高柳明音アイドルグループ・SKE48の元メンバーで、女優として活動を続ける高柳明音が、3rd写真集「あかねのそら」(エイベックス・マネジメント・エージェンシー刊)を、3月15日に発売した。今作は以前から気になっていたという台湾で撮影。アイドルを卒業し、女優として活動する“今”の姿を届けたいという思いで、表紙やタイトル、中身のレイアウトまでこだわった意欲作。今回のインタビューでは制作の裏側についてや、20周年に向けた夢を赤裸々に語ってもらった。
◆写真集の舞台は台湾
――3冊目の写真集発売おめでとうございます。まずはどんな作品に仕上がったか教えてください。
高柳明音(以下、高柳):ありがとうございます。この作品は私にとって3冊目の写真集になります。写真集を制作するにあたってコンセプトを決めるときに、大事にしたかったのが1stや2ndでは出せなかった“今”の自分を見せようと思ったんです。女優として、タレントとして、ひとりの女性としてナチュラルな姿を写真集にできたらと思って。30代に入って何も着飾らない、でも、それがおしゃれにも見えるような1冊に仕上がったと思います。
――今作の舞台は台湾でしたね。
高柳:火鍋も食べたかったし、ジブリ映画の『千と千尋の神隠し』のモデルになったのではとも言われている茶藝館もあって、いろんなことをひっくるめて日頃から行きたいとは言っていたんですよ。写真集の中身の話をしていくうちに、明るい海よりも、暗めなところで大人な感じに撮ろうということになって、ロケ地は台湾がいいだろうという話になりました。台湾はSKE48の『意外にマンゴー』のミュージックビデオ撮影で訪れたことはあったんですけど、離島だったし弾丸撮影だったので特に観光はできなかったんですよね。卒業する直前にもファンミーティングを兼ねた台湾ツアーが計画されていたんですけど、コロナ禍寸前で中止になってしまっていたので、ゆかりのある場所で撮影できてよかったです。
――写真集の発売が発表されたとき、発売日がもともと卒業コンサートを予定していた3月15日でしたが、これは偶然ですか?
高柳:まったくの偶然です。配信でファンの方に教えていただいて、「あっ、そういえば!」と私もそこで気づきました。当時は「3月15日に開催するから『サイコー(315)の日』にしようね!」って盛り上げてたら、最悪の日になっちゃいましたね。誰もいない横浜アリーナで泣きながら生配信してましたよね。今ではいい思い出ですけど。
――今回はたくさんイベントができるといいですね!さて、写真集はどんなテーマで制作を進めていったのでしょうか?
高柳:『台湾旅』ですね。あくまでナチュラルに、表情も作りこまないで、自然体でいることを心がけました。ロケ中はずっとカメラマンさんと喋りながら撮影してて、私ってこういう顔もするんだって発見もありました。いい意味で決めている写真がないですね。
――ロケ中で思い出に残ってる出来事はありますか?
高柳:『台湾旅』というテーマが崩れないように撮影を進めてたんですけど、ただ1ヶ所だけ幻想的なカットを入れたくて遊園地に立ち寄ったんです。写真の中で表現するミスマッチ感が好きで、あえて夜に行ったんですね。本来なら太陽が出てる時間に行って、明るくて、可愛く撮影するところを、夜に行くことでちょっと怖い雰囲気を出してみたくて。本当はウサギの着ぐるみ立たせたかったんですけど、ホラーすぎて無しになりました(笑)
――ウサギの着ぐるみは流石に怖すぎますね(笑)。もうちょっと深掘りしてもいいですか?
