『JUN スカイラインGT-R(JGTC)』プライベーターが手掛けた“直4のR32”【忘れがたき銘車たち】

0

2025年05月14日 17:30  AUTOSPORT web

  • チェックする
  • つぶやく
  • 日記を書く

AUTOSPORT web

1995年の全日本GT選手権第3戦仙台ハイランドを戦ったJUN スカイラインGT-R。小林且雄がドライブした。
 モータースポーツの「歴史」に焦点を当てる老舗レース雑誌『Racing on』と、モータースポーツの「今」を切り取るオートスポーツwebがコラボしてお届けするweb版『Racing on』では、記憶に残る数々の名レーシングカー、ドライバーなどを紹介していきます。今回のテーマは1995〜1996年の全日本GT選手権GT1/GT500クラスを戦った『JUN スカイラインGT-R』です。

* * * * * *

 現在、日本国内で人気を博しているスーパーGTの前身である全日本GT選手権(JGTC)が本格的に始まった1994年。このJGTC黎明期と言える時代にシリーズの核となったメイン車種は日産の誇るGTカー『スカイラインGT-R(BNR32型)』だった。

 そのため、1994〜1995年頃のJGTCでは、カルソニックやZEXELといったニスモがサポート、あるいは走らせたワークスマシンをはじめとするR32 GT-Rたちが中心となって、ライバルたちと鎬を削っていた。そのR32 GT-Rたちは、どれも伝統ともいえる直列6気筒エンジンのRB26DETTを搭載していた。

 だがしかし、それに反したR32 GT-Rが存在した。それが『JUN スカイラインGT-R』だ。

 この車両を手掛けたのは、当時から多くのチューニングカーを手掛けていた小山進率いるJUNオートメカニックだ。チューニングパーツ開発の狙いもあり、JGTCへの挑戦を1995年からスタートし、オリジナルのエアロを装着するなど、R32 GT-Rとは異なる仕様で走らせていた。

 そのなかでも特徴的なのがエンジンだった。R32 GT-Rが元々積んでいたRB26DETTではなく、2.0リッター直列4気筒のSR20DETを採用。そして、JUNでは2.3リッターに排気量アップし、さらにツインターボ化するなどしてチューニングを施したSR20DETをR32 GT-Rに搭載したのである。

 なお、背景としては、同時期のJGTC、同じGT1/GT500クラスを走っていたトヨタ・スープラがグループCカー譲りの3S-G改という直列4気筒ターボエンジンを搭載して速さを見せていた。本来はGT-Rと同様に2JZ-GTEという直6のエンジンを積むクルマだったものの、直4エンジンを採用して、軽量・コンパクトなパッケージに効果があることも実証済みであった。

 そのため、JUNのR32 GT-Rは、JGTCに出場する理想的なパッケージにも思えた。しかし、GT-R勢の主流はBNR33型になっていたことやライバルの進化幅も大きく、好結果を残すことはできなかった。チューニングカーで最高速トライアルなども行なっていた強みもあり、手掛けたエンジンは一線級のトップスピードを発揮することもあったものの、それがリザルトにはつながらず、入賞は1995年の最終戦MINEサーキットラウンドでの10位のみ。

 他のGT-Rとは違う意欲的なチャレンジだったものの、それが実ることはなく、1996年を最後にJUNはJGTCから撤退することになるのであった。

[オートスポーツweb 2025年05月14日]

    ニュース設定