(画像:YouTube『もちまる日記』より) ネコ系YouTuberで圧倒的人気を誇る『もちまる日記』が更新を停止。その経緯をめぐって大炎上しています。
事の発端は、4月17日の動画。もちまるが夜中に戻してしまい、救急搬送されたことを報告するものでした。これがかねてより『もちまる日記』に疑問を抱いていたネットユーザーの怒りを買ったのです。
ここに至るまでに、飼い主である「下僕」がもちまるに炭酸水を与えてびっくりさせる動画があり、その後、もちまるが水を飲まなくなり、ついには持病の腎臓病が悪化したという伏線がありました。夜中に吐き続けたのも、その影響からなのではないか、と疑われているのです。
そのため、“もしかしたら動物虐待に当たるのではないか?”との声が大きくなっている。これが炎上の背景です。
そこで、改めて『もちまる日記』の問題点を整理しておきたいと思います。
◆テレビで特集され登録者100万人超え。ダイソーなど企業コラボも
筆者も、2019年のチャンネル開設当時からの視聴者です。狭いアパートの一室で、生まれたばかりのもちまると下僕の、ささやかで穏やかな日常が繰り広げられる。そんな癒しの動画を楽しみに観ていました。
ところが、その空気感が変わります。いくつか転換点がありました。
まずは、2021年に『ひるおび』(TBS)で特集されたこと。これによりチャンネル登録者数が激増し、100万人超えを達成しました。当然再生回数も比例して伸び、当初はなかったプロモ案件が散見されるようになる。
そこから、もちまるの書籍やカレンダー、そして「しまむら」や「ダイソー」などとのコラボグッズが制作されるようになります。そしてついには、下僕はアパートを出て一軒家を購入するに至る。
これが『もちまる日記』サクセスストーリーのあらましです。
◆一軒家に移った途端、消えた生活感
もちろん、人気を得て収益が増えた結果、様々なビジネスが派生し、下僕が裕福になること自体、何の問題もありません。
ただし、その過程で、『もちまる日記』から生活感が消えたことに違和感を訴える声もあります。
どういうことかというと、アパートの一室から一軒家に移った途端に、部屋が整然と片付いてしまったのです。部屋にはゴミ一つ落ちておらず、ものが乱雑に置かれた様子もない。壁紙や床と家具のトーンは完璧な統一感があり、あたかも撮影専用のスタジオのようになってしまったわけです。
これらの状況証拠から、『もちまる日記』が完全にビジネス案件になってしまったのではないかと結びつける声もありますが、ひとまず、ここではそうした見方をせずにしておきます。
むしろ、問題は、そうしたビジネス的な計画性や意図を持った演出でなかった場合、『もちまる日記』という“誠実な”エンタメをどう捉えたらいいのかにあると思うのです。
つまり、ネット動画の再生回数により報酬を得るアテンションエコノミー(人々の注目度や関心の高さ自体が価値を持つ経済)の罠(わな)にハマってしまった下僕が、誠実な性格は変わらないままチャンネルを充実させようと考えていたとしたら…。
それこそ救いようのない悲劇だと言わざるを得ないのです。
◆6歳の歌姫ののちゃん動画と共通する構成
たとえば、問題になった炭酸水を与える動画(現在は削除)も、もちまるの首ねっこを押さえて口を広げてがぶ飲みさせたとかなら、完全に虐待でしょう。
しかし、動画ではもちまるが手で触って、一舐(ひとな)めしてその刺激に驚く、というものです。ある意味、ネコの自由意志にまかせて、それが許容される範囲だろうという下僕の判断によって、微笑ましいシーンとして提供されている。そこに、動物のリアルを映し出そうとしている。
“飲ませた”のではなく“飲んだ”という事実をおさえたうえで、飼い主の愛情と遊び心による配慮が行き届いたことを見せて笑わせるというのが、『もちまる日記』の論法です。
けれども、筆者はこの配慮の行き届いたリアリティーショーのような構成に既視感を感じました。それは、6歳の歌姫ののちゃんこと、村方乃々佳の動画チャンネルです。姉妹が喧嘩する様子をアップして炎上したのは記憶に新しいところです。
あのチャンネルも、撮影者である母親はきちんと姉妹を諭(さと)し、保護者の愛と庇護を証明したうえで、リアリティーショー的な構成を持っています。そこには当然、自分の子供を痛めつける意図はありません。すべて家庭愛と善意によって成り立っている。
しかしながら、そうした悪意などあるわけがないという自負が、かえって脳内の報酬系を暴走させる恐れはないのでしょうか?
◆善意で作られた面白リアクションを見せる仕掛け、悪につながる可能性も
『もちまる日記』に戻ると、穏やかさと愛に満ちた空間において、動物が何か面白いリアクションを見せるための仕掛けが、善意の作為(さくい。つくりごと)によって設けられている。
この“決して痛めつける意図はございません。皆さんもおわかりですね”という暗黙の了解が、結果的により大きな無意識の悪につながってしまう可能性が露見したために、潜在的な反感が爆発した。
これが、今回の大炎上に至った理由でしょう。
では、動物の野生をほんのりと残したまま、バラエティ番組的な骨組みを持った都合の良いコンテンツに落とし込んだ下僕のアイデアは、何を映し出しているのでしょうか?
これは、現代社会に対する警鐘を鳴らしているとも思うのです。
<文/石黒隆之>
【石黒隆之】
音楽批評の他、スポーツ、エンタメ、政治について執筆。『新潮』『ユリイカ』等に音楽評論を寄稿。『Number』等でスポーツ取材の経験もあり。いつかストリートピアノで「お富さん」(春日八郎)を弾きたい。Twitter: @TakayukiIshigu4