藤浪晋太郎は大阪桐蔭に入学早々、同級生・澤田圭佑の投球に「なんじゃこれは!」 実家に電話し「1番は無理かもしれん」

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2025年03月25日 18:21  webスポルティーバ

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大阪桐蔭初の春夏連覇「藤浪世代」のそれから〜藤浪晋太郎 全4回(2回目)

#1:大阪桐蔭かPL学園か 藤浪晋太郎は高校進学の際、2校で迷っていた

 大阪桐蔭に入学すると、誰もがまず先輩たちのレベルの高さに「鼻をへし折られた」と口を揃えるが、藤浪晋太郎に現実を突きつけたのは愛媛西シニアから入学してきた同級生の澤田圭佑(ロッテ)だった。

【同級生の投球に驚愕】

「ほんと衝撃でした。シートバッティングの時、何人かの1年生はキャッチャーの後ろにネットを立てて、ボール出しとか審判をするのですが、自分もそこにいたんです。その時に投げていたのが澤田だったんですけど、カットボールがとにかくエグくて......。もう漫画のような鋭い曲がりの軌道で、『なんじゃこれは!』って。まあ、エグかったです」

 140キロ前後のストレートも力強く、自身の最速142キロのボールよりも速く感じたという。この衝撃からまもなく、実家に電話をした際、藤浪は母にこう言ったという。

「1番(エース)は無理かもしれん」

 しかしここから、藤浪は周囲の予想を上回るベースで成長。練習試合でのピッチングも評価され、夏の大阪大会でメンバー入りを果たす。

 公式戦初登板は、豊中ローズ球場での吹田との2回戦。17対1で大勝した最後の2イニングを無失点で投げ終えた。試合後、場外を歩きながら監督の西谷浩一にマウンド上ではさらに高さが際立っていた1年生投手について聞くと、ニヤリとした表情を浮かべてこう返してきた。

「真っすぐの回転が少し汚くて、あの身長。僕のなかのイメージは、ゲイルです。わかります? ゲイルです、ゲイル」

 少年時代は掛布雅之のポスターを部屋に貼るなど、阪神ファンでもあった西谷が会心の笑みで口にしたのは、1985年の日本一の立役者、リッチ・ゲイルだった。

 結局、この夏の大阪桐蔭は3回戦で敗れ、早々とトーナメントから姿を消したが、秋には藤浪が実質主戦投手となり、大阪大会を制覇。しかし、ひとつ勝てば翌春の選抜大会出場が濃厚と見られていた近畿大会で、兵庫の公立校である加古川北にまさかの初戦敗退。

「井上真伊人(まいと)さんですね。緩い高めのカーブを打てなくて......」

 長くインプットされていたであろう、相手エースの名をつぶやいた。味方打線が3安打に封じられ、投げては藤浪が2回に一発を浴び、6回には暴投で追加点を許し、12三振を奪うも0対2の完敗。目の前に浮かんでいた甲子園が消えた。

 2年夏も大阪大会決勝まで進むも、「3年間で一番悔しかった」と振り返った試合は、東大阪大柏原に6対7と逆転負け。またしても、あと一歩のところで甲子園を逃した。

【心に火をつけた指揮官からの激励】

 そして最上級生となった新チームの秋。因縁の東大阪大柏原を藤浪が2安打完封で下し、2年連続の近畿大会出場を決めると、初戦で神港学園(兵庫)を下してベスト8。選抜出場はほぼ手中にした。

 だが、準々決勝で藤浪が天理(奈良)打線に打ち込まれ4対8と敗退。消化不良のまま大会を終えることになったが、ここで藤浪の心に火をつける出来事があった。西谷の証言だ。

「天理に負けたあと、たまたま泉北ボーイズの会長に会って、言われたんです。『オレは晋太郎を小さい頃からずっと見ているからわかる。アイツはええやつや。でも、ここ一番で勝てへんヤツなんや。あんた、いつまで晋太郎と心中するつもりや。監督クビになるで』と。寮に戻るとすぐに藤浪にこの話をしました。『こんなこと言われて悔しくないか? オレは悔しい。絶対に日本一になって見返すぞ!』という話をしましたね」

 西谷の心にも火をつけたこの日のやりとりは、藤浪もはっきりと記憶していた。

「夜に寮の部屋に呼ばれて、西谷先生からこの話をされました。『オレは悔しい』という言葉にグッときましたね。『おまえを信頼している』とか『頼むぞ』とかじゃなく、『オレは悔しい。おまえは勝てないヤツやない』って。話の最後には『今度の選抜はおまえの人生が変わる大会になるぞ』とも言われて、絶対に勝つと気合いが入ったのを覚えています」

 大阪桐蔭で迎えた2度目の冬。練習グラウンドの一塁側奥にあるブルペンでは、連日不似合いな言葉が飛び交っていた。

「やり投げやないぞ、背負い投げや背負い投げ! そうや、その感じや!」

 声の主は西谷。遠い日のやりとりの真意を藤浪が明かした。

「冬場にフォームを修正して球質を上げようと取り組むなかで、テイクバックからリリースの際に腕の回転半径が大きくならず、小さいなかで右肩と左肩を入れ替える。そんなイメージでの"背負い投げ"でした」

 エースと指揮官がブルペンで格闘する一方、チームは「春夏連覇」を合言葉に厳しい練習を行なっていた。

【幻の副キャプテン】

 藤浪の同級生たちは「ひとつ上の代のほうがはるかに強かった」と口を揃えるが、この代は前チームには不足していたまとまりがあった。連覇のあと、主将の水本弦、副主将の白水健太、澤田圭佑の3人が機能していたという声があちこちから聞こえてきたが、その話を振ると藤浪が自虐的な物言いでつぶやいた。

「自分も副キャプテンだったんです。誰も覚えてないと思いますけど」

 藤浪が副主将だったという話はたしかに聞いたことがあったが、高校時代を振り返っても、ほかの選手たちに指示しているような場面を一度も見たことがない。

「西谷先生も、今となっては指名したことすら覚えているかどうか。水本がキャプテン、白水が副キャプテンで動き出して、それから少し経った時に自分と澤田に『おまえたちも副キャプテンをやってくれ』と言われたんです。でも、自分があまりに何もしなかったので、西谷先生のミーティングでも『みんなでキャプテンの水本、副キャプテンの白水、澤田を盛り立ててやってくれ』となって、『えっ、オレ入ってへんやん』みたいな......。いつの間にか、みんなの記憶からも消えて、触れられなくなった歴史があります(笑)」

 たしかに、藤浪はリーダータイプには見えない。

「まったくそのとおりで、人の上に立って指示する人間じゃないということはわかっています。自分は隙も見せるし、たまにひと息つきたいタイプでもあるんで」

 練習ではいっさい抜くことをしない藤浪だが、ここは正当な自己評価なのだろう。ではなぜ、そんな藤浪を西谷は指名したのだろうか。藤浪の推測はこうだ。

「マイペースすぎたんで、自覚を促したかったんじゃないですかね。あと、キャプテン投票の時に"藤浪"と書いたのがひとりいたらしく、西谷先生から『藤浪にキャプテンをやらせたらもっと変わると思う、というヤツもおる。ここで変わってみせろ』と言われたことがありました。でも、それだけは西谷先生の言葉をもってしても、まったく響かなかったです(笑)」

 副主将・藤浪は機能しなかったが、チームは春の頂を目指し、厳しい冬のなか鍛錬を続けた。

(文中敬称略)

つづく

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