高柳:撮影がロケ1日目の夜だったんですけど、「遊具に乗ったりできるかな?楽しみ!」と思って現地に着いたらまさかの立ち入り禁止で……。でも、メリーゴーランドは点灯していたんですよ、回らないけど。なので、回らずライトだけが変化するメリーゴーランドの前で踊るという側から見たら不思議なことをやってみたんですけど、出来上がった写真を見たらすごく幻想的に仕上がっていました!ぜひ見ていただきたいです。
◆悩みに悩んだタイトル
――表紙の写真は海を見つめる写真ですが、横顔の写真って珍しいなと思いました。
高柳:ロケ前から夕陽はマストで撮影しましょうということで、台湾の違う場所で2回も夕陽と一緒に撮影しました。同じようなシチュエーションで撮るって珍しいことだと思うんですけど、マネージャーさんのこだわりもあり(笑)。で、表紙を決めるとなったときに、私もあれこれ考えて顔がしっかり見えてる写真とか、水着とかいくつか候補の写真を提案したのですが、全編通して見るとなんか違うなと思って。そんなときに、スタッフさんからこの写真(表紙の写真)を提案していただいたんです。最初の『台湾旅』というテーマに立ち返って考えなおしたときに、アイドルのときには見せなかった表情を見せるということで、満場一致で決まりました。
――タイトルは『あかねのそら』に決まりましたね。写真集のタイトルをご自身で決めるのは初めてだったと思います。
高柳:そうですね。今までは秋元康先生にタイトルの候補を出していただいていたので、自分で決めていいと言われてある意味プレッシャーがありました(笑)。私って天気を味方につけることが多くて、ファンの方からも「“ちゅりちゃん”(高柳明音のニックネーム)のイベントだから雨が降らないんだね」って言ってくださることが多かったので、じゃぁ『天気の子』か……。いやいや違うだろ!って悩んでたところに表紙の写真が届いて。海の写真でしかも夕陽。名前の“明音”とかけて“茜”色はどうだろうという意見もスタッフさんからいただいたんですけど、それだと表紙の写真の夕陽のイメージが強くなっちゃって……。
――色の名前だし、写真集全体のイメージと照らし合わせて悩まれたんですね。
高柳:やっぱり『台湾旅』というコンセプトがある以上、表紙の印象に引っ張られたくなかったんです。悩んだ中で思いついたのが“あかねのそら”だったんです。表紙で私が見上げてる空も、写真集の中で写っている空も全部私が見ている空だし、この4泊5日の撮影で一度も雨を降らさずに、雨雲も一切見せずに天気を味方にした“私の空”っていう意味も含めてみました。
――結果的に“天気の子”エピソードも回収するとは(笑)。高柳さんの趣味は写真ですが、やはり中身の構成もこだわったんでしょうか?
高柳:そうですね。SKE48時代は中身のレイアウトとか「お任せします!」という感じだったんですけど、今回は最初から最後までスタッフさんと打ち合わせをしながら携わらせていただきました。カメラマンさんの写真がどれも素晴らしすぎて、どこのページにどんな写真をどれぐらいの大きさで配置するとか、左右の並びとか1枚の写真で見せるか、組で見せるのか、上下に並べて見せるのかとか、一枚でも多く載せたかったので、前後左右の塩梅を見ながらスタッフさんとみんなで話し合って一緒に作っていきました。本当に細かくあれこれ考えて、まるでお弁当のおかずを弁当箱に詰めていくような体験でした。
――写真の料理人という訳ですね。作品にかける思い入れの強さがとても伝わります。ちなみにいつ頃その作業をされていたんでしょうか?
高柳:えっと、去年のクリスマス当日ですね(笑)。よく俳優さんたちの写真集のメイキングとかであるじゃないですか。机の上にバーっと写真を並べてあーでもない、こーでもないってみんなで言い合ってレイアウトを決めていくのをやってみたいって言ったら、クリスマス当日にやっていました。
――まるで年末に入稿に追われている編集者ですね。
高柳:いやー、本当に焦っていました、年末。タイトルも決めなくちゃ、写真も決めなくちゃ、何かが止まると製本できなくて発売まで間に合わないって。あと、私が表紙に入れたかった写真があって、中身に入れるところがなかったんですけど、どうしても入れたくて、表紙カバーを外すと見れる『隠れコマンド』仕様にしました。本当に素敵なカットなのでぜひ見てください!
――推しの一枚、必見ですね。台湾は名古屋と同じく食の宝庫ですが、ロケで思い出に残っている食事はありますか?
