球部へ。76年にドラフト3位で東京読売巨人軍に入団。82年からは7年連続でゴールデングラブ賞を受賞。85年より日本プロ野球選手会の初代会長を務める。93〜94年に巨人で打撃コーチなどを務め、2004年のアテネオリンピックでは監督を任される。その後、12〜15年には横浜DeNAベイスターズ監督を務め、現在は野球評論家としてメディアで活躍
取材・文/田澤健一郎 撮影/五十嵐和博