パティシエの鎧塚俊彦氏(59)が11日、インスタグラムを更新。母の思い出をつづった。
鎧塚氏は「本日は『母の日』亡くなった母の若い頃の写真です」と頭を丸め、僧侶姿の母の写真を投稿した。
「富山県の住職の家に生まれた母ですが幼い頃に両親とも亡くし四人兄弟は離ればなれになり母は親戚のお寺に貰われたそうです。そのお寺は厳しい老僧一人の貧しいお寺で食べるにも事欠く有様で随分苦労した様です」と母の幼少期をつづった。
さらに「お金を出してもらえず食事の支度や掃除等、学生寮の仕事の全てを行う事で学費と寮費を免除して頂き京都の尼さんの学校(知恩院)に入学しました」と学生時代の苦労を明かし「卒業と同時に富山に帰って尼僧になる事なく逃げる様に京都で還俗致しました。富山での貧しい寺での生活は本当に苦しかった様です」と母を思った。
「幼い頃からお寺や学校で下働きをし続けた母は京都府宇治市で金物屋の職に就いてからは今までの苦労が実り働き者で通り社長にも気に入られました」と母の苦労が身を結んだとし「そして空襲で祖父が営んでいた『鎧塚木工』の全てを焼かれ大阪から宇治に移り住んでいた腕の良い家具職人だった父と知り合い私が生まれました」と自身の誕生までを記した。
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「鎧塚家兄弟は誰も大学には行きませんでしたが幼い頃から勉強しろとは言われず『仕事で認められてこそ一人前』『手に職をつけろ!手に職のある奴は一生食いっぱぐれが無い!』と口癖の様によく言われていました」と母の教えを記し「現在兄は宇治で鎧塚造園を営み私は東京で菓子屋。母の幼い頃からの苦労が教えとなり時代を超えてTOSHI YOROIZUKAのそして鎧塚俊彦の礎となっています。『お母さん、本当にありがとう』」と亡き母に敬意を示した。
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