高柳:「何が食べたい?」って言われて、まず最初に即答したのが火鍋でした。撮影で行かなくても絶対に食べたいって伝えて、結果行ったんですけど、写真集の中にはその様子は入ってないんですよ。何かの機会に見ていただけると嬉しいのですが。あと、一番驚いたのが地元の方しか行かないような市場での台湾式おでん。ゴーヤだと思うんですけど、中をくり抜いたところにつみれが入っていて、めちゃくちゃ美味しかったです!このシーンは写真集にあるので見てみてください。あとマンゴーのかき氷も!ミュージックビデオ撮影のときは弾丸だったので、「せめてかき氷は食べさせて〜」と嘆いてたけど今回は食べられてよかったです。アイドル時代の後悔が一つ減りましたね。
◆「私の“今”を見せている作品」
――さて、今回の写真集はデビュー15周年の集大成という位置付けですが……。
高柳:そうですね。まず一番に思ったことが、私的には“はじまり”の一冊だと思っていて、デビューしてから15年という月日がなければ作れなかった作品です。17歳でSKE48に入ってから、できないと思っていたことができるようになって、29歳で卒業してから本格的に女優業も始めて、この15年間で形成された高柳明音が詰まっている。私の“今”を見せている作品なので、ずっと応援してくれているファンの方へ、感謝を伝える贈り物になったらいいなと思っています。
――“今”を大切にしているのは、高柳さんらしいと思います。
高柳:アイドル時代からずっと言ってますよね、『今が一番楽しい』って。振り返って楽しかったこととかもたくさんあるけど、やっぱり“今”が大切だと思うので。その考えはずっと変わらないです。
――30歳になりたての頃、とあるインタビューで「30代は自分のために使いたい」とおっしゃっていました。着実に有言実行できてると思います。
高柳:ありがとうございます。そうですね、あの頃は連休とか考えられなかったし、ずっと先の予定まで決まっていて、それこそ土日は握手会で全国いろんなところに行ってましたし。今はもちろんお仕事を優先しつつも、好きなアーティストさんやアイドルのライブに行ったり、自分の時間を大切に、楽しめるようになったと思います。そろそろ一人旅や海外旅行をしてみたいですね。
――私ごとで恐縮ですが、先日30歳になりまして、数字の重荷をじわじわと実感しております。
高柳:20代が終わりに近づいてくるともがくんですよね。ちょうど卒業したのが29歳で、20代を全てSKE48に捧げて、もう20代はやり残したことがないぐらいアイドルをやり尽くしたんですけど、多分、20代の女性が普通に経験することの9割はやってないと思うんです。だからあの歳までアイドルをやったことに悔いは全くないですけど、もがいてはいたんですよ。「やばい!30歳になっちゃう!」って。でも、今はいろんな重荷から解放されたというか、30歳になったら別にそんなに焦ることなかったじゃんみたいな(笑)。20代の間に何かしなきゃ、20代の間にしかできないことをやろうと思っていたけど、意外とそんなものはないって気づいて、今は開放感がありますね。 あっ、表紙も風に吹かれてる!
◆20周年に向けた夢
――確かに(笑)。あっという間に20周年イヤーも迫ってきますね。
高柳:20周年かぁ。あと5年ですよね。この15周年の期間で発見できたことは、自分の中で結構大きくて、先日のソロコンサートのように、ライブで歌って踊ることって、アイドルを辞めたらもうできないだろうって思ってたんです。ただでさえ、SKE48時代から歌詞を覚えるのが苦手なのに、一人で何曲も覚えてライブなんてできるのかって、自分への挑戦でもありました。自分の中で「やりたいって言っちゃいけないのかな?」と思っていた歌やライブを、いろんなスタッフさんが「歌いいね」、「歌続けなよ」って言ってくれて、味方になっていただけたことが嬉しかったです。もし20周年までにしたいことは何ですかって聞かれたら、私はアルバムが出したい!
――ソロアルバムですね!
高柳:SKE48時代はありがたいことに選抜メンバーに選んでいただいていたけど、自分が携われた曲ってほんの一部で、ソロ曲は卒業したときにいただいた『青春の宝石』だけで、ソロパートで歌えた曲も『1!2!3!4!ヨロシク!』のセリフぐらい。でも、「AKB48グループ歌唱力No.1決定戦」が始まって、在籍中に真っ直ぐ歌に向き合って卒業できたからこそ、「自分だけの歌がほしい」って思えるようになったんです。次にコンサートができるとしたら、カヴァー曲だけじゃなくて、自分の曲をもっと増やしたい。自分で歌詞を書くのはもちろんですが、できればいろんな人に私の歌を書いてほしい。私の人生経験のほとんどがSKE48なので、アイドルとしての経験はたくさんできたけど、多くの人に共感してもらおうとなると価値観がズレてきちゃうんですよね。となると一人では限界があるので、いろんな人と歌を作って、その楽曲の世界観に魂を吹き込むような体験をしたいです。まだ夢の途中ですけど。
――“歌手・高柳明音” 高柳さんのファンはステージに立つ姿を見たい方も多いと思いますし、嬉しい宣言ですね!
高柳:歌手っていうとちょっとハードルが上がるけど、でも芝居も好きだから、いつか自分が主演をできたら、その挿入歌を自分で歌えたらいいなと思ってます。それこそミュージカルとかやってみたいです!やりたいと思ったことは、これからどんどん口に出していきます!
<取材・文・撮影/安藤龍之介>