ブラジル訪問予定の佳子さま、祖父母や両親の苦労のうえに花開く国際親善の舞台での“ご活躍”

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2025年05月11日 21:00  週刊女性PRIME

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外務省による交流プログラムで来日したブラジルの議員と、秋篠宮邸で面会する佳子さま(2024年3月27日)写真/宮内庁提供

「『大阪・関西万博』を契機として、世界の人々が、自分自身だけでなく、周りの人々の『いのち』や、自然界の中で生かされているさまざまな『いのち』も尊重して、持続する未来を共に創り上げていくことを希望します」

大阪・関西万博に想いを馳せる天皇陛下

 大阪・関西万博が4月13日午前、大阪市の人工島、夢洲で開幕した。「いのち輝く未来社会のデザイン」をテーマに、10月13日までの期間中、未来社会を形づくる理念や先端技術を発信する。158の国・地域、7国際機関が参加し、計約2820万人の来場を見込んでいる。日本での大規模万博は2005年の愛知以来20年ぶりで、大阪では1970年以来、55年ぶりとなる。

 開幕前日の12日、開会式が行われ、佳子さまの伯父である天皇陛下は、前述したように挨拶した。また、陛下は10歳のとき、大阪万博を訪れた思い出に触れながら、

「博覧会の会場を何度か訪れ、さまざまな国のパビリオンを巡って、世界の人々との触れ合いを実感するとともに、月の石を見たり、ワイヤレステレホンでの通話を楽しんだりして、当時の最新の技術に驚いたことなどを今でもよく覚えています」

 と述べ、「今回の博覧会を通じて、子どもたちが世界の国や地域、人々への理解を深め、次世代の技術や、SDGsの達成に向けた世界の取り組みなどにも触れることにより、未来の社会について考えることを願っています」などと語った。

 開会式には、皇后さまや万博名誉総裁を務める秋篠宮さまと、紀子さまも同席した。陛下の挨拶に続き、秋篠宮さまがパネルに手をかざすのを合図にセレモニーが行われた。

 天皇、皇后両陛下と秋篠宮ご夫妻は11日、大阪市を訪れ、大阪・関西万博の会場を視察し、万博のシンボル「大屋根リング」に上り、リングの構造などについて説明を受けた。両陛下とご夫妻そろっての視察は、園遊会などの皇室行事を除いて令和になって初めてといい、仲の良いきょうだい夫妻の姿が話題となった。

「ペルー、アルゼンチンおよびブラジルの三国を訪問することとなり今、出発いたします。これらの諸国はわが国から地理的に最も遠い国々でありますが、早くから多数の日系人が在住し、それぞれの国で大きな役割を果たしていると聞いております。

 私たちは、わが国との関係が深いこれらの国々の実情を見聞し、また、そこに活躍する日系人や在留邦人に接する機会をできるだけ多く持ちたいと思います。このたびの訪問が、これらの諸国との友好親善に、いくらかでも役立つことを心から念願しております」

上皇ご夫妻の初めてのブラジル

 1967年5月、上皇ご夫妻(当時、皇太子ご夫妻)は、昭和天皇の名代として、初めてブラジルを訪れている。ご夫妻はペルーとアルゼンチンを回り、ブラジルに滞在した後、帰国した。羽田空港から日航特別機で出発するに際して、上皇さまは、前述のような要旨の、国民に向けたお言葉を発表している。

 どの国でも熱烈な歓迎を受けたが、ブラジルのサンパウロでは、市内の競技場で歓迎大会が開催された。定員が約6万人のところ、8万人を超える人々が詰めかけた。

《大会場においでになったご夫妻は、まずオープンカーで場内を一周、ゴウゴウと地鳴りのようなどよめきで歓迎は早くも最高潮に達した》

《万歳三唱と同時に五色の風船一万五千個が放たれ、三千人以上のコーラス隊が“サクラ、サクラ”の合唱。それは、まるで遠い南米にいることを忘れさせる一時間だった》

 このように、当時の新聞は伝えている。また、朝日新聞特派員は次のように南米訪問を振り返った。

《ご夫妻の訪問で、日系人には、それまで遠くにあった日本が、非常に近く感じられたという。とくに、二世、三世にとっては、父母の故国が東洋であると漠然としか思っていなかったものが、目のあたりにご夫妻を見て、強く日本人意識を感じ、また皇室というものの存在を初めて認識した者が多かったようだ》

 ブラジル訪問などに出かける上皇ご夫妻を、天皇陛下と秋篠宮さまは、住まいの東京・元赤坂の東宮御所(当時)で見送った。このとき、天皇陛下は7歳、弟の秋篠宮さまは1歳半ほどで、小さいころから仲の良い二人だった。両親そろっての外国訪問は7回目で、7度目の留守番となった陛下は、初めて留守番をする秋篠宮さまの手を引いて見送った。

 初めは、無邪気にはしゃいでいた秋篠宮さまだったが、両親が車に乗り込もうとすると、美智子さまのスカートにすがりついたり、背後から陛下に抱きとめられながら、「ママ、ウェーン」と、泣き出し、しまいには床に座り込んでしまったという。両親との23日間もの長い別れが、とても寂しかったのだろう。それは、幼い子どもたちと離れ、仕事に向かう両親も同じだったかもしれない。ご夫妻も車内から、何度も振り返りながら二人に手を振っていたと、新聞は報じている。

 そして、'88年6月、今度は秋篠宮さまが、日本人のブラジル移住80周年記念式典出席などのため、ブラジルを訪れている。秋篠宮さまにとって初めての外国公式訪問先が、ブラジルだった。'15年秋、秋篠宮ご夫妻は、日本とブラジルの外交関係樹立120周年にあたり、ブラジルを公式訪問した。それから、10年後の今年6月上旬、次女・佳子さまがブラジルを公式訪問する。今年は、日本とブラジルの外交関係樹立130周年にあたり、ブラジル政府から招待されたもので、首都ブラジリアなど複数の都市を約2週間の予定で、訪れるものとみられる。

 このように、佳子さまの祖父母である、上皇ご夫妻と両親の秋篠宮ご夫妻たちの長年の努力や苦労のうえに佳子さまの国際親善の舞台での活躍があることは、決して忘れてはならないだろう。

 佳子さまのブラジル訪問が皇室の国際親善の歴史に新しいページを開くことを期待している。

<文/江森敬治>

えもり・けいじ 1956年生まれ。1980年、毎日新聞社に入社。社会部宮内庁担当記者、編集委員などを経て退社後、現在はジャーナリスト。著書に2025年4月刊行の『悠仁さま』(講談社)や『秋篠宮』(小学館)など

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